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第39話 歪な関係

「君たちって本当に血が繋がってないの? いい性格しているところがそっくりなんだけど!」 部屋に入ってきた林が突然そんなことを言い出すので、何言ってんだコイツという顔で見ると、林はイライラとしながらどかりと座卓の前に座った。 「なんでもない、忘れて」 林がいらつきを抑えようとしているのがなんだかおかしくて、僕は笑ってしまった。林は僕を見ながら、つられて笑い始める。 「なんで笑ってんの」 「いや、林が怒ってるの、なんか珍しくて。ごめん」 こみあげる笑いが尾を引いて、噛み締めて笑ってしまう。林はそんな僕を見ながら盛大にため息をついて畳の上に転がった。 「あーーーほんとに、惚れた弱みってしんどーーーーい」 「意味わかんないし。それで、そんなこと言うってことは聡一兄さんでしょ? 何があったの?」 畳の上で右に左にと転がっている林に麦茶と濡れ煎餅を出しながら聞くと、林の動きがぴたりと止まった。手招きされるので仕方なく林の隣に移動すると、突然単衣の衿をつかまれて引き寄せようとしてくる。畳に片手をついて全身の筋肉を使って倒れこむのを防ぐ。代わりに衿が引き出され、肌襦袢が露出した。 「ちょっと――!」 「体鍛えてたの聡一さん知ってたけど、見せたの?」 僕の文句は林の言葉に遮られる。いったいどういう経緯でそんな話になったのかさっぱりわからないが、昨晩の脱衣所で見られたことを言っているんだと言うことは理解した。あれは見せたというか、見られたというか。どう答えるか思案していると、林は業を煮やしたのか続けた。 「……前よりいい体してたってさ」 その一言に僕の耳から熱が入り、顔に伝播するまでそう時間はかからなかった。 落ち着け自分。林はそんな言い方をするが、聡一は単純に昔のもやしのような体と比べて肉がついたことを言っているだけだ。なんでそんな言い方を聡一がしたのかはわからないが……いやそもそも原文そのままをあの聡一が口にしたというのも疑わしい。林が誇張して言っている可能性の方が高いだろう。むしろそうに違いない。期待なんかするんじゃない。 僕が脳内で勝手に期待する自分と戦っていると、林は悔しそうな顔をして反対の手で僕の後ろ頭をつかんできた。 「ちょ――っ!」 林の顔が近づいてきて、僕は慌てて自分の顔と林の顔の間に左手を滑り込ませる。林の体重も含めて支える右手が全力を出して震える。林はそのまま僕の掌に唇を押し付け、僕から手を離した。林が僕に背を向けながらまた畳に寝転ぶ。 「聡一さんはずるい。永太にそんな顔させるの、羨ましい。悔しい」 林が情けない声を出すのを聞きながら、僕は自分の顔を両手で包んだ。いったいどんな顔をしていたというのか。顔の熱を冷まそうと顔を揉んだあとに手ではたはたと仰いだ。 「僕も裸見たい……」 「君、そろそろ自分の思考を垂れ流すのやめようか。というより、どさくさに紛れて何しくさってるんですか。さすがに許容を超えるよ?」 僕が静かに怒っているのを感じ取ったか、林は起き上がって素直に謝ってきた。 「ごめん、可愛くてつい」 「一言多い。絶対反省してない」 僕が林を睨みつけると、林は真剣な顔をして、わざわざ正座に直って、まっすぐにこちらを見てくる。 「待った。それを言うんだったら僕にも言い分がある。好いた人が自分の目の前であんな可愛い顔してきたら、口付けたくなるのも仕方ないでしょ」 予想を遥かに超えた林の言い訳に、僕は頭を抱えた。  林が本気で謝らないとしばらく口を利かないと言うと、林はすぐさま土下座で謝ってきた。これで許してしまうからきっと自分は甘いんだろう。それとも駄々洩れの好意に嫌な気持ちにならない自分がおかしいのだろうか。あまり人付き合いをしてこなかったから、異常なことが異常だと判断できないのかもしれない。もしくは周りにいなかった種類の人過ぎて、興味の方が先行してしまっている可能性もある。あるいは、自分が他人の好意に飢えてしまっているのか。そう思うと、節操なしな自分に嫌気がさす。ただ自分もまた林を利用していることは否定できない。許されない恋をしている自分を否定せずに、離れずそばにいてくれるというのは替えがたい存在だ。きっと、林もそれをわかっている。友人というには、僕たちの関係は大分歪になってしまった。 気を取り直して宿題に打ち込んで、いつもと同じように帰る時間に近くなったらお互いの宿題を交換して答え合わせをしていく。お互い間違いもなかったのでそのまま宿題をお互いの手元に戻してしまいこむ。 「次いつにする?」 僕が聞くと、林はにっこりと笑いかけてくる。その笑みにありありと「明日」と書かれており、僕は壁にかかっているカレンダーを見た。 「んじゃ来週の」 「待って待って遠い。何か予定でもあるの?」 僕が提示した日が気に食わないのか、林は慌てて口をはさんできた。僕は肩をすくめて見せた。もともと夏休みに入ったときも時間を空けてからどこまで宿題をやったか見せ合う日にしようという話だったのに、毎日あってたらそんなに進んでなくても当たり前になってしまう。 「予定はないよ。もともとの趣旨に合わせようとしているだけ」 そういうと、林は「うぐぐ」と唸り始めた。震える手で指を3本立ててこちらに見せてくる。今度はせめて3日にしてくれということなのだろう。僕は片眉を上げて林を見た。無言の攻防の始まりかと思ったが、林が「くっ」と言いながら指を一本下げるので僕は苦笑した。 「減らすな減らすな」 「毎日だって会いたい」 「あのねぇ……」 素直すぎるのも程がある。僕がこめかみを抑えながら言うと、林は僕の説得を試みようとしてくる。 「考えても見て? 自分は好きな人と一緒に住んでるからいいよ。でも、僕は住んでないんだよ!? 一週間も好きな人の顔見られないのがどれくらいの苦痛なのかわかる?」 そんなこと言われても僕の知ったことではないのだが。その主張は僕に響かない。涼しい顔で林を見ていると、林も考え始めた。 「じゃぁ、あれ。ご褒美ください。来週なら」 「なんで僕があげなきゃいけないのさ」 「んじゃ、賭け! 賭けよう! で、3日にしよう!」 また林は突拍子もないことを言ってくる。顎杖をついてじっとりとした目で林を見るが、それでも尚食い下がってくる。 「3日後に僕の家で午後に会おう。どっちがより多く宿題を進められるか。多く進められた方が勝ち」 「……それ、移動する時間分僕が不利じゃない?」 「今日僕が帰る時間に君は進められるでしょ?お相子だよ」 そう言われれば確かにそうだ。とりあえず話を聞いてみる。話を聞くだけの価値があるかどうかは正直そのあとによる。 「僕が勝ったら、裸見――」 「却下」 被せるように僕は拒否をした。まだ諦めてなかったらしい。その情熱をもうちょっと違うところに注げないのだろうか。林は苦い顔をしながら続ける。 「じゃぁ、こうしよう。僕が勝ったら一緒に銭湯に行く。加えて、その間じろじろ見ないし、もちろん触ったりしない。どうだ!」 胸を張って言うようなことじゃないんだよなぁ、と思いながら僕は腕組みをして考える。確かに、友達と銭湯ぐらい普通に行きそうなものだ。しかもわざわざこちらに配慮した条件まで付け加えられている。実際守られるかどうかは置いておいて。 「僕が勝った時に君から何をもらえばいいかわからないよ」 「なんかないの? ほしいもの」 期待を込められた目で見られるが、いきなり言われても何も思い浮かばない。そう思うと、自分の中の欲は全部聡一に関連するものにしか働いていないのがよくわかる。 「んじゃぁ、僕が聡一兄さんがどれくらい好きなのかずっと聞いてもらうとか?」 僕がそう言うと林は頭を抱えて悩み始めた。そんなに辛いことを言っただろうか。話を聞くだけでいいのに。林が次の一言を発するまでに僕は濡れ煎餅を2枚平らげ、麦茶を一杯飲み終えた。 「一個だけ、ちょっと言ってみてもらってもいい?」 「え? 聡一兄さんの好きなところ?」 林が眉間に皺をよせながら頷く。僕は口の端に濡れ煎餅のかけらがついていないか指で触りながら答えた。 「……もう、存在そのもの」 口に出した瞬間、恥ずかしくなってちょっと俯いてしまう。林はすごいな。恥ずかしげもなくよくこんなことを言えるもんだ。そう思うと実は僕に言ってるのはお愛想だったりするのだろうか? ふとそんなことを思って林を見ると、本人は机に突っ伏していた。 「やっぱり嫌いだアイツ」 そう言いながらも、林がその条件を承諾したのは言うまでもない。

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