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第43話 崩壊する理性 ※

 何が起こったのか理解するのに時間がかかったのは、酒のせいだろうか。いつも穏やかに笑う弟が、今は自分の上に乗って見下ろしてきている。両腕は布団の上に押し付けられ、身動きが取れない。 永太の目が俺を覗き込んでくる。 「それとも違うのかな? ちゃんと『弟』の立場から『兄ちゃん(理想)』を崩してあげる方がいい? どっちが好み?――あに様? ちゃんと教えて。『兄ちゃん』なんでしょ?」 不敵に笑う永太の瞳は揺れていた。相反する態度に俺は深く永太を傷つけたことを理解した。いや、傷つけないと思っていなかったわけじゃない。ただ、きっと許してくれると思っていた。いつもの優しい(永太)なら。――俺はまた永太に甘えようとしていたんだ。 「永太、やめ――っ」 言いかけた唇を、永太の唇が塞ぐ。首を振って逃げても、永太は俺の頬を挟んで追いかけてきた。執拗に追い求めてくるその唇すら震えていた。焦がれるように口付けてくる柔らかい感触が脳を鈍く刺激する。押さえつけてくる手でさえ、強いのにどこか縋り付いてきているようだった。 俺は永太の手をはぎ取ろうと手首をつかむと、永太が唇を離してふふっと笑った。 「いいの? 僕、痕つきやすいよ?」 はっとして手に入れるはずの力が抜けた。永太の手首にほぼ添えるだけのようになってしまった俺の手を永太は愛おしそうに見つめて、今度は唇から手首をつかんでいる俺の指を食むように口付け始める。 酔いが回っているのか、頭が鈍くなっていく――――勘違いしそうになる。そんなことはあってはいけないと線を引く。 「永太、やめてくれ……」 口付けられている方とは反対の手で俺は自身の目元を隠した。もう見ていられなかった。酔って寝てしまったことにして、全部夢か幻ならいいのに。 すると、永太が乗っている俺の腹に熱を帯びた固い物が押し付けられたのがわかった。動揺で自分の体が跳ねる。手をずらして永太を見ると、永太は自分の寝間着を脱ぎ始めていた。白い肌に年の割に引き締まった体は、幼少の頃の永太とは全くの別人だった。運動が苦手な永太の努力が見える。肩にくっきりと鞄の紐の痕がついており、まるで抵抗するとこんな痕がつくぞと、自分の体を人質として見せつけてきているようだった。 「あに様、好きでもない人でこんなになると思う?」 「――っ!」 永太が俺の腹の上で腰を擦り付けるように動いた。まるで永太の固い一物で俺の腹を抉ろうとするように。永太はその動きを続けたまま、覆いかぶさるように俺の顔に近付いてそっと耳打ちしてくる。 「林の体じゃ、こうはならないからね?」 耳から入る情報と音に酔いが回ったかのにように頭がくらつく。じわりと全身に汗がにじんだ。帰り道に説教をしてきた林の顔がちらついて、感じる優越感が首を擡げるがそれを理性が待ったをかける。そんな感情は良くないと警告を出す。 「永太、待っ――!」 首筋を降りるように唇が這って行く。柔らかい感触にぞくぞくしてのけぞった。知らない。こんな感覚は知らない。知らずに息が上がって、詰まった息を吐いた。 「? これ、好き?」 「違っ」 永太の言葉をすぐ否定するが、永太は気にせず鎖骨に吸い付いた。ぢぅっという音とともに肌にぴりっとした痛みが走る。唇を離したあとに永太は満足そうに俺の鎖骨を見ていた。 「誰にも見せちゃだめだよ」 吸い付いた鎖骨をなでた手が、そのまま俺の寝間着の上を滑っていき、永太の指先が胸の頂に触れる前に、ほんの一瞬、ためらうように宙を彷徨う。その指が生地の上から軽く押しつぶすように先端を弄ぶと、また先ほど感じたような感覚が走り小さく体が震えた。 「やめろって」 「やめないよ? わかってもらえるまで続ける。勘違いなんかにさせない」 寝間着の下に手を差し入れて、俺の胸が露わになる。永太の唇が俺の胸に降りてきて、弄られて鋭敏になった胸の飾りに息がかかる。それを口に含んで甘噛みするたび、電流が走るように胸がのけぞる。そんな姿を見て、永太が嬉しそうに上目遣いでこちらに視線を送ってくる。先端を音を立てて舌の上で転がしながら、永太の左手が俺の腰に伸びた。 「待て、待っ!」 下履きの上から棒に触れられる。自分のものが固くなっていたのが知られてしまって羞恥で顔に熱がこもる。永太はそのまま俺のを摺り上げながら言い放つ。 「あに様、好きだよ。大好きだよ」 「~~っ! っ!」 もう何も直視できなかった。自分の顔を自身の手で覆い隠しながら、なされるがままに体を差し出している状況にも、甘んじて受け入れている自分も、自分でするよりも濃い快感に頭が痺れる感覚も、体裁を整えられない自制心も、何もかも直視できない。声を殺しながら喘いでいる自分に、制御できずに跳ねる体に、だんだん何も考えられなくなってくる。 「ぇぃ、た! ゃ、やめ、っ!」 かろうじてかけた言葉に、永太はまた唇を重ねて蓋をする。俺の下半身を指で弄びながら、口の中に舌を滑り込ませて、俺の舌に絡ませてくる。俺の唾液とは違う成分が口に広がり、舌と共に口内を犯しつくそうとしてくる。永太はこちらの口の中を堪能しつくすと、器用に俺の舌を吸い出して、今度は自分の口内へ招き入れてきた。舌が引っ張り出される感覚に苦しくて眉間に皺が寄り、目が閉じる。すると永太の手が下履きの中に入ってきた。より直接的な快感が腰から頭に上ってくる。 「ぅっ! んぐ……、む、んっ!」 鼻から漏れる自分の嬌声に戸惑う。薄く目を開けると永太の長い睫毛が見えた。口付けの角度を変える一瞬、永太の睫毛が持ち上がって目が合う。蠱惑的な光が宿る目が嬉しそうに細くなり「好きだ」と語りかけてくる。 コイツ、どこでこんなの覚えてきたんだ。そう考えて一瞬浮かんだのが林の姿だったが、あんなに余裕もなく俺に牽制してきた奴とこんなことをしているわけがない。では誰だ? いつ―――― 思い当たったことにぞっとした。4年前の秋、杉林で永太に拳を振り上げていた男の姿が脳裏に浮かぶ。ふつふつと蘇る怒りと、当時の永太が受けた傷に永太自身が今触れるような行為をしているんだとしたら、これは自傷行為以外の何物でもないという、焦燥。 俺は永太の胸を押し上げた。永太の唇が俺の唇から離れて、透明な糸を引いた。 「永太、やめろ。これ以上傷を増やすな」 透明な糸が切れて俺の顎に垂れる。永太は首を傾げて、何の話? と表情で訴えかけてきている。どう言えばわかるのかと戸惑っていると、永太が眉根を寄せてこちらを見てくる。 「さっき、あに様に言われたこと以上の傷は、僕にはないよ」 一言で胸を刺された。そうじゃなくて、と言う言葉さえも口から出なくなる。永太が胸を押し上げる俺の手を掴んで、また布団の上に押さえ込んできた。永太の少し乱れた息遣いが近くなった。 「……なんで、こんなこと……」 俺がそう言うと、永太の動きがはたと止まった。明らかに何かを思い出したようだったが、やがて気まずそうに「あー……」と視線を逸らす。俺は訳が分からずに永太の顔を見た。 「もしかして、4年前に襲われたことを言ってる?」 何もそれらしいことは言っていないのに、何故か永太にはわかったようだった。俺が小さく頷くと、永太が呆れたようにむっとしていた。 「あんなのと一緒にしないで」 強い否定を受けて、むしろ傷に触れたのは俺かと自己嫌悪していると、永太も自嘲気味に笑った。 「――と言っても、あに様にとっては同じか」 「永太……」 永太は俺の胸に顔を埋めた。そして、俺の質問に答え始める。 「あに様が悪いんだよ。僕の気持ち全否定だったし。どれだけ僕があに様を好きか、言葉を尽くしてもわかってくれそうにないから」 「……ぅっ!」 言い終わるのと同時に、左胸の先端よりわずかにずれた場所を強く吸われる。永太の唇が離れると、赤い痕が吸ったところについていた。押さえつけられていた右手がそのまま持ち上げられ、ゆっくりと永太の胸に導かれる。 「僕に触られるの、怖い? 何も感じない? わからない?」 トクトクと速く打つ永太の鼓動が手に伝わる。必死に訴えかけるように。 怖くない。知らない快感に戸惑う。永太が全身で必死に伝えようとしている行為が、ただ自分を貪ろうとしている行為には全く感じない。 わかりたくない。わかりたくなかった。理解してしまった。勘違いだと否定しておきたかった。永太は俺のことが、本当に好きなのだということ。知ってしまったら、もう「兄ちゃん」でいることができなくなってしまうから。 何も答えずに顔を背けると、下履きがずらされた。驚いて自身の下半身を見ると、露わになった俺自身にちょうど永太が口をつけようとしていたところだった。 「永太、待てっ!」 慌てて手を伸ばすが、すでに永太の温かい口内に含まれた。腰からぞくぞくと上がってくる快楽に、全身が喜んでいるのがわかる。与えられる刺激に、思わず腰が引けて言うことを聞かない。 「っはぁ! ぅ、くっ! ぁ、、っ」 自分の口から漏れる吐息の熱さに、まるで自分で自分の聴覚を犯しているような気分になった。根元を擦り上げられ、先から根本近くまでを往復する永太の顔。たまに聞こえてくる、じゅぷっという精を促す音が苦しい。頭の芯が痺れて思考がまとまらない。取り繕うこともできない。丸裸にされていく。 こみあげる射精欲を必死に抑えながら、上体を起こして永太の髪をつかむが、手にうまく力が入らない。指先に絡んだ髪はそのまま指をすり抜けて行ってしまう。 「永太っ! やめ、出、っ、はな、し」 必死に訴えかけると、一瞬口が離れてほっとしたのも束の間。今度は手で根本から激しく摺り上げてくる。 「いいよ、出して」 永太は端的にそう言って、雁首をまた口に含む。そこからはただの我慢比べだった。自分の嬌声交じりで止める声は聴いてもらえず、快楽に苦しむだけの時間が長く続いて、 「えい、た! だ、めっ! 出――っ!!」 負けたのは俺の方だった。腰が何度も跳ねて、永太の喉にめがけて熱を吐き出す。途端に襲われる疲労感と背徳感に、俺は布団に倒れこんだ。永太はそのまま先端の穴に一滴たりとも残すまいと、ちゅっと小さな音を立てて吸い取って、口を押えながら上体を起こした。 永太の白い喉がこくりと動くのを見て、俺は目を閉じた――

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