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第3話

 五年の月日が流れて六年生になった。  寝坊助の千紘を起こしに来てくれるのは律の役目だ。  「ちぃ、起きて」  やさしく耳をくすぐる声が睡眠を誘い、布団をかぶると強めに揺さぶられて渋々起きた。  「……はよ」  「また寝癖がついてる」  千紘の髪はねこっ毛で乾かしてから寝ないと翌朝芸術的な寝癖をつくる。あっちこっち飛んでいる毛先をパスタみたいに指でくるくる巻かれた。  「乾かしてから寝ないから」  「だって面倒だし」  「それに風邪引くよ」  「おまえ、母ちゃんかよ」  そう揶揄ってやると律は目を細めるのでその妙に大人っぽい雰囲気に下を向いた。  律はこの五年で四十センチ近く伸びて一六〇センチになり、落ち着いた雰囲気が似合うようになってきた。ランドセルを背負っていないと高校生に間違えられる。  リビングに行くとスティックパンとハムエッグにインスタント味噌汁、ヨーグルトと最初と比べると手抜きに拍車がかかっている。  「うちの莫迦息子の面倒押しつけちゃってごめんね。りっくんじゃないと起きなくて」  「可愛い息子の間違いだろ」  「あんたは早く食べて着替えなさい」  頭を叩かれそうになり、寸前のところで避けた。毎日毎日やられっぱなしのわけではない。母親のパターンは見切っている。  ふんと口のはしを上げるとすかさずデコピンが飛んできた。それは新技だ。  「いって~」  「ふざけてないで早く食べて! 母さん、今日早く出るんだから」   母親はぷんすか怒りながら洗面所へ消えた。時計を見るとあと十五分で出ないと間に合わない。  パンをリスのように詰め込む千紘に対して律はゆったりとした動作で食事を始めた。自分とは違う育ちの良さを表していて、こんなに正反対なのにどうして仲が良いのか不思議である。  「そういえば今日結果が返ってくるね」  「この前の漢字テスト? 俺、赤点の自信しかない」  「第二次性だよ」  「あ~どうせ結果はわかってるしな」  小学三年生のときから保健体育の授業で第二次性について学んできた。  この世界には男性、女性以外にアルファ、ベータ、オメガの第二次性がある。  アルファは頭脳明晰、容姿端麗、運動神経抜群とすべての才能を持っていて、人口の約二割存在する。  ベータは能力は平凡でほとんどの人がベータだ。  そしてオメガは男性でも妊娠できる特別な身体を持っている。三ヶ月に一回発情期がきて、それが一週間ほど続く。そしてアルファにうなじを噛まれれば番となり、フェロモンは番にしかわからなくなり、生涯を共にする。人口の約一割ほどしかいないので差別されたり、卑下されることが多い。  「りっくんは絶対アルファね。ご両親ともアルファだし、運動も勉強もできるし」  身だしなみを整えた母親の言葉に律は笑顔を返した。その表情は説明するのも諦めているようにも見え、だんと乱暴にコップを置いた。  「……行ってきます」  「ちぃ、待って。ご馳走様でした」  律は丁寧にお辞儀をしてから後をついてきた。登校班の集合場所まで向かう間、母親の言葉の意味を咀嚼していた。  律は最初から勉強や運動ができていたわけではない。毎日努力して頑張った成果なのに、母親の言葉ではアルファだからできると言っているようなものだ。無性に腹がたつ。  「悪い、母ちゃん無神経だよな」  「なにが?」  「律が勉強も運動もできるのはアルファだからじゃないのに」  律は小学校に入学する前から塾に通い、様々な習い事に取り組んでいる。そのせいで放課後遊ぶ時間がなく、同級生からは少し距離を置かれていた。  そんな状況を知らないのに脳天気な母親の言葉は律の努力を踏みにじるように聞こえてしまう。  「ちぃはやさしいね」  寝癖だらけの髪に触れられ、千紘の気持ちを代弁するかのようにぴょこぴょこと揺れた。  「友だちなんだから普通だろ」  「ありがとう」   頭に顔を寄せられて「気持ち悪っ」と返すと律は声をあげて笑った。

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