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第4話

 学校に着くと教室が緊張感に包まれている。第二次性の結果がみんな不安なのだ。  担任は教室全体を見渡してから穏やかに口を開いた。  「では結果を返します。名前を呼ばれた方から取りに来てください」  教室の空気がぎゅっと凝縮されたように息苦しくなるなか、千紘は我関せずと欠伸を一つこぼした。  両親も親戚もみんなベータなので、例に漏れず自分もベータだろう。第二次性は遺伝的様子が強い。  「柳くん」  封筒を受け取りそのまま中身を見るとやはりベータだった。  ほっと息を漏らしたことに驚く。心のどこかでオメガになりたくない思っていたことに気づき、無意識に差別をしていた自分に反吐が出た。  休み時間になるとみんな封筒を開けて中身を確認している。それが目に入らないのか律はいつも通り宿題をやっていた。  律は一度も封筒を開けていない。  「結果気にならねぇの?」  「先生がおうちの人と見てって言ってたし」  「そんなの建前じゃん」  「結果がどうであれ、やることは変わらないから」  算数ドリルをさらさらと解いていく。まだ授業で習っていないところまで淀みなくシャープペンは動いていく。  「なぁ結果どうだった?」  クラスメイトの山下に声をかけられ、近くで話していた数人が千紘たちに視線を向けた。  「俺はベータ」  「ちびろーのは訊いてない。なぁ瀬名川ってやっぱアルファだろ?」  無遠慮な質問に律の眉間の皺が深くなった。  「そんなのどうでもいいだろ」  「隠すってことはアルファ?」  「まだ見てない」  「じゃあオレが確認してやるよ!」  「おい!」  山下は律の引き出しから封筒を奪い取って封を破いた。  「やめろ、莫迦!」  千紘は山下を押しのけたがびくともしない。山下は空手を習っているらしく横にも縦にも大きい。小柄な千紘が腕をめいいっぱい伸ばしても封筒にまでは届かず、山下の頬を引っ掻いてしまった。  「いってぇーな、くそちび!!」  山下が腕を突っぱねると小さな身体は簡単に突き飛ばされた。机が背中に当たって床に倒れると悲鳴が轟く。  「軽くやったつもりなのに本当よわっちーな、おまえ」  「……いってーな。このデブ!」  「はぁ? このアルファ様に楯突く気かよ?」  「おまえがアルファだなんて世も末だな」  「なんだとテメェ!!」  山下が拳を振り上げたのが見えたが背中が痛くて防御できない。  (やばい、殴られる)  目を瞑ってきたる衝撃に耐えたが、一向にやってこない。恐る恐る瞼を開けると律が千紘の前に立ち両腕を広げていた。  「もうやめろ。見たいなら勝手に見ていい」  「でも律」  「どうせいつかみんなに知られることなんだから」  「最初からそうしていればよかったんだよ。お、やっぱアルファじゃん」  山下は封筒を千紘に向けて投げ捨てた。にやりとした下衆な視線に奥歯を噛む。  「さて次はオメガを探そうか。オレが番にしてやるよ」  山下は教室内をきょろきょろと見回し、クラスメイトの顔を一人一人観察している。  例年通りなら一学年ごとにアルファは二、三人、オメガは一人いるが四クラスあるのでここにいるとも限らない。  みんな互いの顔を見合わせているなか、不自然にもそのなかに混ざらず椅子に座っている女がいた。いつも活発で女子の中心にいる三吉が教室の騒ぎが聞こえていないのか読書をしている。が、本の表紙が上下逆さまだ。  それを目敏く見つけた山下がにやにやと近づく。  「おい、三吉。本が逆だぜ」  「あ……これは」  「おまえ、オメガか?」  山下の言葉に三吉の目元がさっと赤くなる。周りは驚きとも好気ともつかない声を上げて、三吉を中心に集まってきた。  「違う……」  「なら紙見せてみろよ」  「別に見せる必要ないでしょ。第二次性は守秘義務があるんだから」  「オメガだから見せられねぇんだろ? なぁヒートってどんな気分?」  三吉の顔がこれ以上ないほど赤くなり、目に涙を溜めている。細い肩が小刻みに揺れているのが見えて、ぷちんと切れた。  「もうやめろ。アルファだからって威張っていいわけじゃないって先生も言ってただろ」  「ベータのちびろーには関係ないだろ。なぁ三吉、番になってやろうか?」  「いい加減にしろ!」  山下の背中を押したがびくともしない。代わりにまた押されて転がってしまう。  悔しい。こんな小さな身体では勝てない。  相手がアルファだからだろうか。  アルファは才能に秀でていて、どんなに足掻いてもベータでは太刀打ちできないのか。    (いや、そんなことない)  律は第二次性がわかる前から努力をし続けている。アルファだとか関係ない。  律の努力をアルファだからと一蹴する母親のようにみんな無意識に上下を決めて、まだ下がいると安心感を得たいだけだ。  莫迦らしい。そんなもの本人の努力次第でどうとでもひっくり返るだろう。  「なんだもう終わりか? ちびろーくん」  山下が余裕ぶっている隙をついて足にタックルをして倒れさせた。馬乗りになり、山下の顔面に頭突きを決める。  「いって〜〜〜〜!!」  「三吉に謝れ!」  「ちびろーのくせに口答えすんな!」  山下の平手打ちを喰らい、横に吹っ飛んだ。今度は山下に上に乗られ、再び拳が振り上げられる。  「もうそれぐらいにしろ」  律が山下の肩を掴み、後ろに捻るとぎゃあと奇声をあげてギブギブと涙目を浮かべた。  圧倒的な王者の貫禄に教室が水を打ったように静まり返る。  「なにしてるの!?」  誰かが呼びに行ったのか担任が慌てて飛び込んできた。荒れ果てた教室に言葉を失っている。  机や椅子が引っくり返り教科書やノートは散らばり、泣いている三吉、頬が腫れた千紘、涙目の山下、そして肩を掴んだまま動かない律の四人に順に視線を送り、こめかみに青筋を立てた。  「瀬名川くん、山下くんを離しなさい。あと三吉さん、柳くんの四人は相談室に来なさい。他は片付けをしてください。くれぐれも教室からでないように」  呼ばれた四人は担任に連れられて相談室に通された。律が事情を説明すると担任は顔を渋くさせる。  「内容はわかりました。でもそれを暴力で解決しようとしてはいけません」  感情的にならず事実を的確に突く担任の言葉に項垂れた。だが山下は椅子の背もたれに寄りかかってふんぞり返っている。その態度が癇に障り、足を蹴ったら蹴り返され、「いい加減にしなさい」と雷が落とされた。  「ではもう一度保健体育と道徳の授業をします。柳くんは保健室に行って氷嚢を貰ってきなさい」  「わかりました」  教室とは反対方向の保健室へ向かうと律が追いかけてきてくれた。  「付き添うよ」  「別に足は怪我してないから平気」  「でも心配だし」  「そんなに腫れてる?」  アドレナリンが出ているせいか痛みは感じない。少しヒリヒリする程度で、鏡も見ていないから自分の顔がどんな風になっているかわからない。   「ちょっとだけ」  律の手のひらに触れられるとひんやりして気持ちいい。夏も本番になったというのに律の体温は低く、この季節だと保冷剤代わりになる。  頭を擦り寄せるとぱっと手を離された。律を見ると首まで赤くなっている。  「ごめん、びっくりしちゃって」  右手を隠すように胸の前に置いた律は指を開いたり閉じたりして落ち着かない。  「もしかして右手怪我してんの?」  「してない、大丈夫。本当ちょっと驚いたっていうか」  いつも冷静沈着の律がなぜか動揺している。どうしたのだろうか。もう一度訊いたが首を振るだけで教えては貰えなかった。 氷嚢を貰い、クラスに戻ると保健体育と道徳の時間が行われていてた。  律の驚いた顔が頭から離れるどころかどんどん濃くなっていき、担任の話をぼんやりと聞き流していた。

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