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第9話
今朝も起こしに来てくれた律と一緒に登校していると背中をぽんと叩かれた。
「おはよ、千紘」
「おはよう……」
振り返ると満面の笑みの伊吹が朝の陽光を受けた亜麻色の髪をキラキラと反射させている。
まるで待ち合わせをしていたかのように伊吹は隣を歩き始めたので律に肘で突つかれた。
「案外家近いね。明日から一緒に行ってもいい?」
「断る」
間髪入れずに律が答えると伊吹はむっと眉間に皺を寄せた。
「オレは千紘に訊いてるの。ね、いいでしょ?」
「おまえとは行かないってはっきり言え」
「決めるのは千紘でしょ」
「そもそもちぃを気安く呼ぶなよ。馴れ馴れしい奴だな」
両隣からわーわー言われて耳を塞いだ
律はどうしてそこまで伊吹を敵視するのだろうか。
無視するほど伊吹は嫌な奴じゃない。それにサンピス仲間としては色んな話をしてみたい気持ちもあった。
律はクラシックは嗜むがロックは耳が痛くなると言って聴いてくれない。
いとこは専門学校に通いだし、忙しくてサンピスどころではないらしく、同じ熱量で語れる同士に飢えていた。
「そういえば昨日の雑誌持ってきた」
「見たい!」
「あとで一緒に読もうぜ」
「やった! 嬉しい」
伊吹に肩を組まれて頬が胸板に当たる。固くて薄い胸板なのに自分とは違う男を感じてどきりとした。
されるがまま固まっていると「いたっ」と頭上から伊吹の悲鳴が聞こえる。
「先行く」
律はそのままスピードを速めて角を曲がりあっという間に姿を消してしまった。
置いていかれるなんて初めてで律がいなくなった方角をずっと見ていると「ねぇ」と肩を叩かれた。
「あいつって同じクラスだよな」
「そうだよ。瀬名川律。俺の幼馴染」
「アルファの幼馴染か」
伊吹は律が消えた角をじっと睨みつけてしまった。
千紘も同じようにいなくなった方を見た。もしかして律との約束を守らなかったから呆れられたのかもしれない。
せっかく伊吹とサンピスの話ができるのに気もそぞろでなにも頭に入ってこなかった。
教室に入ると伊吹を待っていたクラスメイトたちが一斉に群がってきた。
「伊吹くんおそーい」
「ごめん、道に迷っちゃって」
「転校したばっかだもんね。よかったら迎えに行こうか?」
「今度お願いしようかな」
伊吹は女の子たちの誘いを笑顔で受けている。その軽さがより女子たちを惑わしているのだろうか。
席につき斜め前の律を見る。ぴんと背筋を伸ばしたままシャープペンを走らせているので表情がわからない。大方、塾の課題をこなしているのだろう。
喧嘩したわけではないし、またすぐいつも通りになれるだろうとたかをくくっていたが、その日は一度も話さないまま下校の時刻を迎えた。
昇降口へ向かう足取りは重い。律は帰りのホームルームが終わるとさっさと帰ってしまった。
一人で帰る日はいままで何度もあったが、そのときはいつも律が声をかけてくれていたのに今日は言われていない。
「なに暗い顔してんの?」
明るい伊吹の声に顔をあげる気にもなれず、ただ外靴を見下ろした。
「律に置いていかれた」
「いつも一緒に帰ってんの?」
「大抵そうかな」
「随分べったりな仲なんだね」
「普通だろ」
お互い他に仲の良い友だちがいないし、小一からいままでずっと同じクラスだった。家も近所で毎朝起こしに来てくれている。
その話をすると伊吹は信じられないとばかりに口をあんぐりとさせた。
「家族公認ってこと?」
「公認といえばそうなのかな」
「アルファとベータなのに?」
「第二性が違うと友だちにもなれないのかよ」
「いや、そうじゃなくて……もしかして気づいてない?」
「なにが?」
言い淀む伊吹をやっとの思いで見上げる。
伊吹はふふっと小さく笑って、なぜか肩を叩かれた。痛い。
「そっか~なら瀬名川が勝手にやってるんだ」
「だからなんの話?」
意味がわからないのにどんどん話を進められて気分が悪い。ただでさえ律に置いていかれた寂しさも加わっていまなら誰か殴れそうな凶暴な感情が湧きつつある。
「いや、別に。まぁ一緒に帰ろうぜ」
「今日は私と帰る約束したでしょ」
後ろからどんと突き飛ばされて前のめりに躓いた。振り向くとクラスメイトの女子数名が伊吹の周りに集まっている。
「そういえばそうだったね。じゃあね、千紘」
伊吹は女子に笑顔を振りまいてそのまま昇降口を後にした。
結局残ったのは後味の悪さだけだった。
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