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第16話

 翌日からやることもないのでなんとなく伊吹と過ごすようになった。伊吹のキープたちは部活や塾だと忙しいらしく、絶賛フリーで時間を持て余しているらしい。  コンビニや図書館、フードコートなど金がかからず涼めるところを求めて歩き回り、特に実りのない話をして一日を潰す。  さすがに一週間も経ってくるとどこもかしこも行き尽くした感があり、飽きてきた。  「今日どうする?」  待ち合わせのコンビニ前で伊吹はどうしようかねぇと青空を仰いだ。  「うち来る?」  「伊吹んち?」  「そう。ダメ?」  律以外の人の家に行ったことがないので友だちの家というものを見てみたい欲がむくりと顔を出す。  「いいの?」  「母親は仕事でいないし。一人でクーラー使ってるの申し訳なくてプラプラしてたけど千紘がいるなら罪悪感が減る気がする」  「俺をダシにする気か」  「そうかも。で、どうする?」。  「迷惑じゃなければ」  「よし、決まり。飲み物とお菓子買おう」  目についた菓子やらジュースをほいほいカゴに投げ入れる伊吹に笑った。  伊吹の家はコンビニから歩いてすぐだった。築年数がそう経っていなさそうな八室ある二階建てアパート。階段をのぼり角部屋の表札には「羽賀」と書かれている。  「汚いけど気にしないでね」  「……お邪魔します」  初めての場所に緊張しながら靴を脱ぐ。2LDKの間取りで、それぞれ伊吹と母親の部屋らしい。  リビングのテーブルには飲みかけのペットボトルや封の開いていないカップラーメン、きれいに畳まれた洗濯物が置いてあり生活感があった。  「汚いっしょ」  「全然、うちもこんな感じ」  「ならよかった」  「やっぱ律んちって特殊だったんだなぁ」  アイスを冷凍庫に入れている伊吹はどんな? と振り返る。  「ホテルとかモデルルームとかそんな感じ。生活感がなくて、怖いくらい。律の部屋はそうでもないんだけど」  「よく行くの?」  「あまり行かないかな」  「仲いいんだな」  「幼馴染だし」  「いいなぁ~オレ、転校ばっかしてるから長い付き合いの奴っていないわ」  伊吹の投げやりの言葉にどう返せばいいのかわからず、返事に困ってしまう。  その様子に気づいたのか伊吹にぽんと頭を撫でられた。  「てか突っ立ってないで部屋に入っていいよ。こっちがオレの部屋ね」  「あ、サンピスのポスター!」  引き戸を開けると壁一面にサンピスのポスターが貼ってあった。メジャーデビューした時のジャケットや雑誌の表紙を飾ったものなどが折り目一つなく飾られている。  「いいな~このポスターどうやって手に入れたの?」  「いつかの彼女にもらった」  「それはすごいね」  別れた彼女から貰ったものなのに取っておくのか。でもサンピスに罪はないから仕方がないかもしれない。  ポスターをじっと眺めていると襟足をやんわりと撫でられた。  「髪伸ばしてんの?」  「美容院苦手で始業式ギリギリまで伸ばすことにしてんの」  「オレが切ろうか?」  指を絡められた髪を引っ張られ、自然と頭が傾き伊吹との距離が近くなった。  亜麻色の瞳の虹彩がわかるほどの距離にどきりとする。  (まただ。なんだろ、これ)  伊吹との距離が一定ラインを超えると心臓を撫でられているように落ちつかない。ドキドキとは違う緊張感。  名前を付けられない違和感が再び迫ってくる。  (ダメだ。来るな)  伊吹の身体をやんわり押した。  「律に切ってもらうから大丈夫」  「そこでも律ですか」  「幼馴染だから」  「本当にそれだけ?」  「そうだけど……」  含みのある言い方が気になる。律とは小学校からの幼馴染で大事な親友だ。それ以外のカテゴリーに律を分類できない。  「じゃあなんでいつも律のフェロモンまとわせてんの?」  「フェロモン?」  「やっぱ気づいてなかったか」  くつくつと笑う伊吹にどういうことだよと問い詰める。  「アルファって他の性より独占欲が強いんだ。だから自分のものは例えペン一本でもフェロモンをつけるんだよ」  「だからなに?」  「それだけ執着されてるのに当の本人は気づいていないんだから律は気の毒だね」  さっきから伊吹はなんの話をしているんだ。なぜか頭が鈍く痛みだし、楽しかった空気が温度をなくしていく。  不安に駆り立てられ壁側に逃げると伊吹がどんどん距離を詰めてきた。  また威圧フェロモンを出している。伊吹の目は濁りだし、肌がちくちくと痛む。呼吸するのも苦しくなってきた。  「いま律と離れて一週間とちょっと? ようやく匂いがしなくなってきたね」  首筋に顔を埋められ、柔らかな毛先が首筋を刺しぞわりと鳥肌がたつ。  「ここにオレのフェロモンつけたら律はどういう反応するかな」  伊吹の顔が怖い。  夏祭りで見かけたときと一緒だ。  感情のない人形のような目をしている。  頬を撫でられて、長い指が首筋、鎖骨と降りていく。  毛虫が身体を這っているようにぞわぞわとした。  その手がへそ当たりでピタリと止まる。  「勃ってるよ」  視線を下に向けるとズボン越しでもわかるくらい固くなっていた。  (なんで、どうして)  自分の意志とは関係なく反応してしまったことに恥ずかしくて死にたくなる。  「溜まってる?」  「そういうわけじゃ」  「抜いてあげようか?」  ズボンに手をかけられそうになり、力いっぱい伊吹の身体を押し退けた。  「帰る!」  靴をつま先に引っかけて玄関を飛び出した。  蝉の合唱が頭のなかでぐわんぐわんの響いている。  またあの伊吹だ。時折見せる感情のない怖い顔。  もしあのまま抵抗しなかったらどうなっていたのだろう。  その先を考えたくもなくて頭を振った。  止まったら追いつかれてしまいそうな気がして、家に着くまでがむしゃらに走り続けた。  夜に伊吹から謝罪のメッセージがきたが、布団をかぶって見なかったことにした。  それよりも撫でられたうなじに伊吹のフェロモンがついてしまったのかが気になる。  フェロモンを感じ取れないことが初めて歯痒いと思った。  ーーなんでいつも律のフェロモンまとわせてんの?  伊吹の言葉が蘇る。  いつから律のフェロモンをつけられていたのだろう。どういう意図があったのだろうか。  でも不思議と嫌悪感がない。律とは長い付き合いのある親友だからだろうか。   だめだ。そうやって事実から目を逸らしちゃだめなんだ。  自分の奥底で絡まっている心に意識を集中する。  律といると呼吸がしやすい。だらしがない姿を見せても律は見限らずにいてくれると安心感があった。  無視されたあの日、絶望を味わった。  それはなぜか。  絡み合った糸を一つ一つ解いていくとぱっと言葉が浮かぶ。  「律のことが好き?」  妙にしっくりくる。そばにいて楽しいのも落ち着くのも好きだからと理由をつけると頭上にピコンと〇のマークがつく。  認識すると段々伊吹の匂いがついた身体が汚らわしい存在のような気がした。一秒でも早く律で上書きしたい。  クローゼットをひっくり返していると泊まりに来たときに律が忘れたシャツが出てきた。  シャツに鼻を近づけると律の匂いが染みこんでいる。香水や柔軟剤とは違うお日様をぞんぶんに吸い込んだ花のような香り。  (律の匂い)  匂いを嗅いでいると不安定だった心が穏やかな凪に変わる。律の匂いを全身にまとわせるように身体に擦りつけていると下半身が疼いてきた。  好きな人の匂いを嗅いだだけで性的興奮をしてしまう浅ましさに恥ずかしくもあったが、盛んな中学生なら仕方がないだろと納得させる。  ズボンの隙間に手を入れて性器に触れると驚くほど固くなっていた。  元々自慰は強制的にやっていただけで、面倒だとすら思っていたがいまは違う。  カリの部分を重点的に擦るとそこから快楽が全身に分泌されて、お腹が重い。  先端から先走りが垂れてくると動きが滑らかになった。  「律……律っ」  律を求めるようにシャツを顔に押しつけたると本当に抱かれているような錯覚に陥り、手に力がはいる。  何度か名前を呼ぶと視界が白み始め、手のひらに熱い飛沫が飛び散った。  達した余韻にしばらく浸ってから見下ろすと手と腹に精液がかかっている。 生々しい光景に頭が一気に冷えた。   「……やっちまった~」  ひれ伏したくなるほどの罪悪感が込み上げてくる。律が忘れたシャツをおかずにオナニーをしてしまったなんて。恥ずかしいのにそれを上回る満足感もある。全身に律の匂いがついたお陰だろうか。  汚れた箇所をティッシュで拭い、シャツは畳んで机の引き出しにしまった。  安心感から眠気がきて、そのまま眠った。

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