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第26話
初めてのヒートから半年が経ち、二年に進級した。
夕日が校舎をオレンジに染める放課後に踊り場へ向かうとなぜか律の姿があった。椅子に座り留学案内のパンフレットを眺めていた視線がこちらに向けられる。
「ここで待ってたら会えるかなって思って」
「……連絡くれればいいじゃん」
「ちぃを待ってる時間は嫌いじゃないからさ」
やさしい笑みを浮かべてくれる律に息苦しさを覚えた。
表面上はいままで通り普通の恋人として過ごしていたが、常に糸をたゆませないようにピンと張った緊張がある。
会話をするだけでお互いの内面を探るような言葉のやり取りが増えた。
「まだ恋人だよね」とはっきり言われたわけではない。けれど律の表情や仕草から自分に対し不安を募らせているのは明白だった。
短く切り揃えられた髪をかき混ぜながら律は続ける。
「今日は三吉さん来れないみたい。さっき昇降口で会ったんだ」
「そっか」
もしかして律が行くと聞いて遠慮したのだろう。
二人同じ空間にいるだけで酸素を奪い合うような真似は辛い。
前までもっと普通に話せていたはずなのに。いつからこんな風になってしまったのだろう。
降ろしたままのこぶしをぎゅっと握る。
「ちょうどよかった。律に話そうと思ってたことがあったんだ」
「なに?」
「別れて欲しい」
律は「えっ」と小さく漏らした。
「ヒートのときにちぃの気持ちを無視して番になろうと迫ったから?」
「それは違う。前から考えていたことなんだ」
律の負担になりたくない。
元々、律に運命の番が現れたら身を引こうと決めていたのだ。律の将来を考えたら別れるのかベストだ。
ずるずると今日まで引きずってしまったのは律のことが大好きだったから。でももうそれもおしまいにする。
「わかった。ちぃがそう思うならいいよ」
「いいのか?」
「ちぃがすごく辛そうな顔してるから」
咄嗟に顔を伏せると律の手が小刻みに震えているのが見えた。きっと堪えてくれているのだろう。律もいまの状況がよくないことはわかっているのだ。
律の想いを疑ったわけではない。なんの取柄もない平凡な自分なんかを好きでいてくれるのは伝わっている。
だからこそお互いの幸せを願った結果なのだ。
ヒートの間隔はなかなか安定してくれず、三カ月でくるときもあれば、半年あくこともあった。
ヒートが定期的にこないとオメガの生命にかかわるらしくいつもヒヤヒヤしていた。
律は三年に進級しても全国模試一位をキープし続け、前代未聞な記録を叩きだしている。
体育祭と文化祭が終わり、残すイベントは卒業式しかない秋口。頭を悩ませているのは卒業後の進路だ。
やりたいことを見つけられないまま三年という月日を無駄にし、いま人生の岐路に立たされている。
ぼんやりと校庭を見下ろしていると三吉に肩を叩かれた。
「進路決めた?」
「まだ。三吉は?」
「とりあえず東京の文学部がある大学」
「ざっくりしてんな」
あっけらかんとした三吉は風のように掴みどころがない。でも彼女のなかで明確な未来を描いているのがわかる。やはりいまの時期で進路を決めていない方がマズいだろう。
「柳くんも東京の大学行こうよ。特に進路決めてないならさ」
「でも金がかかるし」
やりたいことがあって大学に行きたいというなら両親もお金を出してくれるだろうが、ただ上京したいというだけでは説得してもねじ伏せられそうだ。
ただでさえオメガに変異してから母親は異常なまでに心配性になってしまっている。
「そういえばなんで瀬名川くんと別れたの?」
「前にも話しただろ」
律と別れたことは三吉に話した。迷惑かけたくないから、という理由を隠して一番オーソドックスな性格の不一致ということにしてある。
「小学生から一緒でいまさら性格の不一致なんて無理があるでしょ」
「そ、それは」
「柳くんは嘘が下手だね」
くすくすと笑うと三吉の長い黒髪が揺れた。笑うと可愛い顔をしているのに常に周りを警戒しているせいか、いつも怒った顔をしているので珍しい。
「あ、特待が校庭出てる」
クラスメイトの声に外を見るとジャージ姿のアルファ科の面々が並んでいる。まるでそこだけ別の色で塗ったように律の姿が目に飛び込んでくる。
律と目が合い、千紘に気がつくと手を振ってくれた。事情を知らない女子からは歓声が響き、窓際に集まってきた。
「いま瀬名川くん、私に手を振ったよね」
「絶対私だよ」
「え~私」
誰が手を振られたかでじゃれ合いながら楽しそうに話す会話を聞いて、ふいと視線を反らした。
「まだ好きなんだね」
「うっさい。おまえに関係ないだろ」
「なんで別れちゃったの?」
また話を戻された。どうやら逃がしてはくれないらしい。
「あいつは運命の番を求めてる」
「それまだ引きずってたの? いまどきドラマにもならない寓話じゃない」
馬鹿にした様子の三吉をじとりと睨みつける。
「あいつの両親はアルファ同士の見合い結婚なんだよ。だからちょっと冷めてる部分もあって……それで運命の番と幸せな家庭を築きたいって」
律はずっと愛に飢えていたのかもしれない。自分を表面上でしか見てくれない両親に愛されていないと自己嫌悪に陥っていたのだろう。
だから運命の番と出逢えば幸せになれると信じている。
「それで柳くんは運命の番じゃないから身を引いたと」
「まぁそうなるかな」
「莫迦らしい」
吐き捨てるように言って三吉は背もたれに頭を預けた。がたがたと床が鳴る。
「運命の番なんて宝くじに当たるより確率低いんだよ。そんなの無理じゃん」
「わかってる、そんなこと」
「それってさ裏を返せば柳くんが自信ないだけでしょ」
的確に弱い部分を突いた言葉はさらに続く。
「運命だなんて幻想に負けてさ。瀬名川くんと釣り合うくらいの努力をしてきたの? 勉強も運動もなにもやってこなかった莫迦は誰よ」
「……キツイこと言うな」
「だって二人は私の理想だから」
顔に影が入った三吉の表情からは後悔を滲ませているように見える。
「いつか私も瀬名川くんみたいに大切にしてくれる人と番になりたい。そう思ってアルファに見劣りしないよう努力してきた」
オメガはどうしても体格がベータより劣る。だがそれに甘んじないで三吉は努力し続けたのだ。
首根っこを掴まれてようやく気づく。
律のそばにいるためになにかをやったことがなかった。
いつも与えてもらうばかりでそれを受け取るのを当然と思っていた。
(なにが律に運命の番が現れたら身を引くだよ)
別れただけでこんなに胸が苦しくて、律のことばかり考えているのに。
「でも今更より戻すは無理だろ」
「だったらさ、変わろうよ! 成長するために東京に行こう」
さっきと違って三吉の誘いが魅力的な響きに聞こえる。もしかしてこれが当初の狙い通りだったのだろう。
過去の自分をここに置いて東京で律に見合うような男に成長するのも悪くない。誰の手も借りず、自分のことを自分でやって誰からも認められる存在になって律に告白する。
そう決めると未来への進路がぱっと光り輝きだした。
「三吉の言う通りだな。東京に行くよ」
「じゃあそうと決めたら志望校探そう!」
三吉は嬉しそうに大学ガイドブックを開いた。
大学を受験すると決めたら早送りで時間が過ぎていった。受験勉強に平行してオメガが受けられる大学制度やヒートのときに避難できるシェルターの場所、そしてなによりオメガでも借りられるアパートを探すのが大変だった。
部屋はフェロモンが漏れない頑丈な造りでなおかつセキュリティもしっかりしたところとなると家賃が高い。
(働くようになったら親に恩返ししないと)
そう思うと勉強に身が入る。
塾に通うお金まで迷惑はかけられないので、放課後は図書室に陣取って勉強をした。たまに三吉に見てもらったり、それでもわからないときは担任に訊いた。
律には頼らなかった。意固地になっていると三吉に笑われたが、自分の力でどうにかしたかったのだ。
ーーそして無事に合格を勝ち取り、上京した。
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