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第27話
入学式が終わるとオリエンテーション、そして講義が始まる。
そこここでグループができていくなか、やはりオメガは奇異の目を向けられてしまう。見られるだけなら放っておけばいいが、声をかけられることが増えて面倒だ。
「男のオメガって締まりがいいんだろ。一発どう?」
こんな奴ばかりで反吐が出る。無視しているとしつこく追いかけてくるか悪口を流されるかのどちらかで、段々と一人でいる方が楽になっている。
(これじゃ地元にいたときと同じだ)
変わりたく上京してきたのに自分の本質が成長しない限りどこへ行っても同じなのだろうか。
家に帰ってもまだ馴染めない新築の匂いと家具が遠慮がちに出迎えられると孤独を痛感する。
なにもやる気が出ずベッドでぼんやりしていると携帯が鳴った。画面を見ると律からだ。
卒業するまでほとんど疎遠で、すれ違っても会釈する程度だ。それがなんで急に電話なのだろう。
一度深呼吸をしてからタップした。
「久しぶり。どうしたの?」
『一人暮らししてるって訊いて。どう?』
「ぼちぼちかな」
新品の匂いに慣れないと言うと律は笑ってくれた。以前と変わらないやり取りにほっと胸を撫で下ろした。
でも律の声は膜が張ったように聞きずらい。
「電波悪い? 外にいるの?」
『アメリカの大学に進学したんだ』
律の進路先は訊いていなかったが国立に進学するのだとばかり思っていたので驚いた。
昔から何度も留学経験のあるアメリカはよほど心地よいのだろうか。声にノイズがあるせいか普段より楽しそうに聞こえてしまう。
『夏休みになったら帰国するからそのときはご飯でも食べよう』
「じゃあそれまでに東京マスターになっておく」
『期待してる』
笑って別れを告げて通話を切った。
耳朶に残る律のやさしい低音が残って胸を痛くさせる。いつだって心臓の在りかを教えてくれるのは律だ。律だけが自分を生かすポンプみたいな役目をしてくれるのだと思い知った。
朝から頭かぼんやりする。いままでの経験でヒートが近いのだとわかり、学生課へ行き休みの申請をした。
ヒート休暇を申請すれば講義を休んでも欠席扱いにならないが、講義は待ってくれずどんどん進む。友だちがいればノートやプリントを見せてもらえるのになと思う。
(ヒートが明けたら教授たちのところへ回るか)
抑制剤の開発が進むなか、オメガはヒート期でも普通に過ごせる人が増えた。むしろ抑制剤を飲んでヒートを抑えるのがマナーだという風潮すらある。
だが千紘はどんな新しい抑制剤でも効かない。新薬が出るたびに試しているが効果はなく、そんなことを知らない周りからはスケベなんだと好機を含んだ目を向けられる。考えるだけで憂鬱だ。
大学を出て急ぎ足で駅へと向かった。まだ本格的なヒートではないが微量でもフェロモンを出しているかと思うと気が抜けない。
街の中心にある大学は人通りが多く、慣れない人波の隙間を縫っているとふと足を止めた。
なにか感じる。嗅いだことのない匂いにすんと鼻を鳴らせる。
(香水? いや、そういうのじゃなさそうだ)
辺りを見回しているとちょうど横断歩道の信号が赤に変わる。
反対側には同世代の男女やサラリーマン、子連れ家族など多くいるなか一際背の高い男が目を引いた。
バケットハットを深く被り、黒いマスクをして顔は見えないが、男の纏う雰囲気には華やかさがある。
男と目が合った。こんなにも離れているのになぜだかそう確信できる。
どくりと心臓が大きく跳ね、胸が苦しい。
信号が青になると人波が一斉に動きだし、男もこちらに向かってきた。
頭のなかで警鐘が響く。捕まえろ、捕まえろ。逃すな。
千紘は心の声を無視して横断歩道とは逆方向へ走った。男が追いかけてくるのが視界の隅に見えるが構わずスピードを上げる。
(間違いないーー運命の番だ)
本能がわんわん叫び、戻れと命令してくる。それを意思の力でねじ伏せて全速力で走った。
男の足音が近い。血流が激しく流れ出し、酸素不足で肺が痛くなってきた。
大通りに出るとタクシーが走ってくるのが見えた。
手を挙げてタクシーを止めようとすると男がなにか叫んだ。でも構っている余裕なんてない。一刻も早くここから逃げなきゃーー
「千紘!」
名前を呼ばれ振り返ると頭に強い衝撃を受けて意識を失った。
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