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第29話

 洗面所やトイレの場所を一通り案内してもらっているとあまりに豪華な暮らしぶりに目を回しそうになった。 改めて伊吹が芸能人なのだと実感する。  「家、すごいね」  「支えてくれるファンのお陰で仕事を続けさせてもらえるから」  伊吹はモデルだけに留まらず、ドラマや映画にも引っ張りだこの人気俳優でもある。女性人気が高く、ストーカー対策としてセキュリティがしっかりしたマンションとなるとどうしても広くなってしまうらしい。 ありがたいことに大学と病院にも近い。  「ご飯にしようか。なに食べたい?」  「料理できるの?」  「全然できない。じゃあサンドイッチ一緒に作ろうよ」  「俺、利き手使えないんだけど」  「左手の練習も兼ねてさ」  「わかった」  左手で使う包丁にドキドキしながらも一緒にサンドイッチを作るのは楽しかった。二人とも料理ができず、野菜を切って挟むだけなのに大きさや薄さはどれくらいにするかで揉めた。  水分を含んだサンドイッチはとても食べられた味ではなかったが、お腹が空いていたこともあってペロリと平らげた。  お腹が膨れたら眠くなり、ベッドに横になるとするりと伊吹が入ってくる。  「午後から仕事でしょ」  「ちょっとだけ」  「なんだよ、それ」  親とはぐれた子どもが泣きながら歩き回っているのを見かけたときのような心苦しさがある。紛らわせるように髪を撫でてあげた。  伊吹は小さく「幸せ」とこぼし、胸の痛みが増す。  身を捩ると太ももになにか触れた。布団のを覗くと伊吹の性器が固くなっている。  「ごめん、気にしなくていいから」  「伊吹は俺のことが好きなの?」  「そうだよ」  「運命だから?」  「初めて会ったときから」  既視感に眩暈がした。  律にも同じことを言われたと思い出し、未練がましさに泣きたくなった。確かにこの痛みを一人で耐えるのは辛いかもしれない。  伊吹のやさしさに包まれ、温かい肌に触れ、砂糖菓子のように甘い時間に酔いしれていれば痛みは薄くなっていくだろう。  伊吹の腕に縋ると抱き返してくれた。その力加減や匂いが律とは全然違って、こんなところでも律の面影を探してしまう弱い自分に涙が出た。

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