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第31話

 原宿にあるカフェというだけでこうも敷居が高く感じるのはなぜだろう。  椅子に座ってきゅっと身体を縮ませていると正面に座る三吉は笑った。  「そんな萎縮しなくてもいいじゃない」  「俺、田舎者っぽくない? 一緒にいて恥ずかしくない?」  「あんた自分の顔、鏡でよく見た方がいいよ」  それほど酷いということだろうか。ショックを受けていると「逆の意味だよ」と返されたが、よく意味がわからなかった。  「事故に遭ったって聞いて心配だったけど、案外普通だね」  「事故というか自分で転んだだけの自業自得。今日でギブスも取れるんだ」  右腕を掲げて見せると三吉は安堵を頬に浮かべた。どうやら結構心配をかけてしまったらしい。  「じゃあヒートがきたら羽賀くんと番になるんだ?」  「そういうことになるかな」  伊吹とはまだ具体的な話しはできていない。写真集のお渡し会が全国で開催され、昨日から地方を飛び回っている。  帰ってくるのは一週間後だ。  「ごめん、電話」  ポケットの携帯を出すと大学の学生課からだった。  「もしもし、柳です」  『あ、柳さん。先月にヒート休暇申請されましたよね? でもそのあと事故に遭って欠席されてましたけど、ちょうどヒート期間と被っていたということですか?』  「あ」  事故に遭ったことで忘れていたが、あのときヒートがきそうな気配があったのだ。でも転んで怪我をしてからヒートはきていない。  「いえ、ヒートは気のせいだったみたいで」  『わかりました。そしたら欠席扱いになります。成績表も調整しておきますね』  「お願いします」  通話を切って三吉に向き直ると首を傾げている。  「ヒートが半年以上こないことってあるかな?」  「まずないと思うけど、きてないの?」  「うん」  「それはよくないね」  三吉は眉間に小山をつくる。  「ヒートって言い方を変えれば便みたいなもので定期的に出ないと体調を崩すよ」  「そういうもんなんだ」  「この後病院に行くなら訊いてみなよ」  「そうする」  一難去ってまた一難とはこういうことを言うのだろうか。せっかくギブスが取れて自由になれると思っていたのにヒートという問題が出てきてしまった。  「本当に羽賀くんと番になっていいの?」  「いいもなにもないよ。運命なんだし」  「瀬名川くんはどうするの?」  「律は「運命の番」に出会ったんだよ」  「それはネットのデマでしょ。それとも本人に訊いたの?」  「うん」  律から聞かされたので諦めがついたところがある。いや、諦める決心をさせられたの間違いか。  どちらにしろ律には念願の「運命の番」がいる。自分の出る幕はなく、本来あるべき形に収まったとも言えるだろう。  「でも諦めたくないから上京して自分を磨こうとしてきたんだよね? 目標がなくなっちゃったじゃん」  「別に律だけが目標じゃないよ。俺にも夢はできたし」  「でもそれって瀬名川くんがきっかけだよね?」  いまいる大学のことをよく知っている三吉にはお見通しらしい。  「別にいいだろ。三吉には関係ない」  「関係あるよ!」  バンとテーブルを叩いたのでティーカップのなかの紅茶が揺れた。店内にいた人の全員の視線が集まり、周りにぺこぺこと頭を下げて急いで店を出た。  近くの公園のベンチに三吉を座らせる。  「柳くんは私のヒーローなんだよ」  「……は?」  「オメガ判定が出たとき山下がからかってきたでしょ。自分でも事実が受け入れなくて落ち込んでたのに、山下が番になってやると言い出して本当に悲しくて……でも柳くんが怒ってくれた」  「そんなことあったな」  「突き飛ばされて殴られても柳くんは庇ってくれた。だから私はこの人が困ったら絶対助けようと誓ったんだよ」  涙の膜が張った黒い瞳はめらめらと燃えている。奥底に隠していた決意という炎に初めて気がついた。  「そんなこと考えてたのかよ」  「あの件のせいで柳くんはキレさせたらヤバイ奴って陰口言われて、友だちいなかったじゃん」  「律がいたから平気だよ」  「それでも私のせいに変わりはないでしょ」  三吉はずっと気にかけてくれていたのだ。一人でも寂しくなかった。隣にはいつも律がいて、支えてくれていたから。  でもいまその支えがない自分を心配してくれているのだろう。  「私は柳くんに幸せになって欲しいの。いまの柳くん、どんな顔してるかわかる?」  「どんなって」  自分の顔に触れてみると頬が強張り、しかめっ面をしている気がする。確かに幸福に満たされた表情ではなさそうだ。  「柳くんには瀬名川くんしかいないんだよ」  「でも伊吹のことも無視できない」  愛に飢えている寂しい人だ。モデルになるまで女や男をとっかえひっかえしていたと本人から訊いていた。  芸能人になって辞めたが、心の奥底ではいつも飢えていたのかもしれない。 だから「運命の番」である千紘に執着するのだ。  早く番になって安全地帯を作りたいのだとひしひしと感じる。それを無視するなんてできない。  「番になったら終わりだよ。解除できないんだから永遠に縛られる。よく考えてね」  「わかってる。ありがとな」  その場で三吉と別れてバス停に行く途中に伊吹のポスターをみつけた。  赤い口紅をひいた伊吹は大人っぽい色気を漂わせ、物憂げな目でこちらを見ている。  「これ伊吹くんのリップだよね」  「そうそう。すごいカッコいい!」  ポスターの前にセーラー服を着た女子二人がきゃっきゃと声をあげている。伊吹のファンなのかもしれない。  「赤いリップが似合う男ってなかなかいないよね。さすが伊吹くん」  「この前、付き合いたい男ナンバーワンに選ばれてたよ」  「いいな~彼女にして欲しい」  「わかる。でもこんなイケメンの彼女ってものすごく美人じゃないと務まらなくない?」  「それってどういう意味?」  わはは、と笑いながら二人は去っていった。もう一度ポスターを見て、なんだか申し訳ない気持ちがして頭を下げた。  (あまり実感なかったけど伊吹は芸能人なんだよな)  こんな平凡な自分と番になってもいいのだろうか。もしスキャンダルが出たとき嫌な思いをするのは伊吹だ。そのときはどうすればいいのだろう。  不安ばかりが膨らんできて、なぜか律の顔が浮かんだ。  (そういえば律のときも似たようなことで悩んでたっけ)  運命の番ではないから律に相応しくないと重荷に耐えられず、別れを告げた。  でもその似たような悩みが出てきている。  (きっと恋愛ってこういうことなのかな)  自分でいいのかな、大丈夫かなと不安を抱え続けるものなのだ。だから人はメイクの技術を上げたり、オシャレに着飾ったりして自分を高めるのだろう。  「よし」  気合いを入れてちょうど来たバスに乗り込んだ。

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