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第2話
学校の図書館はあまり人が来ない。
中高一貫の私立らしく建物ひとつが図書館として使われている。
そんな立派な図書館なのに今も僕と数えるほどしか利用者がいない。
ひどいときは利用者が僕一人のときだってある。
僕はここの図書館の蔵書量と音のない静かな空間が好きで、暇があれば入り浸っている。
陽の光が差し込む窓際に座って本を読み始めると、肩をたたかれた。
図書館に来るような知り合いはいないから驚いてそちらを向くと、何度も遠くから見た顔。
「読書中すいません、本の借り方教えてもらえませんか?」
初めて聞くその声、初めて近くで見るその顔。
整った顔立ち、耳あたりのいい低すぎない声。
なんでそんな思った通りの、
そこまで考えて目の前にいるその人は遠慮がちに「あの…」と口を開いた。
そうか、僕は声をかけられたんだ。
あぁ、ごめんね と声に出して本にしおりを挟む。
一通り教えたあと自分の席へ戻ると彼も同じように隣に座り、本を読みはじめた。
こんなに近くにいたらとてもじゃないけど本に集中できない。
さっきまで続きが気になって仕方がなかったのに、今は何も内容が頭に入らない。
同じところを何回も読み直しはじめたところで、諦めて本を閉じた。
帰り支度をはじめると隣にいた彼も席を立つ。
帰るタイミングまで、と思って外へ出ると彼がいた。
「あの、さっきはありがとうございました。」
ぺこ、と頭を下げる彼はこうして見るとしっかりと下級生だ。
普通にしていると歳上にも見えそうなのに。
「気にしないで、外部から?」
感情を表に出さないように、それでも少し話したい。
質問したらその分だけ彼の声が聞ける。
そんな気持ち悪いことを考えて軽く自嘲した。
こうして歩いているとよくわかる、彼の方が僕より背が高い。
そんな彼はこちらに注意を向けながら僕の歩くスピードに合わせて歩いてくれる。
「そうなんです。外部からってほとんどいないから
図書館の説明とかなくて焦っちゃいました。
入館だけ案内あっても借り方分かんないんじゃ困りますよね」
はは、と彼は軽く笑う。
今までは離れた場所から見ているだけでよかったのに。
こんな幸せがあっていいのだろうか。
先輩、と呼ばれてそちらを向くともう一度深くお辞儀をする。
「今日、本当にありがとうございました。
俺1年B組の立浪 颯斗 って言います。
よかったら先輩の名前も聞いていいですか?」
「…僕は辰巳 優紀 。
2年A組。また会ったらよろしくね、立浪くん。」
はい、と返事をして彼は1年の教室棟へ戻っていった。
僕はそのまま玄関口へ向かい帰路につく。
今日は今までで一番幸せな日、きっとこれ以上の日はない気がする。
彼とは図書館で頻繁に会うようになり、思っていた以上に仲良くなった。
想像していたよりも性格は明るく、人懐っこい。読書が好き。
漫画もアニメも好みはするものの、小説で自ら想像しながら楽しむのが一番好きだということ。
身体を動かすことも好きで、部活には入っていないけど週に1度サッカーをしにいっているらしいこと。
それから中学から付き合っている彼女がいること。
その彼女とは高校が離れてしまったこと。
色々、たくさん聞いた。
「ね、先輩は彼女いないんですか?」
読書を中断して彼と中庭でランチをとっていると急に聞かれた。
「…いないけど。なんで?」
「先輩モテそうじゃないですか。優しいし、顔綺麗だし。」
食べていたサンドウィッチが口から出るかと思うくらい盛大にむせ返る。
モテそうもそうだけど容姿を褒められたことなんて、生まれてこのかた言われたことも、思ったこともない。
優しいとは何回か言われたこともあったけれど。
喉を潤して一息つくと彼はけらけらと明るく笑った。
はじめて見たときの印象と随分と違う。
幻滅したわけじゃない。むしろ日々好きになるばかりで正直心がしんどい。
「…綺麗って、それ褒めてる?」
もちろん!とややかぶせ気味に言われる。
そんなこと言われたことなくて嬉しいとか嫌だとかそういう感情よりも、恥ずかしい気持ちの方が勝る。
他でもない彼が言うから恥ずかしいんだろう。
「立浪くん、それ男に言ったら怒られるよ。」
「あーまぁ確かに?でも優紀先輩は綺麗ですよ。
俺はじめて見たときから思ってますもん。」
図書館で会ったときから?と聞くとうんうんと何度もうなずく。
なんでこう無自覚に恥ずかしくなることを言えるんだろう。
答えは出てる。当たり前に僕を全く意識していないからだ。
分かっていてもきついなぁ。
僕だけが好きで、僕だけがこんなに意識して、僕だけがこんなに一喜一憂している。
「先輩?怒った?」
不意に寄せられた顔にびっくりしてのけぞる。
こんなにも近くで顔を見たのははじめてで、心臓の鼓動が相手に聞こえそうなほど脈を速く打つ。
ばれてはいけない感情なのにこんなに顔を赤くしていたらいつかばれてしまう。
「ごめ、びっくりしただけ…」
「はは、先輩のその反応、急にキスしたときの彼女みたい。かわい。」
ほら、僕を信じているから彼女の話も出してきて、僕が君を好きにならないと信じている。
同性同士で好きになるなんて、自分には無縁だと。
そんなこときっと考えつきもしないんだろう。
仲良くていいね、くらいしか返せなくて、食べかけのサンドウィッチに手を伸ばした。
なんの味もしない、喉も通っていかない。
むりやり流し込んで、むりやり本を読む。内容がはいってこない。
隣にいる彼が本のページをめくる音だけが頭に響く。
彼と過ごす大好きな時間は、彼が口に出す彼女の存在のせいで地獄のような時間と化す。
早く昼休み終了のベルが鳴ればいいのに。
そんな僕の考えなんて彼は知らずに、テンポよくページをすすめていく。
僕さえ普通だったら今の時間も楽しめたのに。
なんで彼が僕の好きな人なんだろう。なんで友人じゃいけなかったんだろう。
友人になれなくてごめんね。
あのあと普通に教室へ戻り、授業を終えて帰宅した。
彼はきっと何も不思議に思っていないと思う。僕だけがこんなにも悩んでいる。
覗きこまれたときのあの顔が頭から離れない。
綺麗な二重と黒い瞳。すっと通った鼻筋に少し焼けた肌。
――あのままキスされてたら、
そこから先を想像してしまう。彼を僕の想像で、妄想で汚したくないのに。
なんで彼のことを想うとこんなにもしたくなってしまうんだろう。
「……っ、ん…ぁ、っ、イ…くっ……」
僕はきたない。好きな人をこんな風に使って消費している。
ねえ、どんな風に彼女に触れるの?
どんな風にキスをして、どんな風に抱くの?
僕にも触ってほしい。
たくさん触れて、こんな風に彼を汚した僕を嫌いになってほしい。
終わった後はいつもむなしい。別に彼が汚したいわけじゃないから。
ただ本当に好きなだけなのに、僕はいつも彼を使って自分を慰めている。
そのくせ現実の彼に会うといい先輩のふりをした。
いつも彼の横顔を見ながらいかがわしい想像をしているくせに。
彼の声で何度も想像しているくせに。
彼の手、声、身体。
その全てが自分のものじゃないのに、想像の中の彼はいつも自分だけのもの。
僕は目の前にあるカッターナイフに手を伸ばして、手首に一筋赤い線を足した。
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