3 / 24
第3話
中学から付き合っている彼女がいるのは本当のこと。
でもここ最近ずっと別れようと考えている。
付き合った当初は何を見ても、どんなことをしていても可愛いと思えていたのに、いつしかそれが負担になっていたのに気付いた。
恥ずかしそうに笑う姿も、自分を呼ぶ声も、はじめてキスをした日も、身体を重ねた日も。
その日その日が宝物だったはずなのに、気付けば自分にとってガラクタのようにいらないものへ変わっていった。
別れていないのは話をするのが面倒だったからで、自分が最低なのは理解してる。
今は彼女といるよりも優紀先輩 と一緒にいたい。
自分に持ってないものを持っている先輩と一緒にいるのは楽しいから。
先輩をはじめて見たのは本当は図書館でじゃない。
もっと前、高校の体験入学のとき。中庭で本を読む姿が驚くほど綺麗な人だった。
周りの木はあの人を囲む額縁のようで。
そこで木漏れ日を浴びながら本を読む姿は絵画のようだった。
そんな恥ずかしいことを考えていたなんて言いづらくて、つい嘘をついた。
もともと本が好きでこの高校の図書館に憧れてはいたけど、先輩がいたからほぼ確定で決めた。
ネクタイの色で3年生じゃないことを知って、入れ違いにはならないと確信した上で本入学を決めた。
本が好きなら本を口実に近づけるかもしれない。
ただの好奇心で近くにいってみたかった。どんな声で、どんな表情をつくるんだろう。
いるだけで芸術品みたいだなんて、そんなことを人に対して思ったことがなかった。
図書館に初めて行った日。
あの日先輩は窓際の陽があたる席に静かに座っていて、薄茶色の髪がきらきらと反射していた。
色素が元々薄いのか、日本人らしからぬ白い肌と陽に透ける茶色の髪。
写真に残したいくらい綺麗な横顔。
瞳は何色なんだろう。もしかして本当に日本人じゃなかったりして、そう思いながら肩を叩いた。
髪と同じ薄茶色の瞳でこっちを見て、こちらに向けた怪訝そうな顔は一瞬で優しい顔立ちに戻る。
思った通りの瞳と優しい声音。どこまでいっても芸術品みたいな人だと思った。
この人と知り合いになりたい。友人になれなくても、せめてこの人の記憶に残りたい。
そんな好奇心でお礼と一緒に名前を告げた。
辰巳 優紀 、ずっと知りたかったその名前。
それから図書館で会う度に声をかけた。
少しでも印象に残りたい。
馴れ馴れしいと思われてもいいから、少しでも近付きたい。もっと近くで見ていたい。
窓際の席。いつもの場所に先輩はいた。
背筋を伸ばして姿勢よく座って、いつもと変わらない読書スタイルに笑みがこぼれる。
早く隣に行こうと入館証を受付にかざすと今日はなぜかビー、と少し大きめなエラー音。
その音を聞いて先輩がこちらに来た。
「立浪くんそれ、入館証逆だよ。それじゃエラーになっちゃう。」
「これ向きとかあるんですね。気まず。」
お互い苦笑いしながら席へ向かう。
人のほとんどいない図書館はほぼ2人の空間。目に入る範囲には誰もいなかった。
本を鞄から取りだして読み始めたものの、気持ちが落ち着かない。
――昨日彼女に振られたから?…まさか、そんなわけ。
自問自答して短い笑いを堪える。
最低だけど彼女に心が乱されるほど、もう好きじゃなかったのに。
そんなときふと横を見ると、先輩の袖口から見える不自然な包帯が目に入った。
「…それ、なんですか。」
つい口に出た言葉は自分でも驚くほど低い声。
手首を触って言い淀む先輩の手を掴む。
「なにこれ、自分でやったんですか?」
「…別に立浪くんには関係ないでしょ。
不快なもの見せてごめんね。ねぇ手、離して。」
関係ない。そうだ、関係ない。関係ないけど、なんで心がこんなにもざわつくんだろう。
落ち着かない気持ちにプラスして余計な波風がたつ。
腹が立つなんてそんな感情、先輩に持ちたくないのに。
いつまでも手を離さない俺に、ねぇと先輩はもう一度言う。
「…なんで、こんなことするんですか。」
絞り出した声は少しかすれて、半分くらい先輩の耳には届かずに消える。
いつまでも離さない手を無理に抜いて、その手をさすりながら先輩は言う。
「…自傷癖があるわけじゃないから。
ちょっと自分の中でやり切れないことがあっただけ。
昨日がはじめてだよ、もう二度としない。だから怒らないで、ごめんね。」
「……はい、俺も手掴んですいません。」
大丈夫だよ、と優しく言うといつもの先輩に戻る。
――やり切れなかったこと。
こんなに普段穏やかな人がやりきれなくて自傷行為に走る理由は何。
家族、学校、受験、交友関係、――恋愛。
考えてもきりがない。自分はこの人の内面を全く知らないと知る。
外側だけしか知らないことがこんなにも嫌で辛い。
綺麗だなんだって散々言っておきながら外側の美しさしか見てなくて、ここまで何かに追い詰められてることに何も気付きもしない。
仲良くなったつもりでいたのは自分だけで、本当は俺に心なんて許してないのかもしれない。
ざわざわと心が波立つのを感じながら本を読み進める。
―――駄目だ、集中できない。
本を閉じて窓際へ行くと春らしい穏やかな風が図書館を抜ける。
読書の邪魔にならない程度の優しい風。
先輩は集中して本を読んでいて、見ているこちらに気付きもしない。
先輩の役に立ちたいとか頼りにしてほしいとか、そういう気持ちは迷惑なんだろうか。
ひとつしか変わらないとはいえ、歳下では頼りにならないのか。
先輩を見ながら色々考えていると先輩が顔を上げてこちらを見た。
「どうしたの?悲しい話でも読んでた?」
思ってもみない質問。
色々考えすぎて眉でも下がっていたのだろうか。薄茶色の真ん丸な目がこちらをまっすぐ見つめていた。
何も言わずに見つめ返していると先輩は本を閉じて、心配そうな顔でこちらへ近付いてくる。
「立浪くん?どうしたの?…さっきの僕の態度のせい?」
不安そうな顔で覗き込んでくるその行動が可愛くてつい笑ってしまった。
そこでハッとする。
―――俺、この人に恋をしてるんだ。
だから知らないことに苛立つのか。
気付くと同時に絶望する。確かに綺麗だとは思っていたけど。
ただ恋愛感情とは完全に別で、彼女と破局した理由にこの人は関係ない。
別れてすぐに自分の中に芽生えた感情に激しく嫌悪した。
男同士だからとかじゃない。そんなものに偏見なんてない。
ただ別れたばかりで見境がない自分が嫌なだけ。
なんでよりにもよってこの人なんだ。今以上の関係なんて望んでないのに。
好きになるくらいなら遠くから見るだけの存在のままにしておけばよかった。
「先輩、俺しばらく図書館来れないです。
先輩のせいじゃなくて、俺の都合で。」
頭を下げて急ぎ足で鞄をつかむとそのまま出入口まで小走りで向かった。
後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた気がしたけど、振り向かずに図書館を抜ける。
先輩は優しいからさっきの態度が原因だと思ってしまうだろう。
でも違う、違うよ先輩。
まだ先輩と仲良くしたいから今以上に好きになりたくない。
これ以上気持ちが大きくなる前に少しでも頭を冷やしたい。
気のせいだって。気の迷いだって。今までこんなこと一度もなかった。
芸術品や動物を愛でる感情と先輩への好意を勘違いしていたんだろうか。
思った通り、理想通りの見た目で、声音で、態度で。
だから好きになったって?叶いもしないだろうに。現実を見なくちゃ。
優しさに甘えて一緒にいようとするなんて、おこがましいに程がある。
今なら先輩が手首を切った理由が分かる気がした。
やりきれない思いってこういう気持ちだ――。
ともだちにシェアしよう!

