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プロローグ②
夢の中にいるような気がする。
後ろからバサッと音が聞こえたかと思えば、足元に見える赤い屋根がずんずん小さくなっていくのが見えた。まるで鳥や蝶にでもなったみたいに、上空から町を見下ろしていた。
昔ブロックで作り上げた、ミニチュアの架空都市のことを思い出す。けど俺が作った理想なんかよりもっとずっときれいで、人間の息吹が感じられるこの景色。
あっちでは誕生日のお祝いをしていて、そっちでは誰かの帰りを待っていて、こっちの公園では夜空を見上げてなにかを指さす子どもたちがいる。
つられるように見上げれば星空がゆっくり近づいてきていて、もう少しで手も届きそうな気がした。
俺は星が好きだ。夜の闇の中でも、自分らしく輝きを放っている星が。
夜空に手を伸ばそうと腕を持ち上げかけたところで、胸にかかる圧がぎゅっと強まった。
そういえば俺は天使に抱えられているんだった。思い出して、天使の方を向けば彼の顔が自慢げに笑うのを見た。
「あんまり自由に動くのやめろよ、こちとら人間ひとり抱えて飛んでやってるんだからな」
「あ、うん……ごめん」
「どうだ、これで信じる気になったよなァ?」
「そうだね。信じるよ、もちろん」
俺を抱きかかえる天使の腕に、きゅっと力が入ったような気がした。
顔を見れば、鋭い目つきが細められていて、口角が片方だけ妙に上がっている。なんだかさっきよりも悪人面が加速しているような気はするが、これが彼なりの喜びの表情なんだろうと思う。たぶん。
ゆったりと下降して着地したのは、生まれてこの方ずっとここ住んでいた俺でも知らなかった展望台。ツタが絡まり放題なところや周りの緑が茂りまくっている様子を見るに、きっと使われなくなって相当の年月をたったひとりで過ごしてきたんだろう。
一歩踏み出せば、バキっと嫌な音が聞こえた。下手をすれば、床を踏み抜いて落ちる可能性もあるんじゃないだろうか。この町を一望できる素敵な場所なのに、さびしいな。
「でもさ、天使だっていうのは信じるんだけど、どうして俺のところに来たの?」
足元に注意してちょっとずつ移動しながら、気になっていたことを口にしてみた。
「どうしてって……」
天使は頭をがしがしかいている。
いつの間にか純白の翼はどこかに消えていて、天使って意外と便利なもんなんだな、なんて思う。
まあそりゃそうか、人間に紛れてなにかをすることになっても、翼を隠せなければこっちは大騒ぎだし、向こうはいろんなことを失敗するだろうし。それくらいの進化は――いや、もとからの機能なのかもしれないけど。というかこれ機能とかって呼んでいいのかな。
「そのうち教えてやるよ。言うにしても、今じゃないんだよなァ」
「なんだそれ」
この天使は思っていたより表情が豊かだ。ずっと俺をバカにしたような笑みしか浮かべないものと思っていたら、ちょっとうれしそうにしたり、考え込むような顔をしたり、今は真面目そうにしたり。きっとなにか、事情があることには違いないんだろう。
俺だって、言いたくないことを掘り出してまで聞くような男じゃない。それにそのうち教えるって言ったんだ、彼の言う「そのうち」を待とう。
ちらと向けた視界に入った天使の顔は、見れば見るほど整っている。少し眠たそうだけどきれいな目とすうっと通った鼻筋、真っ白の肌に映える真紅のくちびるに、夜風をはらんでさらさら揺れるうすく色づいた白い髪。テレビの向こうでも見ないような美形だ。
出会ってすぐは――まあ、はじまりが印象最悪だったからそう思ったんだろうけど――目つきの悪さや極端な猫背、白すぎる肌が怖くて不気味でたまらなかったのに、「天使」だとわかればすべてが美しく映る。まるで空に輝く一等星みたいに。
と、スマホが震えた。着信は母からで、時計を見れば俺が大学から帰ってきて一時間が経とうとしていた。そんなに長い間、空を飛んでいたつもりはなかったのに。
「ま、まずいかも……」
「ん? なにが」
「母さんから何回もメール来てたし、電話もあったみたいで。……どうしよう」
「仕方ねえなァ」
天使は展望台の床、変色している部分を思い切り蹴って壊しながら言う。
「オレが超特急で送ってやるよ。あとはまあ、天使パワーでどうにかしてやる」
きみが予告もなく俺の部屋に来ていたのが元凶なんだけどな……、とは言えない。
予告されていたからって全面的に信じられる気はしないし、やっぱりこうして夜空を飛んで証明してもらうことになっていたろうから、結局は同じことかもしれない。いや、その場合はいつもより早く家に帰ってたろうからやっぱり――。
「っていうか、天使パワーってなに? 変なことしようとしてないよね、母さんがおかしくなったりしたら許さないからね!?」
いたずらっぽくほほえんだ天使は、けれどなにを言うこともなく、さっきまでと同じように俺を抱えて地面を蹴った。
「ちょ、ちょっとなんで黙ってるの、返事くらいしてよ!」
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