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俺と先輩と天使②
ようやく大学についた頃には、昼休みも半分を過ぎていた。一応、二限目の講義室に向かってみる。
食事中の人影はぱらぱらと見えるが、先輩の後ろ姿は見つからなかった。学食に行ったのだろうか。でも先輩はいつも自分で作ったお弁当を持ってきていて――親に作ってもらってる俺とは大違いだ――、たいていこの講義室で食べているはずで。
俺が隣に座るからそうしてくれていただけで、もしかしたら本当は別の場所が好きだったり、俺が迷惑かけてたり……?
腕時計を見ると、ゆっくりお弁当を食べている時間はもうなくなっている。しかたなく、次の講義のある教室へ向かうことにする。そこで軽く食べよう。今日は先輩と会うことも諦めるしかない。寝坊した俺が悪い。
というか、もとはと言えばあの天使の野郎が昨日の俺に夜更かしをさせたのが悪いんだ。帰ったら謝らせてやらなきゃ。
そんなことを考えながら、三限のいつもの席に座る。と、前にいた学生が振り向いた。
「遅かったね、星見 」
爽やかなセンターパートに、メガネからのぞく知的な瞳。落ち着いた声は、心に沁み込んでくるようで温かい。開いた窓から迷い込んだ風が、うすく色づいた茶髪を揺らす。
「吉植 先輩、ここにいたんですね! 探しましたよ」
「探したのは僕の方だよ。星見、全然来ないんだもん」
隣の席にリュックを置き、お弁当を取り出す。先輩はもう食事を終えているようで、小さくほほえみながら水筒に口をつけるだけだった。
「寝坊? 星見が遅刻なんて、めずらしいよね」
「いやぁ、ちょっといろいろあって昨日眠れなくて。あっ、風邪とか悩みとか、そんなんじゃないんですけどね」
先輩といると、俺の行動に余計なところが増える。今も必要以上に大きく手を振って否定してしまったし、から回っている感じしかしない。言わなくていいことまで言ってしまう。
そんな俺を見ても、手を口元に持って行って優雅に笑ってくれるんだ、先輩は優しい。
「やっぱり、星見っておもしろいね」
急いで昼食をとりながら、先輩の笑みを独り占めする。こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。
俺と先輩との出会いは、水曜二限目――つまり今日俺がすっぽかした講義――英語コミュニケーションだった。外国人の先生が、ずっと英語をしゃべりつづけ、たまに学生にも英語をしゃべらせる講義。
そうとは考えず履修を決めたから、最初の講義ではやってしまったと思った。まだ履修取り消しがきく、英語は諦めよう。それならフランス語にしようか、憧れてたイタリア語の講義はないし。そんなことを考えていたとき、先輩と俺を含む四人のグループでプレゼンテーションをすることになった。それが転機だった。
テーマは、日本で感じられるアメリカ文化について。とはいえ、まずはグループ内で興味のあることから話しはじめてみよう、ということになった。
前の席に座っていたふたりが振り向き、小さくまとまってグループになる。みんながみんな、周りを気にしてるのか、話しはじめようとしない。俺はといえば、人見知りを発揮し、口内が急速に乾いていくのを感じているだけだった。
「じゃあ、まずは自己紹介でもしましょうか」
最初に口を開いたのが先輩だったことを、はっきりと覚えている。
「僕は吉植翔太、二年生です。よろしく」
それからの話し合いも、先輩が中心になって進んでいった。先輩は同じ先生の講義をとっているらしく、進め方もわかっているようで頼りがいがあった。
もっと言うと、わからないことがあれば積極的に先生に聞きに行く姿勢がかっこよすぎた。しかも英語で。先輩の英語は、日本人大学生とは思えないほど、流暢だった。ちなみに俺は聞き取れない。
それから、――どうして一緒に別の講義までとるほど仲良くなったんだっけ? あの頃は時間が進むのがはやすぎて、いろんなことに自覚がなかった。いつの間にか、俺の隣には先輩がいるようになった。
俺が先輩に憧れてるってのもあるとは思うけど、先輩も少なからず俺のこと気に入ってくれてるんだと思う。じゃないとこんなに仲良くなんてならないだろうし。
「星見、英コミの宿題やって来てた?」
「……しゅ、しゅくだいぃ?」
掴んだ卵焼きを口に入れることができない。
「そんなの、ありましたっけ……」
「ほら言ってたじゃない、プリントの穴埋め。クラスルームからダウンロードしてね、ってやつ」
続く先輩の説明に、俺の体温は下がっていく。どう考えてもやってない。提出がないだけ救いだが、次回の小テストの自信はもちろんない。
というか、クラスルームを使わないでほしい。この大学、いろんなサイトでいろんなことをするからこんがらがってしまう。学生のことも考えてほしい。
クラスルームは、外国語系の講義でしか使わないサイトで、俺はまだ二回しか開いたことがない。なんならパスワードやIDすら記憶が怪しい。
「星見ならそう言うかと思ってさ、プリント、二枚コピーしておいたんだよね。いるでしょ?」
先輩は軽やかに笑う。
「せ、せんぱぁい!」
お弁当をつつきながらプリントに目をやる。穴あきになっている箇所どころか、それを導く説明の中に馴染みのない単語を見つけて絶句する。俺ってそんなに真面目に講義聞いてないの……? 確かに英語は聞き取れないし話せないんだけど、それでも読み書きはがんばってるつもりだった。
でも今日の三限目は他と違う。なんなら今期受けてる講義の中でいちばん好きだ。
宇宙のなりたちや銀河の広がり、星の輝きについてまで教えてくれる。もともと夜空に浮かぶ星たちのことが好きだったからか、聞いていて心地いい。それに、教授のしゃべり方もあると思う。本物のプラネタリウムにいるかのような、心を凪にしてくれる穏やかな声色。最高だ。
好きなものの話を、好きな声で、好きな先輩の後ろ姿を見ながら聴けるなんて、どうしたって幸せすぎる。
「星見どうしたの、そんなおもしろい顔して」
「えっ、変な顔してましたか」
「ううん、かわいい顔してた」
「っかぁ~!」
こういうところだ。
先輩はたぶん、人たらしなんだと思う。同性なのにドキッとしてしまう。中性的できれいな顔立ちは、すれ違うみんなを振り向かせる力がある。これで恋人はいないと言うんだから不思議だ。きっと今俺たちの近くに座っている女子軍だって黙ってないだろうに。
現に、こっちを見てにこにこしている子は、俺でも数人見つけられる。ほら、あの金髪ツインテールの子なんてこっちを見てうっとりしてるじゃないか。きっとそれだけ好きなんだろうなぁ。
モテるのってうらやましいなぁ。生まれてこの方モテたことがない俺にとっては、女子にちやほやされるのは夢のまた夢だ。ましてや恋人なんて。
幼少期から変わらない童顔だからか、男として見られるというよりかは仲間と認識されることが多い気がする。高校までずっと、女子は恋愛対象じゃなく友だちだった。
「吉植先輩ってなんでそんな感じなんですか、ずるいです」
「僕がずるいって?」
ふふふ、と笑う様子がいじらしい。
「ありがとう、ほめ言葉だ」
この人は本当にっ!
たこさんウィンナーをつまんだ箸はそのままに、俺は頭を抱えた。
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