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俺と先輩と天使③

「今日の講義もおもしろかったね、やっぱり宇宙は興味深い」  星は地球から見て遠く離れた場所にある。何光年も先にあるその光は、届くのにも同じだけの時間を要する。 「今見えている星は過去の状態って、不思議なことですよね」 「きっと、向こうでも同じ時間が流れているはずなのにね」  別の星に、地球と同じような環境があるとして、同じような生命体がいるとして、同じような日常を過ごしているんだとして。それでも彼らの今の日常を見に行くことはできない。向かうのにかかった年数だけ進んだ日常を見ることになる。それに、地球に帰ることができたとして、同じだけの時間をかけることになる。俺の知ってる日々の影すら、もうなくなってるんだろうな。浦島太郎だ。 「太陽の光すら、約八分かかってここに届くって言ってましたね」 「つまり、見上げた先の太陽は八分前の姿ってことだね」  まあ、天使がいるくらいだ、きっと、まだ解明されていない未知なことなんて、もっとずっとたくさんあるはずだろう。もしかして悪魔どころか、本当に宇宙人だっているかもしれない、なんて。  あれ、天使に会ってから逆になってるな。俺、もともと地球外生命体のことは信じてたんだけど、悪魔が先に来ちゃった。 「星見はさ、神さまって信じる?」  学問の中に生きているイメージの吉植先輩が、そんなことを言うのは意外だった。宗教的な発言は、その口から聞いたことはなかったから。 「俺は……」  信じてない、と言えば嘘になる。昨日までは本当だったのに、天使に会ってしまった。天使がいるなら、仕える先だっているはずだろう。 「信じてなかったけど、もしかしたらいるのかもしれないなぁ、なんて思うようになりました」 「おや、いいことでもあったのかい?」 「いやぁ、むしろその逆と言いますか……」 「そう? まあ、でもさ、宇宙の話を聞くと、神さまってどこにいるんだろうって、思うよね」  確かにそうだ。宇宙から俺たちを見ているんじゃなかったら、別の次元にいるんだろうか。  そういえば日本では「地球は青かった」とかいうセリフが有名になっているが、神を信じる地域では、そんなことより「神はいなかった」だかなんだか、そっちのセリフの方がメジャーらしい。 「宇宙の、はじっことか?」 「そうだね、宇宙の端はまだ見つかっていないから、もしかするといるかもしれないよね」  先輩に肯定されると、正解を導き出せたような気分になってうれしい。 「でも、宇宙は広がり続けているって言われると、端はどこなんだろうね」 「……神さまがいるからこそ、宇宙が広がっているって考えるのはどうでしょうか」  地球だけを観測していてもつまらなくなってきたから、別の世界を作って遊んでいる、とか。神さまも研究者で、宇宙をどこまで広げたらどうなるのか、研究しているところ、とか。  思いついたことを言ってみると、先輩はどれもおもしろがってくれる。 「もしそうだったらおもしろいよね。神さまに匹敵する科学者が出てきたら、対談だって実現するかもしれない。そう思うと楽しいね」  でも――。先輩は急に難しい顔になって続けた。 「こうして話してみてもやっぱり不確定な要素が多すぎる神さまより、妖怪や妖精の方がリアリティがあるとは思わないかい」 「妖怪や、妖精……?」  吉植先輩はにこりとほほえむ。 「説明のできないものを恐れた人間が、それを説明するために妖怪のせいにした、というのはよく聞くよね。でもそれが本当である可能性だってあるとは思わないかい。例えば疫病。それが妖怪のしわざだったとして、現代の医療では治せるようになった。そうしたら、本当は疫病を広めてきた妖怪はお役御免で、さようなら。どうかな」  まるで俺の反応によって事実が決まるかのように、先輩はこちらに期待の目を向ける。いつもよりも怪しい笑みで。 「その可能性は――」  あるんだろうか。いや、天使もいて妖怪も妖精も、悪魔も神さまもいるなんて、地球が混乱してしまう。 「どうなんでしょう。天使や悪魔がいるなら、妖怪はいないのかなって」 「どうして?」  目を輝かせて迫ってくるものだから、少しひるんだ。 「だって、もし天使と悪魔がいて、でも妖怪が悪さをしましたって言われたら、悪魔の仕事はどうなっちゃうんだって話だし」  俺はリュックのポケットからソーダ飴を取り出して口に放り投げた。それからひとつ先輩に差し出す。  いつもとは違う不思議なことを言う先輩には、きっと糖分が足りてないんだ。 「でも、天使や悪魔がいない可能性もあるよね? だとしたら、――妖怪や妖精がいる可能性も考えられる」  いるんだよなぁ、俺の部屋に。とは言わない、言えない。 「っていうか、この話ってなんですか?」  先輩にはこういうところがある。気になったことをとことん俺と話し合うっていう、約束? いつからか、こういう流れができていた。  この前は幽霊はいるのかだったし、その前は風はどこから吹いてくるのかで、それより前には恋や愛は必要な感情なのかだった。  明確な答えがある問いもあれば、ただ議論するだけで終わってしまうものもある。先輩も不思議な人だ。  ふと、視界の端に金髪のツインテールが見えた。まただ。彼女、きっと――。  先輩は上気した頬をぱちぱち叩きながら言う。 「そういえばさ、ストーカーがいるんだよね」 「えっ!?」  やっぱり、と思った。先輩と一緒にいるときいつも、視界の端には彼女がいる。長い金色の髪をふたつにまとめて、ふわふわのワンピースを身にまとった女の子。  本気でストーキングするつもりなら、もっと目立たない恰好をするべきだ。見当違いな怒りを抱きながら、俺はそっちをにらんだ。きゃっと声が聞こえた気がして、すぐに走り去っていく音が続いた。 「大丈夫ですか、なにもされてないですか」 「うん、僕は大丈夫なんだけど――」 「それならよかった……!」  先輩のことを好きになる気持ちは、同性である俺でもよくわかってしまうくらいに、先輩は魅力的だ。しかし、だからといってストーカー行為をしていいことにはならない。  確かに、どんなふうに日々を過ごしているのか、気になるところではあるんだけど。そこまで考えて、俺はぶんぶん首を振った。 「星見はこのあと、なにもないんだっけ」 「はい。先輩はバイトでしたね」 「うん、じゃあここで。また来週だね」  また来週! 言いながら、俺は大きく手を振った。後ろ姿が見えなくなるまで、その場で見送る。  上げていた手を両頬に当てて、思わずため息を吐いた。先輩ってば、本当に美人で優雅で、かっこいい――。 「デレデレしてて気味の悪いこった」  先輩にうっとりしていると急に、耳もとから心底嫌そうな声が聞こえて、飛び上がる。頬がくっつくくらいの距離にやつがいた。 「きっ、きみ! 今までどこにいたんだよ!」 「どこにいたっていいだろ、オレは妖怪でも妖精でもなく、天使なんだから」  会話ぜんぶ聞いてたのかよ、趣味悪いな……。まさにこいつの方がストーカーだよ。  肩を落として帰路につく。本当だったらイヤホンを突っ込んで好きな音楽を聴きながら帰るのに、隣に人が――ましてや天使なんかがいたら、そんなことできない。仕方なく、天使と並んで歩くことにした。 「さっきみたいに飛ばないの?」 「飛んでるの見られたら厄介だしな。それに今は、アンタとの会話の時間だから」  そんなの必要ないんですけど。というか、お仕事しに人間界(こっち)に来たって話だったんだから、ちゃんとしなよ。俺みたいなちっぽけな存在なんかに構ってないでさ。  気持ちをため息にまぜて吐き出す。 「あとさぁ、アンタ」  天使はいつになく真面目な顔と声で、言う。 「なんでもかんでも信用しすぎな。ちっとは疑うことも勉強しろよ」  ――じゃないと、痛い目見るぜ。  天使がなにについてそんなことを言うのか、俺にはわからなかった。自覚がない。信じてまずい人なんて、この世にいるんだろうか。  確かに、先輩のストーカーなんかは危ないだろうけど、ちゃんと注意したらわかってくれるはずだ。根っからの悪い奴なんて、この世界にいるはずないんだから。 「はいはい、天使さまの言うとおりに」 「おい、オレはマジメに言ってるんだぞ。ちゃんと聞けよな」 「わかってる、わかってる」  天使はむすっとして、腕を組む。  忠告はしたからな、なんて言われても困る。俺は恵まれてる、周りに変な人はいないんだ。話の通じないような悪人なんて、近くにいるわけないんだ。

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