11 / 32

いたずら②

 家についてからもう一度、財布の中身を確認した。が、それでも異常は見つけられない。やっぱり先輩の言うように個人情報を抜かれたんだろうか。  というか、宮前ってやつ、あまりにも怪しすぎる。だって俺は絶対に――忘れ物や落とし物はするかもしれないけど、財布を失くすわけはない。 「おいゆうすけ、どうしたんだそんな顔して」 「いやぁ、なんていうか、スリにあったみたいで」 「……スリぃ? んで、財布以外は?」  一応、大学に持って行っているリュックの中身をぜんぶ出して確認しよう。他になにか盗られている可能性に、今の今まで気づかなかった。 「ってかきみって天使なんでしょ、見守ってくれてたりしないの?」 「いや、その……、オレは見てないな」  リュックの中身を全部床に放り出す。教科書やノート類はなくなっていない。ペンケースも定期券もあるし、ティッシュやハンカチもいつもの場所に入っている。ノートパソコンなんて高価なものは持ってないし、スマホはいつもポケットに入れている。  他には――。 「あっ!」 「わあっ、いきなり大きな声出すなよ。びっくりするだろ」 「なくなってるんだよ」 「財布以外にも?」 「先輩から借りた、『銀河鉄道の夜』が」 「あ、あー……」  確かに持ち歩いているはずだった。緑色の妖精が描かれているブックカバーごと貸してくれた、先輩の本。宮沢賢治の文体がちょっと難しくて冒頭から理解できずにいるけど、ゆっくり大切に読んでいたはずなのに。  毎日の電車の中で一ページずつ読んでいて、それは一昨日もその通りだったはずで。昨日は、きっとスマホで調べ物をしながら登校していたから、つまり昨日のうちに盗られた、んだろうか。もしかして、普通に失くしたとか、そんなわけはないよな?  天使が目の前でふわふわ浮いている。俺がはいつくばって、血眼になってまで探し物をしているっていうのに、天使ってやつは優雅なもんだ。 「あー、なんだ、その」  天使は言いにくそうに口を開いた。  今、俺は忙しいの。見てわかるでしょ。頬をふくらませながら天使を見やる。 「オレも探してやるから、明日の分の課題でもやったらどうだ」 「……わかった、けど」 「けど?」 「終わったらまた大学まで連れて行ってくれる?」 「……まさか、探しにいくのか? じゃあ、わかったわかった! ゆうすけが課題をやってる間にオレが大学探し回ってくるから。な、これでいいだろ?」  いい加減目の前がにじんできた俺を見かねてか、シンは慌ててそう言った。天使もこんなふうに、人間みたいに焦ることもあるんだな。  俺が力なくうなずくと、シンはビュンと音だけを残して窓から出て行った。だから仕方なく、俺も勉強机に向かうことにした。今の状況じゃ集中もろくにできない気はするが、それが交換条件だ。俺だって約束は守りたい。  集中力アップの動画を再生したスマホを机のすみに置いて、明日の予習範囲を開く。明日は木曜日、あるのは体育、英語会話と英文学だ。必要なのはワークブックの予習と、明日やる分の教科書の予習。  考えながら、こんなにも真面目に大学生してるのなんて、俺くらいなもんなんじゃないかとか思いはじめる。だって他の学生は予習なんかしないで、バイトやら遊びやらに時間を使ってるんだ。俺、えらすぎ。たぶん、俺より吉植先輩の方がちゃんとしてるんだろうけど。  開いたワークブックとにらめっこしながら、けど天使のことが気になっている。今はあの白い翼でぱたぱた飛びながら、大学構内を探しているんだろうか。  もしかして天使には探し物に特化した能力があったりして。感覚でわかるとか、探し物の輪郭が別の色に見えるとか。いや、もしそうだったらもう帰って来てるか。 「はぁ、どこやっちゃったんだろ」  俺は俺で心当たりを、脳内で探す。  電車で読んでて、座席に置いてきた? いやいや、そんなへまはしない。だって借りものだ、どこかに置くくらいならリュックにしまっているはずだ。  次の講義待ちのときに読んでて、机の中に忘れてきたとか。いや、机の中にものを入れることはしなかったと思う。それで一回ノートを失くしてるんだから。  じゃあ、どこにやったんだろう?  先輩に借りた本の居場所を探すことに夢中になって、予習が一文字も進んでいない。それに、気づいたらスマホから流れていた自然音が止まっている。もうそんなに時間が経ったのかと思ってスマホ画面を確認すれば、電源が切れている。なるほど、それで音がなくなっていたのか。じゃなくて。  いつも日中に着けている腕時計を確認しても、あれから一時間程度しか経っていない。いや、一時間も経ったのに俺はなにもしていない。  頭を抱えて、かきむしる。 「あぁもうっ! やってられないよ!」  なぜだろうか。やっぱり最近はよくないことが頻発している気がする。シンは本当に天使なんだろうか、なんていうバカげた考えがまた頭をもたげる。  本当は悪魔なんじゃないか?  だとしたらすべてに説明がつく。不運の連続で悪魔は俺を誘惑しようとしてるんだ、きっと。現状から救ってやるとかって言って、契約を持ち出すに違いない――。 「なわけ、ないよなぁ」  深いため息が、無意識に口から出ていく。  と、窓が開く音がした。 「おい、ゆうすけ、オレが戻ってきたぞ」 「おかえり。それで、見つけられた?」  ほとんど望みはかけずにそう聞いてみる。きっと天使だって見つけられるようなものじゃない。今度の俺は不運が味方してるんだから。 「ほらよ。これだろ、探し物」 「……えと、本当に見つけてくれたの? ありがとう!」  ブックカバーをじっくり見る。これだ、これこそ先輩に借りていた本、なはずだ。カバーを外してみれば中身は当然『銀河鉄道の夜』。  ぱらぱらめくってみれば、俺の読みかけの部分にしおりが挟まっている。妖精がふわふわ飛んでいるデザインの、金色のしおり。 「これだよ、これ! ありがと、シン!」  勢いで抱きついてしまうくらい、うれしかった。失くしたと思っていたものが返ってくる、それだけじゃない。今回は、大切なものだった。憧れの人に借りた、大切なもの。  とにもかくにも、踊り出したくなるくらいにはうれしかった。 「で、シン、これはどこにあった?」 「どこにって……、どこでもいいだろ? 見つかったって事実が大切なんだからな」 「まあ、それもそうだ。本当にありがとう!」  いつも通りに片方だけ上がった口角が、ぴくぴく揺れているのを見た。きっとシンも、俺の探し物が見つかってうれしいんだろう。自分のことのように喜んでくれる仲間がいるっていうのも、うれしいことだ。  今日はゆっくり眠れそうだぞ、そう思っていたのに――。

ともだちにシェアしよう!