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いたずら③
「おいゆうすけ、大丈夫かよ?」
「あい……」
詰まり切った鼻をずびずびいわせながら、返事をする。
身体があつい、頭がくらくらする、視界が回っているような気がする。完全に熱がある。吐き気がないだけマシ。
その上、腫れぼったい右目は、ほとんど開かない。こっちはものもらい。なんて不運、最悪の極みだ。
おでこに貼られた冷えピタは、もうほとんど体温と同じ温かさになっている。それを変えてほしいような気はするが、お願いするために口を開くのすらおっくうでたまらない。
喉は痛いし、鼻水は止まらないし、目は開かないし。どうしてこんな目に遭わなきゃならないんだ。俺がなにかしたってのかよ。
階段をのぼってくる足音が聞こえる。母さんだろう。きっとおかゆかなにか持ってきてくれているに違いない。
ノックがみっつ鳴る。
ふと、天使の方を見ると、心配そうな顔をしながら羽根にくるまるのが見えた。最近知ったけど、あの天使の羽根にくるまることで人間からは見えなくなるらしい。そういう能力もあるんだなぁ、なんて。今はそれくらいしか頭が回らない。
「優亮、お友だち来てくれたよ。入るね」
お友だち? 聞き返す余裕もなく扉が開かれる。
「大丈夫かい、星見?」
聞き慣れた穏やかなその声は、まぎれもなく吉植先輩のものだ。うれしい半分、うつしてしまわないか心配半分。
というか、母さんもよく通したな。こんなに高熱を出している息子の前に、友人を連れてくるなんて。そんなことしない方がいいに決まってるのに。うつしたら迷惑かかるだろ。
言いたくても口が開かない。開いたとて、うめき声が漏れ出るだけだ。
吉植先輩はなにを気にすることもなく、ベッドのそばに膝をついて冷えピタを外し、俺のおでこに手を当てる。
「ひどい高熱だね、つらいだろ星見」
なにも言えない代わりに小さくうなずく。
「僕にうつしてくれて構わないよ、それで星見が楽になるならね」
いつの間にか母さんはこの部屋からいなくなっていて、ここには先輩と俺のふたりきり。なんとなく、どきどきしている気がするけど、これは熱のせいなのか、それとも。
先輩の冷たい手が、俺の頬を撫でる。ひんやりとしていて気持ちがいい。雪に触れているみたいで、すぐさま溶けていきそうな気がした。このまま俺の中に溶け込んでしまえばいいのに、なんて、勝手に考える自分がいる。
その細い指がくちびるをなぞるのを感じる。なにをしてくれるんだろう。期待が膨らみ、けれどそんなわけはないとすぐしぼむ。
「星見、僕はね――」
先輩がなにか言う。意識が遠くなっていく今の俺には、聞き取ることができない。この眠気には逆らえない。
真っ赤なくちびるが横に広がるのを見た。一瞬、背後を見たかと思えば、にい、と笑って、それから顔が近づいてくる。おでこに、柔らかな感触が伝わってくる。目を閉じてしまったから確証はないけど、きっとおでこに口づけをくれたんだろう。
――あぁ、好きだ。俺は先輩のことが、好きなんだ。
今さらになって自覚した。俺は、吉植先輩のことが大好きだからずっと追いかけて、彼に似合う人間になろうと努力していたんだ。きっとそうだ。
そのキスを、くちびるにくれたらよかったのに。思いながら、意識を手放した。
――ぼんやりとした意識の中、俺の名前を呼ぶ声がする。心配する声が聞こえる。
おでこに乗っていた温かななにかが離れていき、代わりに冷たいものが乗せられる。きっと冷えピタを取りかえてくれたんだ。
腕を持ち上げられたかと思えば、左脇になにかを挟まれて、しばらく時間が経つとぴぴぴと音がする。体温計だろうか。ちょっとは下がっているといいな。けどこんな調子だ、きっと一度も下がっていないだろう。
上体を起こされる。背中にぬるいタオルがあてられて、汗を拭いてくれていることがわかる。確かに、背中は真夏くらい汗をかいていて気持ち悪かったからありがたい。ついでに首や脇、ふとももまで拭いてくれた。
けど、これは誰なんだろうか。きっと母さんじゃない。だって母さんの手はこんなに大きくないし、骨ばってもいないはずだ。それに、声が違う。低くて穏やかで、安心する声。
きみは誰だ?
聞いてみたいけど、思うように身体が動かない。意識もはっきりしない。口を開けても、声を出せても、言葉にできない。
自分の身体がベッドに横たえられるのを感じている。それから布団をかけなおしてくれて、さら、と髪の毛が頬に触れる。
それから、もう一方の頬に手が触れて、ふよふよと撫でられる。くすぐったいようでありながら、愛を感じる。
しばらくすると、手が離れ、けれど戻って来て、なにかが顔に近づいてくる気配があった。なにかが起こるわけでもなく、離れていったそれは、もしかすると顔だったのかもしれない。息のあたるのを感じた気がした。
ぎぎ、とベッドの軋む音がして、身体の横のあたりがへこむのを感じる。きっとそこに座ったかなにかしたのだろう。うすく目を開いて見てみれば、そこには誰かの頭があった。腕を枕にして、こちらを向いている。
先輩、もしかして看病してくれているのかな。俺との気持ちは通じ合っているってことなのかな。そうだったらいいな。
また眠気がやってくる。もしかすると今の一連のなにかは夢の中だったのかもしれない。思いながら、くらくらする頭で考えることをやめた。
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