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天使と妖精②
翌朝、いつも通りアラームで起きて、いつも通り着替えをすませて、いつも通り朝食を口に運んだ。
いつもと違うのは、天使がふくれっ面ですぐ近くにいることだ。今までは部屋の外までついてくることはなかったのに、今日はリビングにまでついてきている。父さんも母さんも仕事に出ているからよかったものの、ちょっと浮いている友人が隣にいたら、両親はなんて言うだろうか。
「なあシン、どうしたんだよ」
「どうしたって、なにが」
「いや、いつもと違うから」
そっぽを向いたシンは、ぼそっとなにかを言った。ゆうすけが油断ばっかりだから、とかそんなことが聞こえた気がする。
油断ばっかりで悪かったな。けど、妖精の力にやられてたんだから、仕方ないじゃないか。とは言わない。そんな口答えをしたら、きっともっと嫌われてしまうから。
「大学でアイツに会ったらどうするんだよ」
寝る前から考えていたことを聞かれて、けど答えることはできない。どうしたらいいのか、思いつかなかった。
「会っちゃったときに考えようかなって」
「そんなんで大丈夫か? また取り込まれるなよ」
「……うん、ごめん」
なんで謝るんだよ。キレ気味の声がまた俺を委縮させる。
温め直したみそ汁がふわりとかおる。ずず、とすすって、今日という日に感謝する。昨日のことがあったからか、日常がとんでもなくうれしい。
「でもホント、アンタが生きててよかったよゆうすけ」
「生きててって……。一応死ぬ要素はなかったよ、一応ね」
「あー、悪い。別に思い出させたくて言ったわけじゃないんだ」
「大丈夫、意外と俺メンタルは強いみたいだから」
「だったら、よかった、……のか?」
首をかしげる天使をよそに、俺は出発の準備を整える。茶碗を洗って、歯を磨き、顔を洗い、それから髪を整えて、玄関に立つ。そんな俺の隣には、やる気満々の天使がいる。なんで?
さっきまで翼をばさばさやりながら浮いていたのに、目の前には俺の靴を勝手に履いているシン。どうやら靴ひもを結ぶのが苦手らしく、自分でほどいていたのに苦戦している。そんなことならほどかなければよかったのに。
じゃなくて、なんで俺の靴を履いてるんだ? なんとなく見守っているけど、これはつまり、一緒に外に出るつもりなんだろうか。だったらもっとまともな服を着てほしい、けど天使に常識なんて通用しないものだろうか。
「よし、いいぜ」
まったくよくない縦結びを自慢げに見せながら、シンは立ち上がる。どうやら本当に外に出るらしい。どこに行くんだか知らないが、歩きたがるのもめずらしい。仕方ないから一緒に行ってやることにする。
玄関を開け、一緒に出てから、鍵を閉める。駅の方へ向かって歩き出す俺の隣には、にこにこ顔の天使がいる。はたから見ればちょっとだらしない恰好のただの人間だけど。
「で、シンはどこにいくの」
駅のホームで電車を待つ間、聞いてみた。
まさかとは思ったけど、こいつ、交通系ICカードはもちろん、小銭すら持っていなかった。なんで俺がこいつの分の電車賃まで払わなきゃいけないんだ! 天使ってやつは人間界の常識を知らないものなのか? 普通は逆だと思うけどな。俺よりいろんなことを知っている天使であれよ。
「ん、大学」
「……は?」
思いっきり大きな声を出したくてたまらなかった。はぁ? と耳もとで叫んでやりたい。
なんなんだこの天使。だったら先に教えてくれたらよかったのに。いや、先に言われていたらどうにかがんばって来させないようにしていたはずだから、それを見越してのやり口か……?
どっちでもいい。今すぐ帰さなきゃ。
「いや、いやいやいや! シンは帰ってくれ」
「なんで? オレはオレのやりたいことをやる」
「大学に来られると俺が困るの」
「困らせたりしないぜ。ほら、天使パワーでどうにかなるから」
「てっ、天使パワーって結局なんなんだよ。怖いこと言うなよ」
「怖かないだろ、だって天使なんだから」
「あとあんまり外で天使って言うなよ?」
電車の端、壁に寄り掛かりながら頭を抱える。こんなことなら玄関に来たときに止めておくんだった。
「ほんっとうにごめん!」
会うなり頭を下げられて、隣にはにやにや笑う天使がいて、俺はもう、どうしたらいいのかわからなかった。
「いや、謝っても許されるわけないってわかってるんだけど、それでも謝らせてほしい。本当に申し訳ない」
ワイシャツに黒いネクタイをした先輩は、電車を降りてすぐ駆け寄って来て、駅のホームにも関わらず大きな声でそんなことを言いはじめた。
俺はおろおろするしかできなくて、それを見てシンは笑っている。きっと楽しいんだろう、なにがかは知らないけど。
「いや、その、頭を上げてください先輩……」
と、先輩の肩のあたりに小さなヒトが見えた。蝶々のような翅 をぱたぱたさせながら、けど、腰を折って頭を下げている。どうやら、妖精も一緒に俺に謝ってくれているらしい。昨日のあの態度からして、そんなことはしないと思っていた。
先輩は頭を下げながら、自分の肩に手をやった。その手が妖精に触れ、もっと深く首を下げさせられる。そんな様子を見ていると、俺もつい笑ってしまった。
「いいんです、先輩。大丈夫だから、頭を上げてください」
「はァ? いいわけないだろ、バカ!」
隣で天使はうるさくしているが、俺は先輩と妖精の肩に手と指を置いた。
許すな! とぎゃあぎゃあ騒いでいる天使は置いて、俺たちはとりあえず地上に出る。大学構内の、日陰になっているベンチにみんなで座った。
「先輩は妖精の力にやられたんですもんね?」
「そうなんだけど、信じてくれるの?」
「もちろん、俺にも厄介な居候がいますし、昨日見せつけられちゃったんで、信じるしかなくなっちゃって」
背もたれの部分にちょこんと座っている妖精は、頬を膨らませてそっぽを向いている。本当は嫌なんだろう、謝るなんて。僕はきみのために、なんて言葉が聞こえて来ている。
もしかすると、妖精はよかれと思ってやったことだったのかもしれない。自分と一緒にいる人間の、願いを叶えるために。だとしたら、俺も少しは気持ちがわかる、気がする。彼のやり方は全然よくなかったけど。
「クソガキ! オレは許さないからな!」
「おいシン、大人げないぞ」
「大人げもなにも、……こいつだって子どもに見えるかもしれないけどな、オレと同じくらい生きてるんだぜ!?」
「そう言われても仕方ないことを、僕はしてしまったから……」
「先輩も、もう気にしないでください。俺、全然大丈夫なんで!」
「おいこら吉植! アンタも許してないからな!」
「だからシン、落ち着けって」
「おっ、落ち着くもなにも……っ!」
しばらく妖精を指さして固まっていたシンだったが、ふっ、と息を抜いたかと思うと、急に力なくベンチに座った。諦めてくれたならそれでいい。俺はもう、なにも気にしないことにしたから。
妖精が小さく笑ったように見えて、それから俺の中にまた砂時計のイメージが――けど、空の砂時計だ。
「だっはっはー! 残念だったな、コイツはオレのもんだ」
シンは俺の手首をとったかと思うと、妖精に見せつけるようにした。俺にもなにかが見える。右手首についた、うすく紫に光る輪。
「こ、これって……」
「オレのツバつけといたんだよ。また他のやつらにたぶらかされたら、たまったもんじゃないからな」
妖精が悔しそうに顔をゆがめる。それを見て吉植先輩は、こら、と妖精を叱りつけはじめた。シンはといえば、その様子を見て性格悪そうに笑っている。
なんだ、この日常。おかしくなってしまった……。
俺は今日何回目か、頭を抱えた。
もしかして、明日からは――というか、もう今日からなのか? ――こんなのが俺の日常になるんじゃないだろうな。このまま先輩と妖精と、しかも天使に囲まれて、俺は大学生活を過ごすのか? うまくやっていけるのかよ。
そんなことを考えていると、後ろから肩を叩かれた。振り向けばそこには、金髪ツインテールの赤いワンピース。
「ね、ゆーくん、迎えに来たよ。結婚しよ?」
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