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宮前紅壱郎①

 結婚を約束したつもりはなかった。というか、あれは子どもの言うことであって、本物の婚姻にはつながらない。  それに、子どもの頃に言う「ケッコン」なんて、ぼんやりとした幸せを示すものだ。それはつまり、ずっと一緒にいたいねとか、幸せになりたいね、みたいなのと同じ。  幼稚園のとき、好きな子がいた。幸せなことに、その子といちばん仲がよくて、どこに行くにも一緒で、ずうっと手をつないだままだった。帰る頃になると、当たり前だけど、つないでいた手は離さなきゃいけなくて、その子は毎日のように泣いた。俺はそれを見て、寂しくなって、一緒になって泣いた。  いつだったか、その子が俺に好きだと言ってくれた。俺も好きだったから、ぎゅう、と抱きしめた。それから近くにあった赤い花を摘んで、花束として贈った。「ケッコンしよう」なんて言葉と一緒に。そしたらその子は、満面の笑みに涙を浮かべて、俺に抱きついた。「ゼッタイにね」と言いながら。  小学校にあがっても同じクラスだった。小学生にもなっても手をつないでいるのは子どもっぽいと言われて、俺は嫌だったけど、その子は俺を離そうとはしなかった。だから俺は、仕方なく――いや、もしかしたらすごくうれしかったのかもしれないけど――ずっと手をつないでいることにした。  最初は席が隣だったからよかったけど、席替えをすることになってその子はひどく暴れた。絶対に俺の隣じゃないと嫌だったらしい。そりゃそうだろう、休み時間も登下校もずっと俺と一緒で、手を離している時間の方が短いのに、席が離れるなんて考えられなかったに違いない。暴れて暴れて、暴れた結果、先生が負けて、その子は俺の隣になった。  俺の左側にいることが好きだったらしい。なにがよかったのかわからないけど、右じゃダメで、だから席替えのたびに俺の左側に座っていいことになった。  記憶の中のことだから、これが本当のことなのか、それともちょっとおおげさになっているのかはわからない。けど、それくらい俺のことを好いてくれていたことだけは確かだ。  それが急に転機を迎える。その子が転校することになったのだ。あれは、二年生に上がる前だったと思う。  冬、雪の降る中、その子を送る会が開かれた。学校にプレゼントを持ち込んでいいことになったのはあれっきりだ。バレンタインのチョコレートすら表面的には許されていないのに、そのときの贈り物だけは大々的にオッケーとされていたのを覚えている。  俺はその子に、マフラーを渡した。真っ赤でかわいくて、大人がつけるような長いマフラー。帰りにはふたりでそれを巻いて、手をつないで一緒に歩いた。  その子は、引っ越しをする当日、わざわざ俺の家に来て手紙をくれた。字を書くのが苦手だったその子は、がたがたの、けど思いのこもった文字をくれた。押し花を添えて。  ――ケッコンできる年になったら、むかえにいくね。まってて、ゆーくん。

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