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宮前紅壱郎②

「そんなヤツいたっけか?」 「……いや、きみは知らないんじゃない?」  目の前にはあの頃の面影を感じなくもない、赤ゴスロリが立っている。金髪には赤いカチューシャ、ツインテールはくるくる巻かれていて、顔には濃いめの化粧が施されている。しかもカラーコンタクトまで入っているように見える。足元にはかかとの高い黒の編み上げブーツ。  あの頃の影は、やっぱりないかもしれない。  線の細かったシルエットは、太く大きくなった。靴で背を盛っているのは承知の上だが、こんなに大きくなるとは思わなかった。だって俺より、十センチ以上は高い。それに、肩幅も広い。きれいではあれど、誰が見ても男性であることは一目瞭然だ。  極めつけは――。 「ゆーくん、どうしたの。そんなにボクのこと見ちゃって? ほれなおしちゃった?」  この美声テノール。絶対地声だ。裏声を出す気もない。隠そうというつもりがまったくないらしい。 「いやその、小一のときとは全然違うなぁ、って」 「そうかな? ゆーくんは全然変わんないね」 「は、はあ」  視界の端には、にやついているシンと妖精、困り顔の吉植先輩が見える。どうしてこうなってしまったのか。  駅から出てすぐのベンチに座って四人で話していたら、俺の昔の幼なじみに見つかった。そこまではよかったのに、この幼なじみがぶっ飛んだやつだったばっかりに、話がうまくまとまらなくなった。  口を開いたら俺への口説き文句か「結婚しよう」のどちらか。こんな子を幼なじみに持っていたつもりはなかったんだけど。 「で、こうちゃんは、今は佐々木じゃないんだっけ?」 「そ。ママとパパが別れちゃったからね、それこそ一年生のときか。今は宮前っていうの」 「あぁ、だから引っ越したんだったね。そっかぁ、宮前かぁ」  宮前紅壱郎(こういちろう)、それが彼――というか、この場合は「彼女」と呼ぶべきなんだろうか?――のフルネームだ。  幼少期は親も周りもこうちゃんとばかり呼んでいたから、名前のことは気にしていなかったけど、今思えばこうちゃんに似合わないごつい名前だった。線が細くて華奢で、どこか儚いこうちゃんが好きだったのに、これでは正反対。今ではもしかすると似合いの名前かもしれない。  ――ん、宮前? どこかで聞いたような。 「って、じゃあ俺の財布届けてくれたあの宮前って、こうちゃん?」 「教授ボクのこと言ったんだ。そう、ゆーくんの落ちてた財布、届けたのはボクだね」  ってことは個人情報を盗んだのも――、いやいや、まだ盗まれたと決まったわけじゃないし。ちらと先輩の方に目をやると、あからさまに疑いの目をこうちゃんに向けているのが見えた。  ――って、あなたも俺のこと手のひらで踊らせていたひとりですからね? 「あ、ありがとう。落としてるの気づいてなかったから、助かったよこうちゃん」 「ふふん、じゃあボクからのお手紙も届いてた?」  ……やっぱり個人情報盗られてた!? 確かに差出人不明の手紙が何通か来ていたけど、こうちゃんからだったとは思わなかった。ちゃんとしたストーカーじゃないか。  こうちゃんからの手紙だって知ってたら見ずに捨てたりしなかったのに。  ちょっと待てよ、俺の視界の端にいつも映っていた金髪ツインテールって、もしかしてこうちゃんなんじゃないか? ということはつまり、先輩のストーカーで……、って、あれ? そうなると辻褄が合わない。だって、それならプロポーズするべきは俺じゃなくて先輩の方だよな。だとすると。  バッと先輩の方を向いて、小声で聞いてみる。 「す、ストーカーがいるって、もしかして先輩のじゃなくて、……俺の?」 「そうだよ。あれ、ちゃんと言ってなかったっけ」  ――なるほど。つぶやきながら俺は頭を抱える。  最近は頭を抱えてばかりだ。俺の人生ってなんなんだ? 「どうかしたの、ゆーくん?」 「いやその、きみの正体がわかってびっくりしてたところ」 「ん? なにそれ、おもしろ発言?」  ――だったらよかったけどね。 「っていうか、こうちゃんはどうして、その……、そういう服装で大学来てるの?」 「かわいいからに決まってるじゃん。ボクに似合うのはこういうものなの、見ててわかるでしょ?」  確かに、男性らしさがにじみ出てきてはいるものの、大学構内を歩いている女の子より化粧や服の合わせ方は上手、なのかもしれない。普通の女の子がこれをそのまま再現するより、こうちゃんがこうしている方がきれいに見える、気がする。  おしゃれに興味のない俺には、正直どうなのかわからないけど。  曰く、こうちゃんは自分に似合う「かわいい」を追求しているのだそうで、どちらかというと精神的には男性寄りらしい。日によっては男装をする――そんなふうに言うんだ、なんて思ったけど、自称「性別真ん中」だから今は女装だし、男らしい服を着たら男装になるらしい。なんだか難しい話だ――ときもあって、そのときは「かわいい男の子」を目指しているのだとか。  どちらにせよ、幼少期からかわいがられていた影響か、それとも元からそういう気持ちの持ち主だったのか、こうちゃんは「かわいい」を追求しながら生きているのだと言う。かわいい自分がかわいい服をまとい、かわいい化粧をすることで、かわいいの権化になるのが夢、だそうだ。俺にはわからなかった。 「ね、ゆーくん、絶対に結婚しようね」 「だから、しないってば」 「あの頃はゆーくんからプロポーズしてくれたのにねえ?」 「あの頃と今は違うの!」 「ぶー、ケチ」 「ケチとかじゃなくて……」  さっきからずっとこんな調子だ。数分に一回、話題ひとつ終われば一回、こんなことを言われている。不幸中の幸いは、こうして雑に断っても許してくれることだろう。あの頃のまま大きくなったこうちゃんだったら、きっと一回断るごとに本気の涙がついてきただろう。その分、俺は救われているのかもしれない、なんて、思いたくはないけど。  それ以来、大学で会うたびに「結婚しようね」と言われるようになってしまった。今までのおしとやかなストーカーぶりはなんだったのかと詰め寄りたくもなる。陰から俺を見守っているだけだったのが、急に接近してくるようになった。代わりに手紙が来なくなったのはいいこと、なのかもしれないけど。  先輩との関係に一段落したからか? そう思いたくもなるタイミングだ。ストーキングしているから、ぜんぶ知ってるとか、そんなわけない、よな?  ただ、こうちゃんに敵意をむき出しにしている天使が俺の隣にいる。というかシンは妖精にも吉植先輩にも敵意むき出しで、俺にはどうしようもない。いつも俺の左側にはこうちゃんがいて、俺と腕を組んでいて――振り払えないのは、俺が弱いからじゃない。こうちゃんの力が男の中でもわりと強い方だからだ――右側にシン、その隣に先輩、という並びが日常になりつつある。これってどういう状況?  というか、どうしてシンが大学に来るようになったのか。家に帰ってから問いただしても「アンタの危機管理能力がヘボすぎるから」としか言われない。  確かに先輩との一件では、俺がヘボかったから妖精の手のひらの上だったんだろうけど、痛い目見たから用心してるっていうのに。 「ね、ゆーくん、結婚しよ?」 「しないよ」 「じゃあさ、喫茶店行こ、デートしよ」 「おいこら女、ゆうすけがアンタと、で、ででデートなんかするわけないだろ!」  俺とこうちゃんの会話にシンが挟まってくるのはいつものことだった。けど、こんなに嫌そうな顔をするのはめずらしい。なにを嫌がってるんだろうか。もしかして、恋愛が苦手だったり……? いや、しないな。 「いいよ、ランチ行こうってことでしょ」 「おっ、おいゆうすけそんな簡単にっ」 「やったー! じゃ、ボクのお気に入りのとこ行こうね、今から!」  まあそんなことだろうと思った。  お昼の休み時間で、こうちゃんも俺も次のコマはない。ひとつ空いて、四限目までの時間を潰さなきゃいけない。だったら、こうちゃんとのランチデートを楽しむくらい、別にいいだろう。なにも本当のデートではないんだし、どれだけ天使が嫌がろうと、これは俺の人生だ。  いつも通りこうちゃんに腕をからめとられながら、こうちゃんの案内で歩き出す。シンは俺たちの間に入ろうとしながら、けどできず、結局俺の右側におとなしくおさまっている。こうちゃんのことをにらみながら。  真ん中の俺も流れ弾食らってるんだけど、わかってないな?  たどり着いた喫茶店は、まさに「古き良き」という言葉の似合う場所だった。アンティーク調のテーブルやイスが並んでいて、天井からつり下がったまるい照明は温かなオレンジ色の光を灯している。ところどころに見られる観葉植物は、なんとなく心が洗われるような気がした。 「いらっしゃい」  カウンターの向こうでグラスを磨いていたマスターらしきおじさんが、渋い声を出す。俺たちは小さく会釈をして、入口近くのテーブル席に座った。瞬間、ふわりとコーヒーの香りが漂いはじめて、喫茶店の威厳を感じる。  こうちゃんの向かい側に俺とシンが座る形になったけど、どうしてシンがついてきているんだか。これが当然になってしまっているのも意味がわからない。  メニューを見ている間も、マスターが三人分のお冷やを持ってきてくれたときも、シンはずっとこうちゃんのことをにらみつけていた。どういう気持ちなんだろうか。  どうしてそんなにこうちゃんを目の敵にするのか、それとなく聞いたことがある。けどシンは特になにか理由を言うわけでもなく、「アイツは気にくわないから」の一点張りだった。  天使としてのカンってやつが働いているんだろうか。だとしたらいろんな意味で怖いけど、それでも相手は幼なじみのこうちゃんだ。俺になにかひどいことをするとは思えない。まあ、ストーキングはされていたみたいだけど。 「ゆーくんはさ、本当にかわいいよね」  ナポリタンを口いっぱい頬張る俺に、コーヒーを飲みながらこうちゃんは言った。  いや、めちゃくちゃ食べてるし、なんならケチャップも口につき放題ついてるだろうし、そんなんがかわいいのって子どもくらいじゃない? 「ボクのかわいいコレクションの中に入れちゃいたいくらい」 「それは……、なんか怖いかも」 「ううん、怖いことなんかしないよ? 絶対大切にするから」  どうにもこうちゃんの口説き方は、ベクトルを間違えている気がする。それって女の子に言うようなことであって、――いや、女の子が言われても困るだろう言葉もあるんだけど――男を口説こうとしているようには見えない。  え、俺ってもしかして女の子判定入ってる?  ナイフとフォークを丁寧(ていねい)に操ってホットケーキを食べているこうちゃんは、まるでシンなんかいないように俺を口説き倒す。そのたびシンが舌打ちをするけど、それも意に介さない顔でいる。  もしかして天使だから視界に入らないんだろうかと、何度思わされたことか。冷静に考えたら先輩にも見えているんだし、こうちゃんに見えないわけないのに。  いつか、こうちゃんがこんなふうに接してくるのはまさか妖精のせいなんじゃないか、と思ったことがあった。先輩の一件があったし、ありえないことではないとわかっていたから。それに、妖精は人間の欲を開放する遊びが好きらしい。それなら――、と思ったんだけど、違った。  こうちゃんが俺を口説こうとしているとき、先輩の肩を見たら妖精がいた。もしかしたら他の個体が、と思わないでもなかったけど、あとで妖精に確認したら「ここら一帯は僕の管理下にあるから、他の子は遊びに来ても暴れたりはしないと思う」と言われた。つまりは、こうちゃんに妖精が憑いているわけではないのだ。  むすっとした顔のシンは俺のナポリタンを勝手に食べながら、それでもこうちゃんのことをにらみつけていた。

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