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シン②

「なあ、ゆうすけ」  ある日、部屋でのんびりしていたら、神妙な顔をしたシンが俺の前にあぐらをかいた。仕方ないから、俺も身体を起こしてベッドのふちに腰をかける。 「あの宮前ってヤツとつるむの、もうやめろよ」 「どうして?」 「アイツ、なんかイヤなんだよなァ。ゆうすけがアイツといちゃこらしてるの、見たくない」  なんだそれ、と思っていたら口からも出ていた。 「なんだそれ」 「んなこと言われても、イヤとしか言いようないし」 「というか、俺たちは別にイチャイチャしてるわけじゃないんだけど」 「でも、イヤなの! オレがイヤって言ったらイヤなんだよ!」  こんなに駄々っ子なシンを見るのははじめてだった。天使でも嫌なことってあるんだな、とか。  人間界でやってるお仕事――一緒に大学に来てる今でも本当にお仕事をしているのかはあやしいけど――に関係でもあるんだろうか。これから関わってくるけど、人間である俺には詳しいことを言えなくて、だから遠回しに嫌だと言ってる、とか? いや、そんなわけないか。  ちりんりん、夏の風が風鈴を揺らす。涼しげな音色と一緒に、ココアの香りが鼻をくすぐる。  シンはこの甘さを気に入ったのか、なにか飲みたいとき必ず「ココア作ってくれよ」と言うようになった。おまけでマシュマロも浮かべてやる。こんなに甘やかしている俺に疑問符が浮かぶこともあるが、まあ、半分同居しているみたいなものだから愛着くらい湧く。  どんなに嫌われていようとも、だ。 「アンタはオレのもんなんだから、勝手にどっか行ったり、すんなよ」  シンは頬を膨らませながら、むすっとした顔でそう言った。そのうすく紫に色づいた瞳は、俺を射抜こうとしているようにも見える。  ――オレのもん。  その言葉が、俺には悲しく響く。  そうか、シンにとって俺は、人間界で仕事をするための道具にすぎないのか。俺は、こいつに一度でもひとりの人間として見てもらえていなかったのか。  どうしてだかそれがひどく悲しくて、動けなくなってしまった。  少しくらい好かれていると思っていたのは、やっぱりただの自意識過剰。友人とすら思われていなかったことが悔しい。寂しくて悲しくて、心に穴が空いたようだった。ただ瞬きしかできなくて、近づいてくるシンもぼんやりとしか見えない。 「だから、なあゆうすけ」  シンがなにかを言っている。きぃん、と耳鳴りが響く。シンが俺の手を取っているようだけど、手の感覚が鈍っているのか、体温を感じない。持ち上げられたそれを、振りほどく元気すらない。  俺だけ世界から切り離されたような気分だった。  嫌っているくせに、自分のものとして俺を見ていたのか。いや逆か。嫌いだからこそ、俺を仕事の道具として利用していたんだ。  だとしても、本人に、俺にそのことを言っていいわけないだろ。俺は、俺はきみのこと嫌いじゃないんだよ。全然、嫌いなんかじゃない。むしろ――。 「ゆうすけ?」  気がつけば俺はシンの目の前にへなへなと座り込んでいて、膝に顔をうずめているところだった。全身が震えているのがわかる。今にも涙を流そうと、目が勝手に熱くなっていく。 「もういいよ、シン」 「いいって、なにがいいんだよ。どうしたんだよ、なんかあったか?」  肩に手が触れて、思わず顔を上げる。 「な、泣いてるのかよ、ゆうすけ?」  首を横に振って、けどそれ以上のことはできない。  目を見開いたシンは、それから目を細めて、俺を見つめる。慈しむように俺の頬に触れて、ゆっくりと顔を近づけてくる。目を閉じて、俺の、くちを――。  どん。  突き放してしまった。  今の流れで俺のくちびるを奪おうとするってどういう意味だよ。俺には理解できない。  シンが、理解できない。 「そういうのは、……す、好きな人とじゃないと、ダメだよ」  俺なんかとするなんてダメだ、道具である俺なんかと。  シンは、真っ赤な月でも見たかのような顔をしてから、うつむいた。そうかよ、なんてつぶやいていた気がした。それから窓の方に向かっていって、空に飛び出した。  夏の青を遮る雲たちが、空を灰色に塗りつぶしていた。

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