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シン③

 土曜の夜、俺は先輩の指示でアパートの屋上に来ていた。  ここは先輩の住んでいるアパートだそうで、屋上はみんなに解放されたスペースなんだとか。みんなとは言っても、その中に俺は入っていないんじゃないか、と思わないでもない。だって俺はここに住んでない。  先輩からは「ここで待っていてね」としか言われてないけど、この前の喫茶店で話した内容からして今からここにシンが来るのは明白だった。  もう一週間会っていない。つまりはそれだけ話していないということで、その間にあった俺の変化も考えると、……どう会話していいのかわからなくなっていた。  どんなふうにしゃべっていたか思い出さなきゃ。考えようとするのに、そんなことより会える緊張とうれしさで頭が働かない。  そんなに好きなんだっけ。  ――いや、うん、大好きだ。  どうして好きになったんだろう。先輩との事件を救ってくれたから? たぶん、それだけじゃない。ずっと昔、覚えている夢のこと。あれはきっとシンだったはずだ。乱暴な話し方をしていた気がする。目つきも悪かった気がする。夢なんかじゃなかった。俺は、シンと一緒に飛んだことがあったんだ。  じゃあ、あれ以来ずっとシンが好きだったのか。知らないうちに、二番目の恋をこじらせていたらしい。  あいつに二番目なんて言ったら、怒られるかな。「オレはいつでもいちばんなんだよ!」なんて、どうでもいいことで怒ってほしいとすら思わされる。  あぁ、早く会いたいな。  と、どこからか羽ばたく音が聞こえた。それはだんだん近づいてきて、小さく見えていた鳥のような影が、人間に近いシルエットになる。シンだ。  俺が気づいたと同時、シンは回れ右をしてもと来た道を戻りはじめた。 「お、おいっ! 待ってよ、シン!」  精一杯声を上げる。シンにも聞こえるように。  肩越しに振りかえる天使は、頬を膨らませているように見えた。目の下には青いクマが見える。もしかするとあまり寝ていないのかもしれない。というか、天使って寝ないとクマできるんだ。人間みたいだな。  なんだよ。言いながらシンは屋上に降り立つ。ふわり、美しい髪が風に揺れる。純白の翼が夕陽に照らされて輝いている。首に手を当てながら、俺の方へと近づいてくる。 「ねえシン、俺さ、きみがなんと言おうときみと一緒にいたいよ」 「……急に改まって、なんなんだよ」 「シンが、どれだけ――」  この先を言うのがつらい。知ってはいる、シンが俺のことを道具としか見ていないことなんて。俺を嫌っていることだって、わかっている。それを言葉にしてしまうと、本当になってしまう気がして、怖い。  もう本当のことなのにな、なんて自嘲気味に笑ってみる。 「どれだけ俺のことを嫌っているかなんて、わかってる。わかってるけど、でも、それでも一緒にいたいんだ」  口から言葉が出ていくたび、俺の頭は勝手に下を向いていく。シンの反応を見たくない。きっとにらまれているだろうから。きっと見下されているだろうから。  最後だ、これがシンとの最後の会話になる。だから後悔は残したくない。ちゃんと言わなきゃ。 「すき、なんだ。……俺、シンのことが好きだ。シンが俺のこと嫌いでもいい、どこにも、行かないでほしい」  浅く息を吸う音が聞こえる。うまく呼吸ができない俺から出ているんだろう。その場にへたり込みたくなってきた。  シンから返答がないのが怖い。いつまでも待てる気がしていながら、もう時間が止まってしまって、このまま世界が終わってしまえばいいのにとすら思ってもいる。  祈るように組んだ指を、ほどくことができない。 「……あっ、アンタなァ!」  あぁ、怒鳴られる。もしかしたら殴られるかもしれない。道具の分際でこんなことを言うなんて、やっぱり許されないことだったんだよ。  目の前の天使を盗み見ると、頭を両手で抱え込んでいるのが見えた。それだけ嫌がられているということなんだろう。迷惑をかけるくらいだったら、伝えない方がよかったのかもしれない。こんなの俺の自己満足にすぎない。  俺はいつも自分のことばっかりだ。もっと周りを――。 「オレは言っただろうが! アンタはオレのもんだって、オレはアンタのことが好きなんだって!」  一瞬、自分の耳を疑った。  ――好き? シンが、俺を? 「アンタのためにわざわざ人間界(した)まで来たんだよ、好きな人間に会うために! んな簡単に帰るわけないだろ、バカ!」 「……え?」 「だから、好きなの! オレはゆうすけに会うためだけに、天界のルールを破ってまでここにいるんだっての! おわかり!?」  なんで伝わってないんだよ。じゃあなんであのときオレを拒んだんだよ。シンがつぶやくのは聞こえてくるのに、どうしても頭が拒否をする。 「だって、……そんなわけないよ。俺のこと、嫌いって言ってた」 「そんなこと、言った覚えなんかないね」 「でも、先輩が俺のこと好きかって聞いたとき、そんなわけないって、言ってたじゃん……」  シンは目を見開く。図星だったんだろう。 「ゆうすけ、意識あったのかよ」 「あのときだけ、少し起きてたんだ。それからすぐまた気を失っちゃったんだけど」 「……あれは、あのままじゃ、あいつの手のひらの上だったから。天界に報告されたらたまったもんじゃないし」  曰く、天使は私情をはさんではいけないらしい。  人間を正しい方へ導くのが仕事なのだ、誰かひとりのみひいきすることは禁じられている。だからこそ、俺だけを守るとか、俺だけを好きでいることはイコール禁忌だったらしい。言葉に出してしまえば、天界のお偉いさまに叱られるんだとか。本当だろうか。 「でも、嘘はつけないんじゃなかったの」 「悪かったな。オレはゆうすけのことが好きなんじゃない」 「やっぱり、だましたんじゃないか!」 「最後まで聞けよ。『好き』なんて子どものおゆうぎじゃなくて、……本気で、愛してるんだよ、バカ」  ぼっ、と炎が灯るようにシンの頬が赤くなる。  あーもうっ! 天使は頭をがしがしかき回してから、俺の方に近づいてくる。  その顔はいつも通りのつり目に小さな黒目、険しい表情をのせているのに、やっぱりきれいだった。  天使の一部を俺に預けるみたいに、ぽすん、と頭を俺の肩に乗せた。それからゆっくり腕がついてきて、ぎゅう、と抱き留められる。 「もう、どこにも行くな。オレも、ずっとここにいるから」  ふと顔を上げたシンに射抜かれる。そのまま動けなくなる。背中に回っていた手が、肩に触れ、頬を包む。いいか? とシンが問う。俺はなにも言えず、うなずくだけ。  星降る夜空が見守る中、俺たちは口づけを交わした。

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