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行方知れず①

 目を覚ましたのは、午後も三時を回る頃だった。  俺の身体に回っていた腕はなくなっていて、もしかしてお昼ごはんでも準備してくれているんだろうか、なんてうれしくなる。  けど、よく考えると今は日曜日の昼間であって、親はふたりとも休日だ。そんな中、無防備にもリビングにおりていくような天使ではないだろう。結局、親にはちゃんとした説明もしていないんだし、だったら一階に行くなんてことはしないはずだ。  じゃあ、どこに行ったんだ?  もうどこにも行かないと約束してくれた。ずっとそばにいると言ってくれた。それなのに、なにも言わずにどこかへ行ってしまうなんて、あるだろうか。俺は身体を起こしながら、自分が服を着ていないことを思い出した。  昨日とは別の服に身を包みながら、シンの行き先を考える。いつもどこに行っていたのか知らない俺に、手がかりはほとんどない。  吉植先輩のところに行ったのか、はたまたこうちゃんのもとに? いや、あっても先輩の家だろうな。こうちゃんのことはひどく嫌がっていたから――って、俺との距離が近かったから、だったり? もしかして、嫉妬してくれていたんだろうか。  首を振る。今はそんなことより、シンの行方だ。  とりあえず先輩に聞いてみよう。電話番号を呼び出す。 「吉植先輩、おはようございます」 『おはよう星見。どうかしたのかい?』 「いや、それが――」  昨日あったことをかいつまんで説明する。  とりあえず先輩のおかげで誤解はとけた。それから仲直りして――けどシンの行方(ゆくえ)がわからなくなった。どこにも行かないと約束してくれたのに、どこに行ったのだろうか。心当たりを訊ねる。 『ううん、わからないな。もう僕のところに来る意味も理由もないから、来ないだろうし。僕の方では心当たりもないし……』 「先輩の家に忘れ物したとか、そんなことはないですかね」 『そうだね、もともと物は持って来てなかったはずだから、それはありえなさそうかな』 「そう、ですか……」  電話を切ってから、腹が減っていることに気づいた。ぐう。なにもない部屋に音が響く。むなしさだけが充満していく。  シンがいれば、きっと笑ってくれたのに。  リビングへ行くと、母も父もソファに座ってテレビを見ていた。 「優亮(ゆうすけ)、おそよう。母さんたち、もうお昼も食べちゃったからね」 「あ、うん」 「今日はそうめんだよ」  呆れたように言いながら、俺の食事の準備を手伝ってくれる。  母さんは俺の顔を見ると、はあ、とため息を吐いた。 「なにかやることがあるんだね。早く食べていってらっしゃいな」 「え、あ……、ありがとう」 「いいから、ほら」  麺つゆの入ったどんぶりを受け取り、大盛りのそうめんを頬張る。やっぱり俺は恵まれている、そう実感しながら、シンがどこに行ったのか考え続けている。  先輩のもとにいなかったということは、じゃあ大学? けど日曜は完全に講義もないし、サークル活動もしているのかどうか。というか、開いていようがいまいが、シンが大学に行く理由はないはずだ。俺が行くからついてきていたってだけだろう。  だったら、やっぱりこうちゃんの家? あんなに敵対視していた人のところに足を運ぶことなんてあるだろうか。けどまあ、一応、あとでこうちゃんにも電話してみよう。その場にシンがいなくても、なにか知っていることがあるかもしれないし。  他にはどんな候補があるだろうか。喫茶店、プラネタリウム、それから天界。最後のはどうしても俺じゃ探せない。というか、帰るなら俺にひとこと言ってくれる、と思う。 「ごちそうさま!」 「あ、優亮、ゼリー買ってきてあるぞ」 「あとで食べる!」  父さんの不思議そうな顔を背後に見ながら、俺は玄関に立つ。母さんが後ろからやってきた。 「がんばんなさいよ」  なにも知らないはずなのに、妙に真剣な顔で俺の肩を叩く。 「うん、ありがとう。行ってきます」  外に出てから、ぱちんと両頬を叩く。それから深呼吸をして、太陽の鋭い日差しの中に身をさらす。  とりあえず走り出した。どこに行くにしても電車に乗らなくてはいけない。まず駅までの道のりでこうちゃんに電話してみよう。 「こうちゃん――」 『ゆーくん、なにかあったの?』  こういうとき、俺を理解してくれている幼なじみがありがたい。話をする前に緊急事態だと気づいてくれる。  歯を食いしばりながら、昨日からのことを説明する。 「それなのに今日、シンが見当たらないんだ。なにか知っていることがあれば教えてほしい」 『んー、ボクには心当たりなんてないけど、翔太くんのおうちは? この前まで泊まってたんでしょ』 「先輩も知らないらしいんだ。さっき電話したけど、ダメだった」 『そっか……。じゃあボクたち四人で行ったところとか、ゆーくんとの思い出の場所とか?』 「思い出の場所、か。とにかく探してみるよ、ごめん、ありがとう」  電話を切ると、ちょうどホームに電車が入ってくるところだった。いつもの車両に乗り込む。  まさかいないよな、と思いつつも車両内も探してみる。大学に一緒に行くようになってからは、ふたり並んで座っていることが多かった。だからもしかしてと思ったけど、やっぱりいない。  どこかに行くにしてもシンには翼がある、陸路をたどる必要はない。  数駅過ぎ、地下鉄に乗り継ぎ、大学へ向かう。  大学構内はがらんとしていて、人の気配を感じられなかった。遠くから聞こえる吹奏楽の音は、近くの高校からだろうか、それとも部活棟から? ベンチの方を見る、屋上を見上げる。けれど人影はない。もしかしてもっと遠くに、俺も知らない場所、届かないところに行ってしまったのだろうか。  次は喫茶店に向かう。特にシンとの思い出があるわけでもないが、一応、見てみないことにはわからない。  たどり着いたそこには、いつも通りマスターの渋い声とコーヒーの香り。店内をさらっと見渡してもシンはいそうにない。 「マスター、すみません」 「コーヒーですか」 「いえ、その……、紫っぽい白の長髪の男、来ませんでしたか。探してるんですけど」 「あなたとよく一緒にいらっしゃる方ですね。今日は見ていませんが」 「そうですか。すみません、ありがとうございます」  俺は喫茶店を飛び出した。  あとは、どこならいそうだろうか。あいつと一緒にどこかに行ったことはほとんどない。あるとして大学くらいで、ふたりでデートなんてするヒマすらなかったのに。じゃあどこを探せっていうんだ。  展望台? 小学校の屋上? それとも、俺の部屋?  近くの公園では子どもたちが別れる頃だった。もうそんな時間かとスマホをのぞく。午後六時。夜が近づいてきている。  どうしたらいいのかわからず、ひたすらに走った。見慣れない都会の住宅街を探し回った。こんなところにいるわけないと思いながらも、足を止めることはできない。もうずいぶん走り続けている。夏の暑さに体力が奪われていくのに、休むことすらできない。  半分泣きながら、夕陽に向かって走り続けた――。  気づけばもう夜になっていて、無意識に家の玄関まで来てしまっていた。こぼれ落ちそうになる景色を、どうにかして目に(とど)める。  家に入れば、心配そうに母が出迎えてくれた。なにか言われた気がしたけど、それに返す元気はない。こんなにも疲れ切っているのに、腹も空いていない。  俺の肩に置かれた母さんの手をさっと払って、自分の部屋に向かう。  もしこの部屋の扉を開けて、それでもシンがいなかったとしたらどうしよう。いや、きっといるはずだ。「どこ行ってたんだよ、遅かったなァ」そんなふうに言いながら、こっちを向いて笑ってくれるはずだ。  そうじゃなかったら、俺はどうしたらいい?  ノブに手をのせる。けど、どうしてもひねることができない。怖くてたまらない。この先にシンがいなかったら。そのときのことを考えると力が入らなくなる。  けど、いるかもしれない。希望に任せて、扉を開く。果たしてそこには――。 「いないじゃないか」  誰もいなかった。  開いた窓から夜の涼しい空気が入ってくる。あれほど暑かった日差しが嘘のように、そこにはひんやりとした空気だけがある。 「どこ行ったんだよ、なあシン」  ついに決壊してしまった。目の前に広がる自室の光景はにじんでは落ちていき、にじんでは堕ちていく。おさえることのできない嗚咽(おえつ)が、なにもない部屋に満ちていく。

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