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第2話 水面に触れる(1)
「へえ、本当に泊めてくれるんだね」
玄関を上がったニルスは、ポタポタと雨を落としながらあたりを見渡した。濡れた前髪が頬に張り付いている。
外の暗がりではあまりパッとしなかった様子が、人工の明るさで輪郭をしっかりと描く。
思ったよりも低い身長。170cm程の静弥と並ぶとやや肩の位置が低く、瞳孔の存在しない不思議な瞳は少しだけ目線が上にある。骨格は男性的だが、肉付きはあまり感じられない細身。でも別にガリガリってわけはなさそう。
黒のパーカーに黒のスキニーパンツ、耳元で揺れている細いクロスのピアス。
何より独特なのは瞳もそうだが、どろっと下がったよなタレ目と似つかわしくない離れたつり眉。綺麗な人と括るには少しだけ違和感のある顔。
「はい、タオル」
静也は無言でバスルームの戸を開け、棚からタオルを出すとニルスに渡す。ニルスは「ありがとう」と受け取り、濡れた髪や服を雑に拭く。
チラッと見た静也はその白いバスタオルが水を吸っているが、何の色味も指さない事に違和感を覚える。
(……返り血、ないはずが無いよな)
思ったが、何も気にしない事にした。あえて無駄なことを聞いて、機嫌を損ねでもしたら面倒な事になる可能性大。
静也はニルスに先にシャワーを浴びることを提案した。自分より雨に濡れているニルスに部屋を汚されたくない、が本音である。
バスルームから聞こえるシャワーの音が静かな部屋に響く。
静也はバスルームから上がったニルスをソファーに座らせた。
静也の家の間取りは、一人暮らしにしては広すぎるファミリー用の一軒家。そのリビングキッチンを静也は生活範囲としており、必要なものがそこへギュッと押し込められた形で成り立っていた。なのでバスルームとトイレの向かいの部屋は空室、ほとんど何もない部屋に客用のベッドが一台置いてあるだけ。そして玄関から2階に向かう階段がある。
ソファーはソファーベッドで、キッチンのカウンター側に置かれている。奥に畳まれた毛布が見えるところから、多分ここで寝てるんだろうなと憶測がつく。
その前にはやや大きいガラスのテーブル、そしてテレビが置いてある。所々に散らかった雑誌やゲーム、服や靴の箱から生活感が漂っている。
「なあ、何か飲むか?」
静也は自分もシャワーを浴び終えると、ソファーに大人しく座るニルスに声をかける。ニルスは画面にヒビが入ったスマホで何かを見ているようだった。
「何でもいいよ」
カウンター越しからニルスの声が返ってくる。
静也は冷蔵庫を開けて、ほとんど何も入ってない棚から水を取り出す。コップを二つ上の棚から取り出し、中身を注ぐと一個は自分の座る前に、もう一個をニルスに渡す。
「ありがとう」
ニルスが笑顔で受け取る。
静也はそれを見たか見てないか、テレビのリモコンに手を伸ばす。
スイッチの入ったそれは人気番組を映し出す。煌びやかなセットにMCの声が聞こえてくる。右上の文字を見れば超人気俳優『ノア』に密着!と書かれている。
「……最近、こいつよく出てるな」
静也はニルスに話した訳でなく、思ったことを口にした。
「確かに良く観るかも、かっこいいよね」
静也は会話が返ってきたことに、そういえば今日1人じゃないのかと思い知らされる。別にそれが嫌とかいいとかじゃない。
「かっこいいとか、思うんだな」
「思うよ、そうだね、君も結構顔整ってる方じゃ無いかな?髪で隠してるようだけど」
今目の前にいる人間が、人間でないことを静也は忘れない。今さっきまで人1人殺してた筈のやつがテレビを観て笑っている。こんな恐ろしいことあってたまるかって今更になって恐ろしくなってくる。
「……これは、ほっといてくれ」
静也はニルスの視線から逃げるように顔を背けた。静也の瞳の色は左右で違っていた。隠してる左目は東洋人としてはなかなか見ない青い色をしている。生まれつきで、それで揶揄われたり、気味悪がられたりとあまり好きではないのだ。なので前髪を伸ばして隠すように生きている。
「ああ、そうだった。そういえば泊めてくれたお礼をしないとね……そうだね、じゃあ君の言うこと何でも聞いてあげる」
ニルスは静也の顔を覗き込んでにやっと嫌な笑いを見せる。
静也は発せられた「何でも」に眉を寄せる。
「何でも、か……それ、俺が今お前を殺してもいいか?って聞いたらどうするの?」
静也は何でも、がどこまで意味するのかを探るべく極端なことを聞いてみる。多分今までの光景がまだ頭に張り付いていたから出たんだと思われる。
ニルスは一瞬驚いた顔をしたがすぐに口角を上に向けて元の顔に戻る。
「いいね、君みたいな子ーー大好き」
質問の可否ではなく、発言に対する感想が返ってくる。
「そうだね……いいよって言ってあげたいところだけど、どんなに頑張っても死ねはしないから、俺を好きなだけ刻むなり焼くなり締めるなりすればいい。痛がって欲しければ叫んであげる。静かにしてて欲しいなら動かないこともできるよ」
ニルスは飄々とした声と態度で、だけど決して嘘はついていない。そう思わせるような喋りだった。
「……冗談。まあ、また考える」
会話が終わった後、テレビのわざとらしい笑い声が静かなリビングに響く。
外はまだ雨が降っていて、じめっとした空気が立ち込める。
時計は22時を指していた。
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