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第4話 雨脚に触れる
あれから1週間が経とうとしていた。
変わらず大学があって、講義を受ける。電車に乗って、歩いて、家に戻る。
工事はすでに終わっていて、いつも使う道路が使えるようになった。
静也は1週間前に来ていた男の存在を忘れはしないが、大学の授業や帰ってからのレポート作成で、その存在のことを考える暇もなく過ぎていった。
初めの数日は何も変わらない日常に戸惑っていた。気にしてつけてる朝の報道番組、帰ってからいつも観るバラエティ番組のCM中に観るニュース。どれにもあの夜のことを話すアナウンサーはいなかった。
静也は気にしすぎる自分がおかしいのか、普通なのか、他人に相談することもできず時間が過ぎていった。
「いらっしゃいませ」
夜8時過ぎ、静也は家から徒歩5分ほどのコンビニの自動扉を潜る。
入店とともに店員のやる気のない乾いた声が聞こえる。外では考えられないほど、冷えて湿度を失った空気が迎え入れてくる。
(どれがいいかな)
静也は冷気の誘われるままに、冷蔵コーナに並ぶ酎ハイの鮮やかなデザインを目に映す。
今日はどれにしようか、週に一回、こうして静也は酒を選んでいる。別段強いわけじゃないので大した量は飲めない。
成人になった時、周りのノリで飲んだ酒。初めは美味しさなんてさっぱり分からなかった静也だった。それでも周りと合わせたり、なんとなく興味が湧いて飲んでいるうち、週に一回以上こうして飲みたいと思うようになった。
静也は6月限定、と書かれたパッケージの酎ハイを手に取った。
レジに向かおうと屈めた腰を起こし、周りを見渡す。店内には自分以外の2人の客とバイトらしい店員が1人。
そのお客の2人中1人、どこかで見覚えがある顔な気がした。
話しかけようかどうしようか、静也は気にせず通り過ぎようか迷った。そうしているうちに向こうがこちらに近付いてきた。
「……あれ、君、この前の」
その姿は静也を認識すると声をかけてきた。
「こんばんは」
何を話せばいいか分からない静也は無難に挨拶を交わす。この独特な雰囲気、自分よりやや低い背、黒髪で独特な視線を送る男、ニルスで間違いなかった。
「そっか、君ここから近いから会うのも当然だよね」
偶然と言いたいんだろうその男、ニルスは目を細めて愛想の良い笑顔を向けてくる。
あれは夢みたいなもので、考えるだけ無駄、どうせ二度と会わないんだろうと思って記憶から消そうとしていた脳みそが警告を告げる。目の前にいるのはそいつだと。
「へえ、お酒飲むんだね」
ニルスは静也のカゴを見るなり意外だね、というふうに会話を続ける。
「ああ、週に一回くらいは」
己の心臓が密かに忙しなく動くのに静也は不思議だった。何を焦ってる?怖がってる?期待している?自分の感情がぐるぐる回る。そこで冷静な自分が外野から話しかけてくる、ここで引き止めれば何か変わるかもと。
目の前の男は目に映った知り合いに声をかけただけ、多分それだけで特に用はないだろう。会話が続かなければコンビニで買い物を済ませば静弥の元から去って行くはず。
「あ、よかったら、うちで飲まないか?」
自分でもよくわかっていない。
静也は目の前の男に聞きたいことがないわけじゃない、でもそれ以上に関わらない方が自分の為だと知っている。それでも何故か目の前の存在が気になってしまった。
「覗くな」と言われれば言われるほど見たくなる。絶対関わったらいけないーー分かっている。頭で響く警報音が酷く遠くなって、自分の中の何かが微笑んでくる。
自分で言ったことだが、内心断ってくれと静也は思ってた。
「君から誘ってくれるなんて思わなかったよ、嬉しい。いいよ、今日は仕事がないからね」
「よかった」
全くよかったなんて思ってない。それでも口から出たよかったは一体なんだったんだろか。
自分で言い出したのは重々承知、それでも断ってくれなんて酷い話だ。
カゴに追加する酒とつまみ、ニルスの好みってこれなんだなって別に覚える必要のない情報を脳が嫌でも記憶していく。
「ありがとうございました」
バイトのやる気のない声が背中から聞こえる。
レジに向かえば、当たり前のようにカードを取り出したニルスに一回は表面上断るが「俺の方が邪魔するんだから」って言われ、「ありがとう」と返す。
外に出れば梅雨特有の湿度の高い嫌な空気がまとわりついてくる。それに加え、先ほどまで降ってなかった雨がしとしと降り始めていた。
すぐに帰るからと傘なんて持ってきてない静也はため息をつく。
「降ってきちゃったね、一緒に入る?」
ニルスが傘をかざして静也の顔を覗く。
ポンッと藍色の傘が夜の暗闇に広がる。
荷物を真ん中に2人で傘に入る。そこまで強い雨ではないが、傘から出ている肩はゆっくり湿っていく。
「梅雨、早く明けてくれねぇかな」
静也がポツリと呟く。
独り言のように呟いたつもりだったが、隣を歩く男に向けた言葉だった。けれど、ニルスからの返答はなかった。チラッと見た視線もまじ合うことはなく、まっすぐ前を見てやや機嫌が良さそうなニルスの横顔があるだけ。
会話は特に交わされることはなく、雨と相傘で少し遅くなった歩みを進めていった。
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