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第5話 雨脚に触れる(2)

玄関の傘立てにニルスの傘を差し込み、靴を脱いで上がっていく。急に降り出した雨は家に着く途端に強くなり、ザーザーと音を立てて本降りになっていた。 「今日こんな降るって言ってなかったよな」 静也はタオルをニルスに渡しつつ、自分の肩も軽く拭くき今の天気に文句を言う。今日の天気予報では雨は降らないだろう、降っても小降りですぐに止むとのことだった。 あいにく洗濯物を干してるわけでも、濡れて困るものが外にあるわけでもないがなんとなく裏切られた感じがあった。 「そうだね、でも、梅雨だから仕方ないよ」 ニルスは和かな表情で雨を拭き取ったタオルを静也に渡す。静也は受け取ると乱雑に洗濯機へ2枚のタオルを投げ入れる。 そして買ってきたものをテーブルに並べる。酒と多少のつまみ、すぐに飲まないものは冷蔵庫へしまう。 静也はやっとこさソファに座るとテレビのリモコンへ手を伸ばす。スイッチを押すと何やらドラマがやっていた。別に追ってるわけじゃないが、音になればと選局するわけもなくそのままにドラマを流す。 「これ、街中でもCMしてるやつだね」 ニルスが隣に座りながら明るい画面に話しかける。静也は「そうなんだ」って返すだけ返して興味のない画面を観ずに缶のプルを開ける。 「興味ないの?これ、一応ノアも出てくるやつだけど」 「あれ、俺、ノア好きだって言ったっけ?」 丁度画面に映った整った顔に手足の長いスラリとしたスタイル、ちょっと映っただけでそいつだと分かるシルエット。静也は観る気のなかったドラマを観る。 「いや、聞いてないけど、君が買ってる雑誌や前に観てたバラエティ番組がノア特集だったから」 「ああ、そういうことか」 ニルスに“ノアのファン”と言った覚えはなかった。そして別段ファンというわけではない、ただ、綺麗な様子やカリスマ性が気になって観ているだけ。好きとか追ってるとか、絶対に観ていると言われればそこまでではない。 雑誌に限っては毎月購読してるファッション誌で、時折出る特集号を買っただけ。買わない時もあるが、ノアならいいかと買っただけである。 「別に、そこまでファンって訳じゃない、顔が綺麗だし背も高くて……見てて浄化される感じがする」 「それって“ファン”って言うんじゃないの?」 ニルスは静也の発言にケラケラ笑い出す。それがファンじゃなかったらなんだろうねっていいながら笑ってくる。確かに、そうかもしれないと静也は開けた缶に口をつけながら他人事のように思っていた。 「まあ、いいや、そういえばこの前はありがとう助かったよ」 ニルスは笑い終わると、ふと思い出したように話を変えた。この前、これを指すのは1週間前の出来事。静也はチラッとニルスの方を見据える。 (これは、聞いてもいいっていうフリか?それともただのお礼?) 静也は振り返される1週間前に、何かを聞こうとそもそもニルスを飲みに誘ったのだ。 手に握る缶の温度が指先に伝わって冷えていく。 「なあ、この際だから聞くけど……お前ってなんなの?」 静也はテレビを観たままニルスに訪ねる。テレビでは恋愛ドラマなのか、男女がいい争っている風だった。 ニルスはニヤリと口角を上げて静也を両目に映す。 「そうだね、君が見た通り俺は人間じゃない」 そんなこと知ってる、知ってるけど本人から直接言われることが、こんなに恐ろしいことかと静也はニルスを見れないでいた。ニルスはそれを知ってか知らずか話を続ける。 「俺が殺した人間、あれは元恋人、俺が人間じゃないって知った瞬間逃げたんだ……酷いよね」 「だから……殺したのか?」 静也はあの時の光景を思い出して冷や汗をかく。もしあの時自分も走って逃げたり、叫んでいれば本当に殺されたんだろうと思い返す。 ニルスの表情がふざけた笑みから何かを含んだ笑みに変化していた。 静也は色々気になったが、真っ先に気になった“殺した理由”について言及したくなった。これに関しては人間でも同じだ、裏切られた人を殺してしまう人は数少ないがいないことはない。 「そう、裏切られたからね。秘密の一つや二つ教えてくれと言ったのは向こうだったんだけどね……ああ、それから俺が人間じゃないってとこを知っている人間がコントロールできないんじゃ、生かしてはおけないのも確かだけど」 それは俺に向けて言ってるのもあるよなと、静也は静かにニルスの話を聞く。テレビを観ているようで全く観ていない静也はドラマが終わりかけになっているのも気付いていない。 「それから、俺はある一定人間の細胞情報を摂っていないと人間の形を保てない。それの糧になってもらった、仕方ないよね、俺と一生一緒にいるって約束したのは向こうなんだから」 淡々と事実のように話すニルス、その表情は相変わらず笑っていて場の空気には不釣り合いである。この事実を真っ当に受け入れて聞いてる自分も静也は段々怖くなってくる。 裏切られたから、逃げられたから、自分から一緒にいるって言い出したから殺した。これが静也には他人事に思えなくなってきたのだ。それは自分に向けられてる、と言うより自分が殺す側に周りそうな要素を含んでいることに。 「……ああ、安心して。人1人取り込めば暫く俺は何もしなくても生きていける。君が俺を警察に突き出そうとか、研究機関へ送ろうとか、他人に言いふらしたりしなければよっぽど手を掛けることはないから」 「そうか」 缶の中の酒はとうになくなっていた。だが、手持ち無沙汰な状況で、乾くのどに飲み物を流すふりをする。 「これを聞いて、君は俺をどうしたい?」 ニルスが静也の視界に無理やり入ってくる。静也は驚いてソファの背にグッと自分の背中を押しつける。 別にどうもしたいなんて思わない、これが静也の本音である。むしろ何をどうすればいいとすら感じている。そもそも普通だったらこう言う場合どうするんだ?と頭をフル回転させる。 「お、俺は別に……何も、俺には関係ない」 「そいつの家族でもなければ知り合いでもない」 「あ、あんただって別に、たまたま先週会っただけで俺には関係ない」 関係ない。これはニルスに向かって言ったのか、関係ないことにしたくて言ったのかよくわかってない。自分でもこれらを聞いて何を思ったのかよくわかっていない。怖いと思った、恐ろしいと思った、けれどそこから何がしたいとか何かしなきゃいけないと言うのが出てこない。 これが普通なのか、異常なのか、静也には指標がない。 「そっか、確かにそうだね……君には関係ない話だね。でもね、聞いたからには関係ないことはない……」 この男が何を考えているかなど、静也は知りはしない。どうにかして欲しいのか、して欲しくないのか分からない。 生存本能が警告しているのは分かっている、無駄なことをしたら殺される。それ以外分からない。 「殺されたくないって命乞いをするほど死にたい訳じゃない、あんたを警察に言うほど正義感がある訳じゃない、言いふらしたってどうせ誰も信じないだろうから言いふらす必要もない」 「俺は別に今の生活が送れるならどうでもいい」 どれも静也の本音、嘘はない。ニルスはそれを聞くと「君、やっぱり好きだなぁ」と目を細める。そして静也の視界から退くと隣に座り直す。 「ここまで脅して正気なやつ、あんまりいないと思うよ。普通なら多分今すぐ追い出して二度とくるなって言うだろね」 ニルスがこぼした独り言のような呟き、静也は返事をせず耳に入れる。 「今日も泊めてくれるよね?」 「……好きにすれば」 静也は当たり前のように聞いてくるニルスに返答も面倒で吐き捨てる。

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