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第8話
先日のことが気になってしょうがない。ガルシフはホビの店で好物であるホルッサのスープとミモサのパンを頼み、それをもそもそと食べていた。
(気のせいだったのだろうか……)
瞳の色を見たわけではない。後ろ姿しか見ていない。それも離れたところから少しの間だけ見た程度だ。背格好はあの人物に似ていたが、だからといって確かな証拠がない。それに第一騎士団の営所で見かけた人物と城下の街ですれ違った人物が同じだったとして、その人物が必ずしもシスというわけではない。
(本当に、あれは誰なんだろうか?)
シスであるかはまだわからない。だが、シスと同じ美しくて不思議な瞳をしていたからこそ、あの人物のことが酷く気になってしまう。
「なに難しそうな顔してんだガルシフ。もしかして、そろそろ違う料理を頼む気にでもなったか?」
「ホビさん……」
ひとり悩ましげな表情をしていたガルシフに、ホビがそう声をかけてきた。
「いや、少し考えごとをしていた。違う料理を頼むのはまた今度にする」
「なんだよ。今日こそは違う料理を頼んでもらえると思ったのに。というか珍しいな、おまえがおれの飯を食ってる時に他のことを考えてるなんて….…。なんだ、悩みごとでもあるのか?」
そう言ってホビはガルシフが座っている席の隣の席に腰を下ろす。
「それで、悩みごとはなんだ?」
ホビはガルシフに悩みがある前提でそう問うた。
「いや、まだ悩みがあるなんてひとことも言っていないんだが……。というか、店はいいのか」
「大丈夫だ。今この店に客はおまえしかいない」
ガルシフは店内を見渡す。
「本当だ……」
店内にはホビが言っていたように自分以外の客はひとりもいなかった。そのことにガルシフはまったく気づいていなかった。ホビに料理を頼んだ時はまだ数名の客が店内に残っていたが、彼らはガルシフが考えごとに夢中な間に全員食事を終えて店を出て行った。
「で、悩みはなんだ?」
そうホビが促す。ホビはガルシフの様子がいつもと違うことに店を訪れた時から気がついていた。しかし、店にはガルシフの他にも客がいるため、すぐには何があったのかとガルシフに尋ねることができなかったのだ。
「悩み、と言われてもな……」
ガルシフは言い淀む。
「別に言いたかねぇんなら言わなくてもいい。だが、言った方が気分がすっきりするかもしんねぇぜ」
ホビはその強面の顔を少し優しくして言った。
「ホビさん……」
ガルシフはなんだか胸のあたりが暖かくなるよう気がした。そしてホビが言ったように、誰かに先日のことを話した方がいいのかもしれないと思った。話したからといって何があるというわけではないが、なぜだがホビには話を聞いてもらいたいと思った。
「実は……──」
ガルシフは先日の出来事とそれよりも前にあった出来事をホビに話す。ホビはその話を最後までしっかりと聞いてくれた。
「なんだガルシフ、おまえようやく親友に会えたのか」
驚いた様子でホビが言う。
「いや、見かけた程度で会えたわけではない。それに、まだ親友かどうかもはっきりしていない」
「でも、親友かもしれないやつを見かけたんだろ?ならよかったじゃねぇか!今までずっと諦めずに探してたんだろ、おまえは」
ホビは自分のことのように喜ぶ。彼もガルシフがシスを探しに王都まで来たことを知っている。そしてガルシフがどれほどシスに会いたがっていたかということも。
「もっと喜べよ。そんな難しそうな顔をすんじゃなくて」
「だがな……」
「ごちゃごちゃ面倒くせぇことは考えるな。前向きに考えろ。いいじゃねぇか、親友かもしれないやつがいるということはわかったんだから。今度そいつに会ったら、いや、見かけたら、そいつの腕引っ掴んで聞け、おまえはシスかってな」
そう言ってホビはにっと笑った。
それを見たガルシフは、なんていい人なんだろうと思った。自分の話を最後まで聞いてくれて、元気づけようとまでしてくれた。これまでのことを考えると本当にホビには頭が下がる思いだ。
「そう、だな……。今度、その人に会ったら聞くことにする。おまえは……シスなのかって」
「そうだ、そうしろ」
ホビは力強くそう言うのだった。
*
ホビに話しを聞いてもらったことにより、幾分か気持ちがすっきりしたように思う。ガルシフはホビに話してよかったと思った。
「……なんだか少し騒がしいな」
営所に帰ってきたガルシフは、ホビの店に行く時よりもざわついている営所の様子を不思議がる。
(何かあったのか?)
そこに、手を振りながらこちらに向かって歩いてくるリュウの姿があった。丁度いいと思ったガルシフはリュウになぜ営所内が騒がしいのか、その理由を尋ねることにした。
「お帰りガルシフ」
「ただいま、リュウ。それで、いきなりで悪いんだが、なぜこんなにも皆が騒がしいんだ?おまえ、何か知ってるか?」
「ああ、知ってるよ」
リュウは苦笑いをしながらそう答えた。
「何があった?」
「実はな、ついさっき訓練場に陛下がいらっしゃったんだ」
「陛下が?なぜ?」
「さあな。いきなりだったし、はっきりとした理由はわからない。でも、誰かが言っていたんだが、おそらく陛下は護衛騎士となる者を吟味していたのだろうという話だ」
「なんだ、バルバロッサ様に会いにいらっしゃったのか?」
「いやそれが、バルバロッサ様は訓練場にはいなかったんだ。それを知った他の騎士たちが、もしかしたら自分にもまだ陛下の護衛騎士になれる可能性があるんじゃないかって、騒ぎ始めたんだよ」
少し疲れた様子でリュウが言う。
「なるほど。理由はわかった。ところでリュウ、おまえも陛下の騎士になりたいと思っているのか?」
ふと気になったことを聞く。
「冗談じゃない。選ばれるとはまったく思ってないが、もし仮に選ばれたとしても丁重に断るさ。ただでさえエマと会える時間が少ないのに、これ以上少なくなってたまるか」
どうやらリュウは地位や名誉よりも恋人と過ごす時間の方が大切なようだ。
「そういうおまえはどうなんだ?」
「俺か?俺も陛下の騎士になりたいとは思わないな」
常に高貴な方のそばにいなければならないと思うと息が詰まりそうだ。そうリュウに言えば「確かにそうだな」と返された。
「というかすごい今更なんだが、なぜ陛下は新しい護衛を選ぼうとしているんだ?確か陛下にはすでに護衛の騎士がいたはずだよな」
ガルシフは疑問に思う。今までまったく気にしていなかったが、王にはすでに護衛の騎士がいる。なのになぜ王は新しい護衛を選ぼうとしているのか気になった。
「本当に今更だな。確かその現護衛騎士様が年齢を理由にその役を退くという話だ」
「現護衛騎士といえば、バルトロメオ様のことか」
「ああそうだ」
ダート・ツー・バルトロメオ。それが現護衛騎士の名前である。前王の時代から王の護衛役として長年その地位についている。しかし、そろそろ身体が思うように動かなくなってきたため、王に新しい護衛を選ぶようにと進言したらしい。
「ほう、そういう理由だったのか」
本当に今更であるが、王が新しい護衛を選ぼうとしている理由に納得したガルシフであった。
「しかし少し不思議に思うな。そういう理由があるなら、なぜ陛下はご自分の直属の騎士団である第一騎士団からすぐに護衛を選ばないんだ?バルバロッサ様みたいな優秀な騎士がいるのに」
「ああそれは、陛下ご自身が護衛を選ぶのを渋っているからだそうだ」
「なぜだ?」
「さあ?そこまでは知らない。まあ陛下はとてもお強いから、護衛がいなくてもいいと思うけどな」
「立場がそれを許さないだろ」
「まあ、そうだな」
口には出さないが、ガルシフもリュウ同様に王に護衛は必要ないと考えている。なぜならこの国の王は、ハヴィスの中でもっとも強い武人であるからだ。才鬼と名高いユウエンよりも、そのユウエンよりも強いとされている第一騎士団の団長よりも、アシュレイシス国王陛下ははるかに強い。その王に護衛が必要だとは思えない。しかし立場がそれを許さない。
それを考えるとガルシフは平民に生まれてよかったとなと思ってしまう。誰よりも強く、護衛が必要なかったとしても、この国でもっとも尊い存在であるがゆえに窮屈な思いをしなくてはならない王。王自身はそうは思っていないかもしれないが、その地位はなんて息苦しいものだろうかとガルシフは思った。
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