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第17話

 その日は朝からシスの様子がなんだか不自然だった。いつもならばガルシフが名前を呼べばすぐに返事をしてくれるというのに、どこかぼうっとした様子でなかなか返事をしてくれなかった。それに侍従が呼びにくる前にガルシフの部屋からも出て行った。 (どう考えてもシスの様子がおかしい)  ガルシフは戦闘訓練中だというのに、シスのことが心配で、シスのことばかり考えていた。その結果、集中力が散漫し、対戦相手の攻撃をいつも以上に受けてしまった。  それを見かねた対戦相手がその手を止めてガルシフに言う。 「ガルシフ、今日の君はどこかうわの空だ。その様子でこのままわたしと戦うのは危険だ。君が怪我をする」 「ユウエン様……」  訓練の相手はユウエンだった。ユウエンの言葉は今のガルシフの様子を咎めるものであり、同時に心配するものでもあった。 「申し訳ありません」  ガルシフはユウエンに謝罪する。 「もし体調が悪いようなら無理せず休んでいい。私の方からダート殿とアシュレイには言っておく」 「アシュレイ」その言葉にガルシフは肩を少し弾ませた。 「いえ、体調が悪いわけではないのです……。ただ……」  ガルシフは口籠る。今朝のことを言ってもよいものかと考える。 「ただ、なんだ?」  ユウエンは不思議そうに聞いてくる。そこでガルシフはユウエンならばもしかしたら今朝のシスの様子について何か知っているかもしれないと思った。 「実はシス、いえ、陛下のことなんですが……」 「アシュレイがどうした?」  シスの名を聞いて少しだけユウエンの声がかたくなる。 「今朝の様子がいつもと違っていて、変だったと言いますか……」 「変?いったいどんな様子だったのだ?」 「えっと……呼びかけてもどこかぼんやりとしていて、全体的に反応が鈍かったと言いますか……。ほかにも、少し気になることがありまして……」  毎日いくらガルシフが起こしても、なかなか起きないシスが、今朝はなぜかすんなりと起きた。そのことをユウエンに言おうかとも思ったが、言ってしまえば自分とシスが一緒に寝ていることも知られてしまう。侍従たちには周知の事実なので、もしかしたらすでにユウエンもそのことを知っているかもしれないが、それでも自分の口からそのことを言うのはなんだか恥ずかしいとガルシフは思った。 「ほかにも気になることとは?」 「いえ、それは特に大したことではないので……なんでもありません」  結局、ガルシフは言葉を濁した。その様子に一瞬だけユウエンは訝しげな表情をした。しかし、すぐにもと表情に戻してガルシフが気になるようなことを口にした。 「おそらくだが、アシュレイは発熱をしているのだろう」 「発熱?」  つまり風邪をひいたということか、とガルシフは考える。 「そうだ、発熱だ。だが、それは病からくる熱ではない」 「それはどうことですか?」  病からくる発熱ではないのだとしたら、いったいなんだというのだろう。ガルシフは疑問に思う。 「言ってしまえば生理現象だ」 「生理現象、ですか……」 「ああ、生理現象だ。アシュレイは王族だ。王族は元来その身に宿す魔力量が人よりも多い。そして歴代の王族の中でも、とりわけアシュレイは魔力が多い……というか多すぎるのだ。アシュレイはその多すぎる魔力を日々の生活の中でなかなか消費することができない。普通、魔力というものは、何もしなくとも消費されるものなのだ。だが、アシュレイの場合はその消費が追いつかず、たまりにたまった魔力が本来身体の中にとどめておける容量を超えてしまい、それが発熱となって表れるのだ。おそらく今朝、反応が鈍かったというのはそのせいだろう」  症状的にはほぼ風邪と変わらない、とユウエンは付け足した。 (風邪と変わらない……でも、それって結構辛いのでは) 「発熱といった症状はこれからどんどん悪化していくだろう。まあ、いつものことだ。今夜にでも誰かを呼んで、その熱を発散するだろう」  その言葉にガルシフは何か引っかかりを感じた。 (誰かを呼んで熱を発散する?それはいったいどういう意味だ)  だが、それをガルシフがユウエンに問うことはなかった。なぜなら、ガルシフがユウエンに問う前に彼は第一騎士団の団長に呼ばれてしまったからだ。 「すまないガルシフ、まだ話の続きだが、団長がわたしを呼んでいるようだ」 「いえ、俺のことは気にせず、行ってください」  シスについてもっと知りたかったが、引き止めるわけにもいかず、ガルシフはそう言ってユウエンとの会話を終わりにした。 * 「やっぱりおかしい」  ガルシフは自室でひとりそう呟いた。  訓練が終わり、シスのもとに戻ってきたガルシフは、それとなくシスの様子を観察していた。時折、ぼうっとしていたり、眉間に皺を寄せたり、ふとした時に体調が悪いのかなと思うことはあったが、いつもと変わらないシスの姿がそこにあった。  その様子を見て、もしかして自分の考えすぎだったのでは、とガルシフは思ったが、色々考えるのが面倒くさいので、単刀直入にシスに聞いた。 「おまえ、今熱あるだろ」 「ユウエンから聞いたのか」 「ああ、そうだ。ユウエン様からシスが熱を出しているかもしれないと聞いた。……おまえ、今体調は大丈夫なのか?」 「大丈夫だ。確かに微熱はあるが、支障はない。それに毎度のことだ、もう慣れた」  そう言って、シスは机の上に置いてある書類を手に取って読み始めた。その姿を見て、ガルシフはなんとなくこれ以上は聞ける雰囲気ではないと思い、口を閉じた。その後はいつもと同じ時間が過ぎていった。  そして夜になり、夕食もすませたガルシフは自室に帰ってきたのだが、いくら待てどもシスがやってくる気配がない。  最初の頃はガルシフが寝入ってからシスはガルシフの部屋にやってきていたのだが、いつからかガルシフが寝る直前にやってくるようになり、そして一緒に眠るようになっていた。しかし、今夜はガルシフが眠る直前になってもシスがやってくる気配はなかった。 (まあ、こういう日もあるか)  そう結論づけて、久方ぶりにひとりで寝ようと寝台にもぐったガルシフだったが……。 (もしかして、体調が悪化したのか?)  シスはたとえどれほど仕事が遅く終わろうともどれほど疲れていようとも、ガルシフのもとにやってきて一緒に眠っていた。もしかしたら今夜はこの部屋にくることができないほど、体調が悪いのではないだろうかとガルシフは思った。 (もし、そうだとしたら心配だ)  シスは幼い頃、身体が弱く、体力もなかったため、よく寝込んでいた。さらに一度体調を崩すとなかなか治らず、長い間ずっと辛そうにしていた。どうしてもその時の印象が強く、ガルシフは居ても立っても居られなくなった。もし部屋でシスが倒れてでもしていたらと思うと心配で堪らなくなる。  今すぐシスに会いたいという衝動に駆られる。ガルシフは皆が寝静まる頃に自室を出て、シスの部屋へと向かった。

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