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第26話

 「なんで……」  ガルシフは狼狽える。いったい、いつから俺の存在に気づいていたのか。さっきの言葉はどういう意味なのか。色々と聞きたいことがありすぎて思考が上手く回らない。  「ガルシフ、こちらへ来い」  そんなガルシフの様子を気にすることなく、シスがガルシフを呼ぶ。思わず、ガルシフはユウエンを見る。  (これは俺が中に入ってもいいのか?)  先ほどの二人の会話の内容を思えば、非常に中に入りずらい。できることなら入りたくないと思ってしまう。それにユウエンがガルシフの登場に驚いた様子も見せず、ただ静かにこちらを見ているのがより一層不安を煽る。ガルシフはどうしていいのかわからず視線を彷徨わせる。  「わたしはこれで失礼する」  そうしているうちに、ガルシフの心情を慮ったのかユウエンがそう言った。ユウエンはガルシフから視線を外し、シスを見る。  「言っておくが先ほどの話、わたしは本気だ」  シスに向けて言った言葉だったが、同時にガルシフにも向けられているように感じた。そのままユウエンはガルシフの横を通り過ぎ部屋を出て行く。  結局、最後までユウエンがガルシフに声をかけることはなかった。  シスと二人、その場に残されたガルシフはおずおずと聞く。  「なあ、シス。ユウエン様は、どうしてあんなことを?」  あんなにも剣幕な様子のユウエンをガルシフは見たことがなかった。そして、その原因の一端が自分であることに何とも言えない気持ちになる。  「あいつは心配性なのだ」  端的にシスが言う。それに対してガルシフはあれを単なる心配性と言っていいものかと唸る。シスはそんなガルシフの様子に一度考える素振りを見せ、次の様に言った。  「まあ、先ほど言ったようにあいつの心配も理解できないわけではない。前例があるからな」  ユウエンと言い争いになるのは決して珍しいことではない。ユウエンはシスに対して物怖じせず意見を言ってくれる数少ない相手であり、決してシスの不利益になるようなことは言わない。いつもシスのためを思って苦言を呈しているのがわかるからこそ、シスはユウエンを信頼していると言った。  「しかし、今回ばかりはユウエンの言葉を受け入れる訳にはいかない。それに……」  付け足す様にシスが言う。  「竜の血は強大だ、私にはどうすることもできない」  竜の血。初めてシス本人の口から竜という言葉を聞き、ガルシフは内心どきりとする。ナヴィオの話を信じていなかったわけではないが、やはり本人から言われた方が信憑性が増す。  「ナヴィオから聞いてると思うが、私の体には竜の血が流れている」  竜は愛情深い生き物である。一生涯に一度しか番わず、死ぬまでツガイを愛し続ける。途中でツガイが代わることは決してなく、その愛が枯れることはない。  その愛はもはや呪いであるとシスは言う。代を重ねるごとに薄くなる竜の血だが、それでも時折その血を色濃く受け継ぐ者が現れる。その者たちの多くは、ツガイを求め、ツガイを愛し、そしてツガイに狂っていた。  シスの父、先代ハヴィスの王もまたツガイを愛し、最後はその愛によって死んだ。  「ガルシフはツガイとは何か知っているか」  唐突にシスが言う。ガルシフは首を横に振る。  「ツガイとは普通の婚姻関係とは違う」  曰く、古代契約魔術の一種であり、一度契約を結んでしまうと二度と結び直すことはできない、また破棄することもできない。そして、竜は本能で自分のツガイになりうる存在を感じることができ、出会えば互いに惹かれ合う。しかし、必ずしも生きているうちにツガイに出会えるとは限らない。  「私の父は運良くツガイと出会うことができた」  それがシスの母である。二人は定められたように惹かれ合い、そして結ばれた。  「しかし、父は母にツガイの契約をしていなかった」  厳密に言うと契約魔術で契約を結んだ相手のことをツガイと呼ぶ。シスの母はツガイになる約束を先代と交わしてはいたが、その契約が結ばれることはなかった。  「父は頑固な人でな、母が出て行った後、いくら家臣たちに新しい妃を娶れと言われても首を縦に振ることはなかったそうだ」  ツガイ契約を結ぶ前であれば、違う伴侶を迎えることが可能である。  「ん?今さっき、竜は生涯に一度しか番わないって言ってなかったか」  疑問に思ったガルシフは聞く。  「ああ、そうだ。竜は一度しか番わない、番えない。ただ、番う前であれば誰とでも性行為はできる」  ツガイ契約を結ぶと互いにしか欲情できなくなる。もしツガイ以外と肌を重ねると、吐き気や頭痛、怠惰感など、様々な不調をきたす。また、ツガイ同士ならば互いに互いの居る場所が何となくわかる様になるそうだ。  「父は母と契約を結ぶ前だった。だから、当時の父の家臣たちもほかの妃を娶れと言ったのだろう。だがな、歴代の王族たちならばそれもできたであろうが父は先祖返りだった」  竜の血が強すぎて、ツガイ以外の一切を拒否した。竜の血が濃ければ濃いほど、竜の性質が強くなる。竜のツガイに対する執着は凄まじく、一度ツガイに出会ってしまうと余程のことがない限りツガイ以外と肌を重ねることはない。  「もし父が母をツガイにしていたならば、すぐに母を見つけ出すこともできただろう。生前、父は母をツガイにしていなかったことを大層後悔しておられた」    先代は結局シスの母を見つけられず、そして新たに妃を娶ることもなく、ひとりこの広い城で生きる屍のように日々を過ごしていた。  「……ガルシフ、覚えているか。私がソラシアスの花が欲しいとねだった日のことを」  唐突にシスが聞いてきた。  「ああ、勿論覚えているが。いきなりどうした?」    ガルシフはシスの聞きたいことがわからず首を傾げる。  「実はな、あの日、おまえは死ぬところだった」  あの日、ソラシアスを取ろうと木に登り、そのまま足を滑らせたガルシフは、頭を地面に強く打ちつけたことにより死の危機に瀕していた。頭からはとめどなく血が流れ、ほとんど虫の息だったそうだ。  「じゃあ何で目を覚ました時、俺は無傷だったんだ?」  当然の疑問にそう問えば、  「私が治した」  さらりとシスが答えた。ガルシフは目を瞬かせる。  「シス、まさかおまえ、あの時から魔術が使えたのか?」  もしあの時シスが魔術を使っていたならば、ガルシフが目を覚ました時に無傷だったのも頷ける。聞けば、シスはあの時初めて魔術を使ったと言う。無我夢中で治れと念じていたら、いつの間にか傷が治っていたそうだ。  「そうだったのか。知らなかったとは言え、今までお礼のひとつも言わなくてすまない。助けてくれてありがとうシス」  ガルシフは心からシスに感謝する。  「いや、謝るのは私の方だ。そもそも私がソラシアスが欲しいと言わなければ、おまえは怪我をせずに済んだはずだ。それにあんなわがままを言わなければ、おまえと離れることはなかった」    酷く悲しげにシスが言う。  あの日、シスは生まれて初めて魔術を使った。その結果、気づかれてしまった。誰に。当時のハヴィスの王に、父に、自分という存在がいることを。  「私が魔術でガルシフを治したことにより、父に居場所を気づかれてしまった。そして、後のことはおまえも知っての通りだ」  城に連れて行かれ、そのまま王子としての生活を強いられ、気づけば王となっていた。  「とは言え、最終的に王になることを決めたのは私だ。私は私の意思でこの国の王になることにした」  勿論、連れて来られた当時は心底父を恨んだ。いつか必ずガルシフのもとに帰るつもりでいた。しかし、ツガイを亡くし、狂いながら静かにその命が尽きる日を待っている父の姿があまりにも哀れで、気づけば絆されてしまっていた。    「初めて父と対面した時、父は私の姿を見てリスティリアと呼んだ。私はその名前を知らず、父の前で誰と言ってしまった」  今でも思い出せる、父の酷く絶望した顔を。シスが思わず言ってしまった言葉により、自身のツガイがもうこの世にはいないことを完全に理解してしまったのだ。リスティリアはシスの母の名前であった。  「母も父と番っていれば死ぬこともなかっただろうな」    誰に言うわけでもなくシスが呟く。  「強すぎる執着は時に人を殺す。父は母を深く愛するあまり、母以外とは肌を重ねようとはしなかった。そのせいで体内の魔力が暴走し、この世を去った」  だが、その顔はひどく嬉しそうだった。  「これでようやくリスティリアのもとへ行ける。それが父の最後の言葉だ」  最後の最後まで父は裏切った母を愛し続けていた。  「普通ならば呆れそうなものだが、今なら父の気持ちが痛いほどにわかる。私もおまえに裏切られたとしても、おまえなら簡単に許してしまうだろうな。たとえ自分が死ぬことになっても」  それほどまでにツガイという存在は私たち竜にとっての至宝。  「至宝なのだ」

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