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5.王室家政長官局
ミルファの勤める王室家政長官局は、フェブルウス王室府家政長官がトップに立ち、王室府の会計や外遊の調整を協議する部署だ。王宮に危害を加える犯罪に対する裁判所も担い、貴族が任じられる王室府の重職である。
長官を含めて七人のメンバーは、皆自由人で変な人が多いものの仲が良く、驚くほど平和な職場だ。しかしながら、ミルファがしおしおとルシアーノに謝罪して出勤した朝、その平穏は長官のひと言によって破られた。
「ミルファくん、結婚したんだって?」
「……は? ミル、けっ……えぇえぇえ!?」
真っ先にオーバーリアクションで反応したのが同僚で親友ともいえるユノだ。
食べごろのオレンジみたいな色の髪を肩下まで伸ばし、目の色と同じ深いグリーンのリボンで括っている。ミルファはいつも、ユノの目と髪の色が逆だったらオレンジの木が歩いているように見えただろうな、と思ってしまう。
貴族らしく整っているが顔のパーツは華やかというより派手で、いつもリアクションが大きい。今も大きな口をカバのようにパカッと開いて大きな声で叫んでいる。
ミルファは思わず友人の頭を持っていた書類でポンと殴った。束が薄かったせいでほぼダメージを与えられず、ユノはオレンジ色の睫毛をぱち……とまたたく。
「ユノ、うるさい。長官、さすが耳が早いですね……教会へ行くのは次の休息日にしようかと。なので、まだ結婚はしていません」
「え、だって。おれ聞いてないよ? いつの間に!?」
「ちょっと小耳に挟んだんだよ。元侯爵夫人か……玉の輿だねぇ」
ガウワウ喚いているユノを尻目に、長官に言葉を返す。
本来、貴族の結婚といえば教会で司祭の立会いのもと結婚式を挙げるものだ。しかしミルファとルシアーノは準結婚となるしルシアーノが二度目の婚姻となるため、教会へ書類の提出だけで済ませようと話していた。
これはロームルス王国の制度で、子のできる性別――男女や、アルファとオメガの場合――だと正結婚となり、貴族は子に爵位や財産をそのまま継承できる。
ミルファたちように子のできない性別同士は準結婚となり伴侶や親類への財産の継承時、国に相続税を納めなければならないのだ。
基本的に長子継承が推奨されているため、これはまぁ、ちょっとしたペナルティだ。正結婚と準結婚の違いは他にも細々とあるが、莫大な財産を持っていない限りあまり関係はない。とミルファは思っている。
税金対策で相手を養子とする場合もあるものの、ミルファは継承できる爵位も財産もないため準結婚を選んでいた。
いま思えばルシアーノも準結婚だったはずだし、侯爵の財産相続時に税を納めたのだろう。それでも、相当な額が手元に残っているに違いない。
嫁入り、婿入り時の持参金も基本的には夫が管理するものであるが、ミルファは関与しないことに決めていた。金に困っているわけでもないし、ルシアーノの好きにしていいと伝えてある。
「いやぁ貧乏性なので、お金のことは彼に任せてしまいました。玉の輿なんて、無理ですよ僕には」
「相手男なの!?!? ちょっとぉぉ〜っ! ミルファ! 説明して!!!」
「そうなんだ……? まぁミルファくんが伴侶なら、お相手も幸せだろう。私からも祝福させてもらうよ、おめでとう。――さて仕事を始めようか。ユノくん、離れてね」
ユノに肩を両手で掴まれガクガク揺さぶられていたミルファは、長官の一声で救われた。ちょっと目が回っているけど、とりあえず、仕事だ。
ロームルス国王夫妻が隣国ルテティアへの外遊を行うこととなり、最近はその日程調整や予算立てに追われていた。
ルテティア国内では国王同士の会談や議会訪問のほか、王宮前広場での式典や郊外にある宮殿での夕食会への参加などが予定されている。
王室家政長官局には、多種多様で重要な行事を確実にこなし、かつ国王夫妻の個人的な要望や宰相からの特命にも応えられるスケジュールを策定することが求められているのだ。
「だーかーらぁ! エトワの町でオーロラを見るんだ! すっごく綺麗なんだって」
「いや見れる確率低いんだろ……? 何日滞在させるつもりだよ。国王夫妻のご希望は『静かな場所で星を見ること』だけだ。却下却下!」
「ね〜誰? 馬で丸一日遠駆けデート♡って書いたやつ。王妃様の柔い尻が擦り切れるわ」
「こらっ、失敬だよ。どうせミルファでしょ……。馬車に乗ってもらわないと警備が大変なんです! も〜みんな好き勝手書きすぎ!!」
「馬はいいよ〜? 可愛いし、癒されるし。最高の旅じゃない!」
会議は紛糾していた。……が、これはいつもの流れである。個性豊かな面々が好き放題に意見を出し合うなか、長官はうとうと船を漕いでいた。
これでも王室に忠誠を誓っている全員が、自分の出した案をゴリ押ししつつ他人の案には冷静に突っ込みを入れまくり、しかしながら意見は最終的にまとまっていくのだから不思議だ。
御年五十近い国王夫妻はたいそう仲睦まじく、外遊の際もちょっとしたデートを楽しみたがる。
アルファ同士の二人だ。若いころは喧嘩ばかりだったというのは王宮では公然の秘密で、歳を重ねて丸くなり互いに余裕が出てきたらしい。
突然居眠りから目を覚ました長官はパンパン! と手を叩き、みんなが黙るのを待ってから決定を下した。
「じゃあ……行きにラッチ湖を経由しよう。あそこなら二人で馬に乗って一周するのにちょうどいい広さだ。国王様はそういったアクティビティを喜ばれるだろう。あと、エトワの町では有名な天文台を貸し切って星空観賞してもらおう。オーロラは運次第だけど、国王夫妻ならあり得るかもしれない。これは帰りだね。お二人が希望されるなら一日くらい日程を延ばす心づもりで準備すること」
やはりフェブルウスは優秀な長官だ。部下それぞれに仕事を割り当て「さて、昼食にしよう」と言った瞬間、教会から正午の鐘が聞こえてきた。
長官はふらりとどこかへ行ってしまい、いつもどおり残ったメンバーで連れ立って食堂へと向かう。
一緒に出発してもまとまりはないため、食堂へつく頃にはなぜか誰もいなくなっていることもある。それほど遠くないのに……なにせ自由な人たちなので。
ミルファも例に漏れず、脳内はこれからの仕事のことでいっぱいだった。意見を一部採用されたことがほくほくと嬉しくて、がんばるぞ! とやる気に漲っている。
安全だと退屈になりがちな旅のなかでいかに国王夫妻に満足していただくか、これから詳細な計画を立てていかねばならない。これでも優秀な人しかいないと言われる王室家政長官局の腕の見せどころである。
ユノに腕を引かれてなんとかまっすぐ食堂へと到着し、人の少なそうなテーブルについた。大きな長テーブルには等間隔で大皿が置かれている。
皿の上にはパンとチーズ、ハムが数種類ずつ。薄くスライスされたパンに具材を乗せ、自分で好きに食べる方式だ。
王族などは豪勢な食事をとっているだろうが、王宮づとめの文官や騎士の昼食なんてそんなものだ。
ミルファも夕食を正餐としており、家の料理人が丹精込めて作った料理を毎晩食べられるだけ贅沢だなぁと思っている。不遇の幼少期から王宮で出世するまでは質素な食事が普通だったせいで、ミルファの感覚はいまも平民寄りだ。
「エトワの天文台ってさ、すんごく大きいんだって?」
「あぁ、そこで天文学の研究をしてる学者がたくさんいるらしくて……そもそも星読みの一族ってのがかつてエトワにいたことから始まってるんだ。ってそれより! 結婚? しかも元侯爵夫人って!? どういうことだよ!」
周囲を気にしながら声を潜めたユノが、それでも最大限の大きさで問い詰めてくる。確かに仲が良い彼には事前に話してもいい案件だけど、なにせ受けてもらえると思っていなかった婚姻の申し出だ。
了承の返事をもらってあわあわと準備をしていたら昨日になって、ユノにさえ話す暇はなかったのだから仕方がない。
ミルファもいまだ理解しきれていない事態なのだ。とりあえず事実だけを並べて説明したものの、ユノは全く納得できていない様子で頬杖をついた。深緑の瞳にひたと見つめられる。
「セリオ侯爵って療養でもう何年も社交界に出てきてなかったよな。一度も姿を見せなかった侯爵夫人がミルファに婿入りって……ほんとに本人か?」
ユノは伯爵家の三男だ。家格が違うので当然ミルファより夜会に出る機会も多く、貴族の噂にも詳しい。彼でも信じられないのだから、ルシアーノの行動は貴族全体の度肝を抜くものだったといえる。
ミルファはへにゃっと笑って家令にもう一度叱られそうな軽さで答えた。
「いやぁ、僕も信じられないんだけど。ほんとなんだよねぇ、これが」
「意味わかんねぇ。お前さ、元侯爵夫人に騙されてないか……? 男でもとんでもなく美人とか可憐とかなんだろ?」
「あはは。とんでもなく美人だけど、可憐というより……剛健って感じかな」
「ゴーケン?」
「僕より遥かに逞しくて……強そうな奥様だよ」
「???」
にやにやと口角が上がる。ルシアーノがミルファを騙すメリットなんてない。それに、ユノも彼を見れば余計な心配だったことがわかるだろう。
脳裏にルシアーノの美しく精悍な姿を思い浮かべた。そのうちユノと同じ夜会に出ることもあるはずだ。
ルシアーノが嫌がらない限りミルファは彼を伴って行こうと思っているから、ユノをどれだけ驚かせてやれるかと想像するだけで楽しみになる。
自分がルシアーノとの出会いでぶったまげ、夜も彼の行動に仰天し、早々に頭を下げて謝罪したことは棚に上げておく。
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