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12.密やかな想い

 宣言通り順調に回復を見せたミルファはルシアーノと早朝に小屋を出発し、まだ朝といえる時間には屋敷についた。  急に外泊して屋敷は大丈夫だろうかと心配していたのだが、なんだか生暖かい目で使用人たちには出迎えられる。「もう大人ですものね……」なんて侍女長のポモナは特ににこやかだ。  しかしルシアーノがここでミルファを驚愕させた。口止めしていたのに、ミルファの体調不良を暴露したのだ。 「ちょっと! なんで言っちゃうの!?!?」  みんな大騒ぎになってしまった。なにしろミルファに雇われた使用人たちは、古参のディードーやポモナでもここ四年の主人しか知らない。元気なミルファに慣れきって、まさか体調を崩すなんて思ってもみなかったのだ。  ミルファは「もう大丈夫なのに……」とふてくされたまま、有無を言わさずポイと寝台に入れられ、ウトウトしていると気づけば医者まで呼ばれていた。  微熱が残っているだけだし、やっぱり雨で身体を冷やしたことが原因だと診断されて、ようやく皆が落ち着きを取り戻したのだった。  ちなみにルシアーノはミルファの部屋に居座り、診察にも付き添って誰よりも質問を重ねて医者を困らせていた。 「病気じゃないって言ってるのに……。そもそもさぁ、ルシアーノがなにも言わなければこんなに大騒ぎにならなかったんだよ?」 「専門家に診てもらわないと駄目に決まっているだろう。自己判断が一番危ない」 「……ふぁーい」  ルシアーノは心配性すぎる。けれど、いきなり全く心配するなというのも難しいことは分かっている。  昨日のミルファの言葉は、きっとルシアーノの心に届いた。一度だけじゃなくこれから何度も言葉と実体験を重ねることで、彼の心の傷を癒やしていきたい。 (まぁ……こうしてお世話されると距離感が近くなるし、僕は嬉しかったりして……)  初夜の事件以降、ルシアーノとは適切な距離を保って生活していた。しかし今回発見したのは、彼はお世話モードになると、途端に接近してくれるということだ。  ミルファがルシアーノに甘えすぎなのかもしれない。彼がそばにいるとつい、ふわふわくらくらしてしまう。ふらつくと腰を支えてくれるし、飲み物を持つ手にそっと手を添えてくれたりもする。  裸で温め合うことも躊躇わなかったし、背中を預けて椅子代わりにしたって怒らない。もちろんそこに性的な意味は全くないけど、ついミルファは嬉しくなってしまう。  間近で見ても綺麗で、飽きない男前だ。瞳は夜明けを迎えたばかりの空のようで美しいし、紺青の髪色はミルファの目の色に近いから密かにお気に入りだったりする。  見た目だけが好きなわけじゃないけど……惚れた男を身近に感じられるのは、すごく幸せ。  ――ああ、認めよう。やっぱり好きになってしまった。  もう時間の問題だったのだ。情けないミルファを堂々と支えてくれて、ちょっとしたことでも本気で心配してくれる人を、好きにならずにいられるだろうか?  彼の弱いところを目の当たりにするたび、ミルファの心は甘く締めつけられる。前の夫に未練があることを知ると、どうしようもなく悲しい気持ちになる。  ふたりきりで過ごした夜がきっかけになり、ミルファは恋心を認めざるをえなかった。 (伴侶なのに初めから失恋確定って……さすが僕だな)  ベータの自分がアルファの男性に恋をしてしまうなんて、他人から見れば無謀で、馬鹿らしいと思われるだろう。でも好きになった人の二次性が自分にとって都合の良いものである可能性のほうが、少ないんじゃないかと思うのだ。  ミルファが異性を好きになれたらよかった。しかしそれでは自分じゃない。  誰にも迷惑をかけないのであれば、自分の好きな道を進みたい。    ルシアーノだってまだまだ男盛りだ。ここで心を休めて、そのうち女性やどこかのオメガのもとへ行くまで……ミルファは密かに彼を想いつづけることを、自らに許した。 「……ミルファ、なんか小さくなった?」    翌日、ミルファは皆の反対を押し切って仕事に来ていた。ラッチ湖の報告をしたかったし、元気なのに寝ている方が不健康になりそうだったからだ。  王室家政長官局の部屋に出勤してすぐ、出会い頭のユノに指摘されて両頬に手を当てる。自分では気づかなかったけど、二日間まともな食事ができなかったからかな?  昨日だって柔らかいものしか食べさせてもらえなかった。とはいえ指先にふにゅと弾力を感じたから大丈夫だと思う。 「実はさぁ、ラッチ湖まで遠乗りしたらすごい雨が降ってきて。びしょ濡れになって風邪引いちゃったんだよね」 「えぇっ! ミルファが風邪!? 昨日か一昨日ってことだろ? もう出てきて、大丈夫なのかよ」 「ぜーんぜん余裕。あ、長官〜! ラッチ湖の下見してきましたよぉっ」 「熱心だねぇミルファくん。旦那さんと行ったの?」 「えへへ、はい。楽しかったです……! あとでちゃんと報告しますね」  フェブルウス長官に旦那さん、と言われて耳がくすぐったい。へにゃりと笑ったミルファを、ユノは喉の奥になにか詰まっているような表情で見つめていた。朝ご飯を食べすぎたのかもしれない。  午前中の業務でラッチ湖のおすすめポイントや天候が急激に変わりやすいことなどを長官に報告できて、ほっとした。  それからユノがエトワの天文台について調べたことを報告しているのを聞いて、今度はそちらに行ってみようかな、と思いつく。  天文台を貸し切る件はエトワの領主が快諾したようだ。立派な領主館があるらしく、宿泊の際も安心してほしい。豪華な晩餐会も用意すると返答があったと聞いた。  エトワにはオーロラが見られること以外にこれといった産業や特産品もないため、長官は「立派? 豪華……?」と首を捻っていたが、近衛騎士の下見では問題なかったというから嘘ではないのだろう。  オーロラの出現率が高い時期は年の半分程度、秋の終わりから春のはじめにかけてと言われている。晴れて空気の乾燥している日が良いそうだけど、こればかりは運次第だ。  ミルファはオーロラが見てみたかった。星くらいどこからでも見えるが、オーロラは違う。空に彩色のカーテンが広がって見えるというのは本当だろうか。確かにユノの用意した資料には美しい色が描かれていた。  夜空鑑賞が目的なら宿の確保は必須だ。小さい町だから宿は少なそうだが、早めに着けば問題ないだろう。    それに……ミルファはルシアーノとバルコニーで語った夜のことを忘れていない。彼は久しぶりだと言いながら熱心に星を見つめ、方角を読み取れる星があることや、星とは異なった動きをする惑星の位置などを教えてくれた。  ルシアーノは夜空が好きなのだ、とミルファはあの日知った。あとは読書。最近そこに加わったのがクレアだ。  エトワに連れて行けば、きっと喜んでくれるだろう。ミルファは自分の望みをなかなか伝えてくれないルシアーノを喜ばせたかった。  本当なら馬車の方がいいんだろうけど、理由がないと何日も仕事は休めないし、時間的に騎馬での移動が確実だ。  もう冬も近いが、ロームルスは比較的温暖な国だ。雪で足止めされる時期にはまだ早い。  昼食を食べながらミルファはそんなことばかり考えていた。というか、いつのまに食堂まで来てたんだっけ?  またユノが連れてきてくれたらしく、彼は向かい側に座りじいっとミルファを見つめている。 「え……なに? 顔になんか付いてる?」 「いやぁ〜? なんか楽しそうだなと思って。ほら、もっと食べて。痩せちゃったぶん取り戻さないと『旦那さん』に心配されるだろ?」 「もう散々心配されてるってば……。ルシアーノってさ、ああ見えて心配性なんだよ。よく言えば面倒見いいんだけど、熱が下がっても寝てろって言うしさぁ。今朝までミルクでやわやわにしたパンとか、とろとろのスープしかもらえなかったんだから!」 「…………」  大皿から取ったパンにハムを乗せ、むいっと歯で食いちぎる。あぁ、晩餐はちゃんとした肉が食べたい……  ミルファは「旦那さん」の話をできることが嬉しくて、ユノのメンタルをぐさぐさ刺していたことには気づかなかった。 「ね、エトワにいい宿屋あるかなぁ? ユノ行ったことあるんでしょ?」 「ん〜子供の頃だしな……両親が物好きで。確か泊まったのは別のもっと大きな町だったぜ? 正直オーロラに感動した記憶がほとんどで、他のことは覚えてない。そのときは天文台もなくて、ただの田舎町って感じだったかな……ってミルファそっちも行こうとしてんの!? え〜〜、おれも行こうかな……」 「あ、じゃあ一緒に行く?」 「え! っ、行く!!」  驚くほどの食いつき方だ。ユノも立案者なだけあって、エトワへの気持ちは強いんだなきっと。  ルシアーノと二人で行くつもりだったとはいえ、特に問題はない。ユノと三人というのも楽しそうだ。夜会で会ったときもいい感じだったし、きっと彼らは仲良くなれるに違いない。  ルシアーノの喜ぶ顔を独占したかったなー……と、少しだけ考えてしまうけど。別にがっかりなんてしてません。   「ルシアーノにもユノと一緒でいいか聞いてみるね。駄目っていう人じゃないから大丈夫だと思うけど」 「あ゙〜。やっぱおれ、やめておくわ……。最近夜会の誘いが多くてさ〜。うっかり忘れてた」 「そう……? ユノの方が忙しそうだもんね。残念だけど、下見はばっちりしてくるから安心して!」 「もう風邪引くなよ」  ミルファはルシアーノを独占できるようだ。別に喜んでなんていません!  鼻歌を歌いながら屋敷に帰ると、いつもと雰囲気が違ってピリッとした空気を感じた。上着を受け取った侍従も、ミルファについてくる家令のディードーも、顔にこそ出さないがどことなく態度に緊張が含まれている。 「どうしたの? ルシアーノになにかあった?」  書斎に入ってディードーへと開口一番に訊ねると、きゅっと唇を引き結び、眉間に皺を寄せ難しい顔をする。なんなんだ。想像もつかないし怖いから早く教えてほしい。 「今日の昼……屋敷に来客があったのです」 「え。僕もいないのに? もしかしてルシアーノのお客さん?」 「ルシアーノ様も外出中でした」  あ、そうか。そういえば以前、ルシアーノに外出許可がほしいと言われて、もちろんいいよと頷いたことを思い出す。  ミルファが仕事をしている間に出かけているのか。そんな素振り、一切見せなかったからミルファは全く気づいていなかった。というか忘れていた。 「え……てことは、本当に誰のお客さん?」 「ミルファ様でしょうが、誰でも良かったのかもしれません。その方は、私たち使用人にこう伝えたのです。『ルシアーノ様はセリオ侯爵を殺した』と……」  ――は???

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