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15.星降る夜に
「わぁ……雪だ……!」
「雪って積もると綺麗なんだな。地形でここまで変わるのか……」
馬の蹄がサク、と音を立てて積もった雪を踏みしめる。目の前には美しい雪原が広がっていた。葉を落とした寂しげな木も、群青の空と真っ白な雪景色の前では彩りの一部だ。
ラッチ湖と同じくルテティア方面だが、エトワは山をひとつ越えるため全く景色が違った。雪の降りやすい地形らしく、ミルファたちは初めて雪が地面を白く染めているのを見て感動していた。
眼下にはエトワの町が広がっている。もしオーロラが出るなら町からでも見えるだろうが、やはり見晴らしのよい場所に出て見たい。今日は運に恵まれるだろうか?
町の中心には教会があり、その周囲に商店や宿屋のありそうな大きめの建物が集まっている。その外側には小さな民家が広がっていた。
「宿はあの辺かな? エトワって……こんな感じなんだね。長官が首を捻ってた理由、分かる気がする……」
「雪が積もるなら農地の使える期間もかなり限られているだろうな。雨も多いそうだが、多ければいいってものでもない」
国王夫妻の立ち寄りを歓迎しているのだからもっと華やかな場所をイメージしていたが、どことなく寂れた町に見える。外を出歩いている人影は少なく、古く修繕の追いついていない建物ばかりだ。
しかし町の奥にででんと立つ白亜の建物はとても立派で、あれが領主館だろうと見当がついた。町を挟んで反対側にはどーんと立つ塔がある。こっちは間違えようもなく天文台だろう。
地方領主の生活は優雅なものだ、というのは侍女長のポモナ談。彼女もかつて地方領主の館で勤めていたのだ。
都市貴族、しかも端くれのミルファには想像さえつかないものの、あの建物を見ればなんとなく分かる。豪勢な晩餐会を開き国王夫妻をもてなすこともできそうだ。
ぴゅうっと白い風が吹きつけ、厚着でモコモコになっているミルファの肌を隙間から冷やす。空は晴天だが、風が強い。
「う……風が冷たい」
「早く宿を決めよう。そのために早く来たんだろう?」
「うん、今なら選び放題だね。行こうか!」
緩やかな傾斜を下りて、町の中心を目指す。雪は踏み締めると地面が顔を覗かせる程度の深さで、足元は悪くなかった。
今宵は新月だ。オーロラが見られずとも、この天候なら美しい星空を望めるだろう。
エトワに行こうとルシアーノを誘ったときはかなり驚いていたけれど、その目には期待が輝いていた。喜んでくれたらミルファも嬉しい。
「え……ひと部屋しか、空いてない!?」
「すみませんねぇ。ここ数日オーロラが見られなかったってもんで、旅人の方たちが粘って滞在してるんですわ」
「そうなのか……。ちなみに、ここの他にも宿屋はあるのか?」
「もう一軒ありますがね、同じようなものだと思いますよ。どうします?」
「ここにしよう」
「えっ、ルシアーノ!? で、ででででもっ」
「決めないと、泊まる場所がなくなるぞ」
ルシアーノがさっと親指で背後を指すから振り返ると、自分たちと同じことを宿屋の主人に尋ねようとしている旅人らしき姿が見えた。
確かに、ここを出て他の宿まで見に行っているあいだに泊まるところがなくなってしまう可能性はある。そうなると民家に頼み込んで納屋を貸してもらう、なんて選択肢しかないため、ミルファには少しハードルが高い。
腹を決めるしかないだろう。同じ部屋で寝るくらい、ラッチ湖のときと比べれば大したことではない。
うん、全然平気。
(……ど、どどどうしよう!!!)
「寝台もひとつですが、枕はふたつ用意しますんで。すみませんね」
「枕……」
「あなた方は運がいい。来た初日に、きっと見れますわな」
地元の人間であれば経験則で、ある程度オーロラの出現も読めるのだという。休息日と祝祭日が連続する日を選んできたとはいえ、何日も滞在できないミルファにとっては朗報だ。
「運が、いい。……これで?」
「ははは……これがこの町の限界なんだろう。夜はどうせ外に出るんだ。数時間眠るくらいならなんとかなるさ」
ミルファはもう使っていいよと案内された部屋に入り茫然とした。調度こそラッチ湖で泊まった小屋より揃っているが、部屋は狭い。ついでに寝台も狭かった。
体格のいいルシアーノと並んで眠ったら、寝相で床に落ちそうなくらい。どう見ても単身向けの部屋だ。
これできっちりと二人分の料金を支払ったのだ。地方は物価が安いと聞いていたけれど、ここは例外らしい。
これでは流れの旅人もひと晩泊まるだけで大変に違いない。庶民にはお高い町ってことか……。ミルファは窓から素朴な町を見下ろして遠い目をした。
食堂もついておらず、外に食べに出なければならない。ルシアーノと相談し、夜は早めに食べて、朝は持ってきた軽食を食べよう決めた。
ミルファは健康のため、三食きちんと食べることにしている。なお食べ過ぎは太るだけなので、気をつけないといけない。
小さくなったと言われてショックを受けたものの、太ったと言われたのも悲しかった。
前回の遠乗りのことがあって、軽食という名のおやつは多すぎるほどに持たされている。飲料水と湯はもらえるみたいなので、ビスケットや干した果物でも充分な食事となるだろう。
オーロラが出現するのは夜も更けて晩課の鐘が鳴ったあとの数刻らしい。それまではまだたっぷりと時間がある。
ミルファは見るほどに狭い寝台から目を逸らしながら、ルシアーノに声をかけた。
「観光するような場所はなさそうだったけど、外の散歩でもしようか」
「天文台の方へ行ってみないか? 中まで入れなくとも、近くで見てみたい」
「もちろん!」
ルシアーノが希望を主張するなんて珍しい。嬉しくなってつい即答してしまう。
宿屋の近くには品数は多くないが日用品や食品を売る商店があった。活気のない町の様子を何とはなしに見ながら、住宅街を抜ける。
冬に畑仕事ができなければ、皆内職に勤しんでいるのかもしれない。とはいえ子どもが外で遊んでいる様子もないのはちょっと不思議だ。教会で勉強しているのかな?
学び場のない地域は教会で最低限の読み書きを教えると聞いたことがある。教育への力の入れようは領主によって異なるが。
ちなみに貴族は学園に通うか家庭教師が定番だ。ミルファには家庭教師だった。存在も認めたくないものの、ミルファが外へ働きに出た際あまりにも馬鹿だと恥ずかしいと思われたのだろう。
と、ぼんやり考えていたところで六、七歳くらいの子どもが二人遊んでいるのが見えた。丸めた雪を投げ合ったりしているのが微笑ましい。
小柄な方は男の子らしい服を着ているが、よく見ると女の子と見紛うほど愛らしい顔立ちをしている。幼いのにどことなく色気まで見える、田舎にそぐわないほど完成された美形だった。まるで、二次性が……
「こら! 外に出たらだめって言ったでしょう!」
近くの家から出てきた母親らしき大人が子どもを叱る。「見つかっちゃった」と、その子は残念そうにもう一人へ手を振り、家へと入っていく。
ミルファたちが見ていることに気付いた母親がビクッと身体を強張らせ、早すぎるほどに扉をバタンと閉めた。もしかしたら、子があの容姿だから外部の人間に警戒しているのかもしれない。
治安は、そこまで悪くなさそうだけどなぁ。なにしろオーロラ目的の旅人以外いない。
もう一人の身体が大きい方の男の子は、名残惜しそうに閉まった扉を見つめてから別の方向へと歩いていった。まだ明るい時間帯なのに、なんだか可哀想だ。
しかし声を掛けるのも怪しく思われる気がして、そのまま天文台へと足を進めた。
美しい自然に囲まれたのびやかな町を想像していたけれど、そこに暮らす人々は窮屈そうに見える。まぁ決定的な何かがある訳でもないから、職場での報告には及ばないだろう。
結局天文台は本当に外から眺めるだけで終わった。窓から人影はちらりと見えたりしたが、周囲には人っ子一人いない。
それでも屋上があるのを見て、「夜はあそこから星を観察しているのかなぁ」「星の位置を測る道具があるらしい」などと他愛のない話をするだけでも楽しいものだ。
学者の人と話してみたかったな、と少しばかり残念に思いつつ。日が落ちてきたので町の中心へと戻り、早めの夕食を済ませた。湯をもらって交代で身体を拭いたりしていたらあっという間に外は暗くなる。
他の部屋の人も外へ出る気配を感じて、ミルファもそろそろかな、と立ち上がった。わくわくしてこれ以上じっとしていられない。
「ルシアーノ、そろそろ行こう!」
「ああ、ちょっと。こっちを向いてくれ」
ミルファを引き留めたルシアーノは、首元に巻いたシルクのクラヴァットの上からウールのマフラーをぐるぐると巻き付けてくる。隙間ができないよう、肌に当たる部分は手で細かく調整してくれる几帳面さで。
ほとんど肌に触れていないのに、ミルファの身体はなぜか、驚くほど緊張に包まれた。項が電気を溜め込んでいるかのようにチリチリし、鼓動が早まる。
「んっ」
「……できた。これでいい」
抑えた緊張がパンと破裂してしまうんじゃないかとドキドキしていたけれど、どうにか破裂する前にルシアーノは満足してくれた。身体に熱が溜まった気がする。
「あつい……」
「今だけだよ。行くぞ」
ルシアーノは自分にはぞんざいにマフラーを巻きつけ、扉の方へと向かう。世話を焼かれて嬉しいのと、自分はどれだけ弱いと思われてるんだと癪に障る気持ちが混じり合って、じいっと彼の姿を見てしまう。
こっちは着膨れしてモコモコなのに、彼は着込んでも逞しく見えるだけなんてずるい。
「ん? ほら、オーロラが逃げてくぞ。行こう」
なかなか動かないミルファに、ルシアーノは手のひらを上に差し出す。子どもじゃないんだからな……と内心膨れつつも、その手を取った。
オーロラはまだ出ていなかった。いや、このまま出ない可能性もあるが、夜空は凛と静かにそこにある。
ふたりでたまに空を仰ぎながら、ここへ来たときに通った見晴らしのいい丘まで歩いて行く。なんとなく、手は繋いだままで。
(あったかいし……いかにも僕は転びそうだから)とミルファは自分に言い訳していた。ルシアーノの胸中はわからない。
月の光がないぶん、星の数は多く見える。ふだんは隠れているような小さな光まで一生懸命に存在を主張し、宵闇を埋め尽くしていた。
空気が澄んでいるからだろうか。王都で見上げた空よりも、圧倒的に星たちの煌めきはまばゆく、綺麗だ。
他の人たちは宿の近くで空を見ていたから、ミルファとルシアーノはふたりきりだ。
耳をすませば、揺らいで瞬きを繰り返す星々の音が聞こえそう。それほど周囲はシン……と静かだった。
口を開かずとも、握られた手から静かな興奮が伝わってくる。気持ちはわかるよ、という意味を込めてぎゅっと握り返した。
しばらく初見の感動を味わってから、見つけた木株に腰掛ける。持っていたランタンも消してしまうと歩くのさえ不安なほど暗くなった。
しかしその場は僅かに青く発光しているように感じられた。町中の雪は昼間の陽気と人の活動で消えてしまったが、ここにはまだ触れてない雪が残っているからだ。雪原が空の色を映している。
腰掛ける際に手は離れたものの、手のひらにはルシアーノの熱が残っている。それを逃さないよう自らぎゅっと握り込み、オーロラの出現を待つ。
木株に腰掛け星空を見上げながら、ミルファはなんとなくルシアーノに話しかけた。
「ねぇ……天文台の人はどんなことを研究しているのかな」
「それなら少し知っている。太陽、月、惑星がどの星座にいるのか、次の年はどの星座に移動するのか、それが国の運命にもかかわってくるのは聞いたことがあるだろう? だから惑星の運動を法則化しようと研究したり、星の位置を観測して星図を作ったりしているそうだ。自然界を実証主義的に観察し解釈するなんて、昔は異端と考えられていたけどな……」
「へぇ〜、そうなんだ! ……ねぇ、どうしてそんなに詳しいの?」
途端に饒舌になったルシアーノへと、自然な問いがこぼれる。家庭教師から天文学を学ぶ機会はなかった。
「両親が死んでから……俺を養ってくれた人が、昔この辺りに住んでいたんだ」
「え……」
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