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17.熱を秘して

 翌朝、ミルファはルシアーノよりも先に目覚めた。 (んー……身体が熱っぽい……)  なんなのだろう。前回は熱が出ても仕方ない理由があったけれど、今回は本当に心当たりがない。  寒いところに数刻いたとしても、対策の厚着はしていたから全身冷えるほどではなかった。毛布一枚で寝たとしても部屋はそれなりに暖かかったから問題なかった。  か弱いオメガじゃないんだから、自分が頻繁に体調を崩したって儚くも美しくもないし迷惑なだけなのに。 (知恵熱かもしれないな……あはは)  昨晩の出来事はミルファにとって完全にキャパオーバーだったのだ。片想いは経験があっても心が近づいた経験や、ましてや身体的接触をもった経験はない。  家族だから、夫婦なんだから普通の接触だと自分に言い聞かせても勝手に喜んでしまうし、親しい友人のような会話をするだけで浮かれてしまう。重症だ。  ルシアーノだって寝ぼけてあんなこと……! よっぽど経験豊富なんだろうな、と思うと気持ちは沈むが、彼に対して怒るのはやっぱり違う気がする。  結局のところ、簡単に触れられるほど近くにいられるのは役得だと思ってしまうんだから自分も大概だ。  短い眠りだったものの、ひと晩経てば冷静な思考が戻ってきて安心した。昨晩の星空やオーロラは素晴らしかったし、全体で見ればとても良い旅だったといえよう。  そう。良い旅で終わらせるためには…… 「おはようルシアーノ! 昨日は理不尽に怒っちゃってごめんね」 「ミルファ……悪いのは俺だ。君からすごくいい匂いがして……いや。これは言い訳だな。とにかく、夢と思って好き勝手してしまった。どんな罰も受け入れよう」 「罰なんてないよ。わざとじゃないって分かってるんだから。もう、忘れよう?」 「でも……うん、とりあえず今は……。というか、顔が赤くないか? 体調は?」 「元気だってば。昨日の移動で日焼けしちゃったのかも。――さ、朝ご飯食べよう!」  ミルファは熱があるのをごまかした。以前ほど重症じゃないから、屋敷に帰るまではなんとか動けそうだ。  ばれたらミルファをソファに寝かせたせいだと思い込んでしまいそうだし、もうルシアーノに無意味な責任を感じさせたくない。  そのあとは、なぜかルシアーノの手でビスケットを口に運ばれたりしつつも和やかに食事を終え、昨日転びかけたことを言い訳に手を貸されながら宿の階段を降り、愛馬たちに乗馬してエトワを発った。  しばらく移動を続けているうちに、ようやくミルファは気付いた。 (なんか、距離が近くない!?)  朝の冷えた空気で頭を冷やしてやっと客観的な変化に気付く。看病とは違うものの、ルシアーノはごくごく自然にミルファの世話を焼いている。昨日はあんなにも動揺したのに、自然すぎて違和感なく受け入れてしまうくらい。  いや、これくらい普通かな……? ひとりで考えても答えが出ないのは分かっていた。  ミルファは恋心が自分を過剰反応させているだけなのか、ルシアーノの心境の変化が距離を縮めさせているのか、判断できるほどの経験値を持ち合わせていないのである。    どうしようもなく嬉しく感じてしまう気持ちを陽だまりのように抱えつつ、熱っぽさにしんどい感覚も抱え、ミルファの心情以外は何事もなく帰路についたのだった。 「ちょっと寝不足みたいで……今日は部屋で休むね。二日間ありがとうルシアーノ」 「こちらこそありがとう。ゆっくり休んでくれ」 「……っ!」  午前中のうちに屋敷へ到着し、私室の前で足を止めた。平然を心がけた挨拶で別れを告げたミルファをルシアーノは当たり前のように抱擁し、すぐに解放する。  ミルファはふらりと倒れそうになったのを気付かれないように、そそくさと扉の向こうへと逃げた。  そのまま寝室へと歩みを進め、ぱたんと顔から寝台へとダイブする。もういろいろと限界だった。 「ミルファ様、お疲れですか……?」 「うん、ちょっと……だめかも」 「みっ、ミルファ様!?」  主人のらしくない行動に疑問を感じた家令のディードーが、窺うように声をかけてくる。親代わりともいえる彼の前ではミルファも取り繕えなかった。  駆け寄ってきて熱を測るまでもなく、力ない表情と赤く火照る肌に気づかれてしまう。反対に青褪めるディードーに、どうしてもこれだけは伝えたい。 「お願いだから……ルシアーノにはいわないで……」 「……でも、」 「おねがい……」 「……畏まりました」  言質を取ったことに安心して、意識を手放す。医者を呼ぶほどひどくもないんだ、ただ眠いだけで。そう伝えたかった言葉は、ディードーに届くことはなく。  こそこそと呼ばれた侍女長ポモナとディードーの相談しあう声にはミルファも気付かなかった。  結局、ぐっすり眠っているからと嘘をついてルシアーノとの晩餐も断らせてもらい、ミルファはひっそりと部屋で病人食をいただいている。  微熱でも食欲がなくなるのには難儀して、それでもなんとか飲み下す。明らかにやつれた様子なんて見せたら、すぐに彼は気づいてしまうと思ったからだ。  介助役にはポモナ。ルシアーノへ秘密にする代わり、彼女と料理人にはミルファの不調が明かされている。ここで間違ってもセルピナに伝えてはいけない。 「ミルファ様、ルシアーノ様にお抱かれになったのですか?」 「ぶっ。え? ゲホッゲホッ……なに!?」  パン粥を吹き出すところだった!  あからさまな発言に、熱とは別の意味で顔が赤くなるのを感じる。ポモナは心配そうにこちらを見つめるわりに、容赦しない。 「お二人が見るたびに仲良くなってきていることには気づいております。お好きなんでしょう。ミルファ様ったら、わかり易すぎますよ?」 「うそぉ……隠してるのに!」 「ほほ、まだまだ未熟ですわね、我らがご主人は。……それで、二人で外泊した途端に体調を崩されたのでそういうことかと思ったのです。風邪っぽくは見えませんしねぇ……男性で受け入れる側は負担が大きいと聞きますから」 「う、受けっ……!? 違うから! まだまだ全然片想いだから……はぁ……」  恥ずかしくって大声を出した代償に、くらりと目眩が襲ってくる。「落ち着きなさいませ」って、ポモナのせいなんですが。  その後身体を拭いてもらうときにも「痕跡はありませんね」と確認してくるものだから、まだ疑っていたのかとミルファは目を剥いた。なんだか疲れてしまい、たくさん寝たのにその夜もぐっすり眠ってしまった。  しかし、翌朝もミルファの熱は下がっていなかった。動けないほどではないからとルシアーノと共に朝食をとり、「寝すぎちゃった、あはは」とごまかしの笑み。 「やっぱり顔色が……」 「大丈夫だから! じゃあ、もう出仕するから。ルシアーノはゆっくり食べてて」 「あ、ああ……俺も今日は出かけるから」  ミルファに合わせてルシアーノも立ち上がったので、またハグされる! と今日ばかりは危機感をいだき慌てて食堂を後にする。距離を縮めてくれるのは嬉しいけど……今はちょっと……ウッ。  自室に戻ってすぐ、ミルファは少ない朝食を戻してしまった。 「ゔぅ……ごめん」 「医者を呼びましょう」 「でも、ルシアーノに……」 「ああもう! 頑固なんですから……ルシアーノ様が出かけた後にします」 「ありがと……ちょっと、横になりたい」  無理に朝食を食べたのが仇となったらしい。ディードーに介抱されながら、ミルファはソファへぐったりと横になる。ほんと、どうしちゃったんだこの身体は。  その後寝台までミルファを運ぶため、力自慢の侍従ロービーが呼ばれ彼にも不調がバレてしまった。  ロービーは「ミルファ様、死なないでくださいぃ!」と耳元で騒ぐからすぐに部屋を放り出された。ちょっと泣いていたから可哀想だったけど。  王宮には代理人に手紙を届けてもらい、ミルファもしくしく泣きたい気分だ。はじめて体調不良なんかで仕事を休んでしまった罪悪感は大きい。  長官も同僚も優秀なので問題はないと思っていても、自分自身が居た堪れなかった。それに、給金を支払っている使用人たちを不安にさせてしまうに違いない。  もうこれは医者に治してもらうしかない! とミルファ自身も気合いを入れて呼んでもらったのだが、彼も原因には匙を投げ。街で評判の薬師を呼んでみるか? と相談していたところ、昼を過ぎてミルファの体調が回復してきたので結局その話も流れた。  やっぱり病気とかじゃないと思うんだよなぁ。  翌日からは通常どおりの生活に戻った。以前ルシアーノに貰ったお茶をこっそりと買い足したり、使用人が薬師に聞いた滋養に良い食べ物などがさりげなく食卓に並んだり。健康のための努力は続けている。    寒さも厳しくなってきたので遠出はしばらく控えようと思う。その代わりと言っては何だが、王都の貴族は冬も夜会に忙しいのだ。  数は絞っているものの、ルシアーノと一緒に片手で足りないくらいには夜会に参加している。初回が兄の登場で後味の悪いものだったためルシアーノ抜きで参加すると伝えたのだが、彼は頑としてミルファをひとりで行かせなかった。  とはいえ、運良くあれ以来家族には会っていない。あのとき兄はルシアーノに怯えているように見えたから、避けられているのかも。  今日参加しているのは侯爵家主催、立食形式のダンスパーティーだ。規模が大きいため、残念ながら今回はミルファの兄夫妻に加え、両親を引き連れた妹まで見えたのでウンザリしてしまった。とにかく無視を決め込むことにする。  ミルファはルシアーノに踊ってみる? と誘いをかけたものの、申し訳なさそうに断られてしまった。 「すまない……ダンスは踊ったこともなくて」 「あ、謝らないで! 今度屋敷に先生を呼ぼうよ。僕が相手役してあげるからさ」  ルシアーノはダンスレッスンさえも受けたことがないのかもしれない。ミルファは自分がそこまで思い至らなかったことを反省した。  よくよく考えてみれば、ルシアーノと踊るなら体格的に自分が女性役だろうし、ミルファにも練習が必要だ。  乗馬もあっという間に習得した彼なら、すぐにダンスもできるようになるだろう。きっと様になって格好いいだろうなぁ。  目立つのは覚悟の上で、いつか一緒に踊りたい。男同士で踊るペアは少ないし、相手が平凡な自分であることはこの際置いといて。  演奏家の奏でる優美な音楽を聴きながら、ルシアーノと一緒に食事の並ぶテーブルへと移動した。贅を凝らした食事が煌びやかに並び、踊る花々よりもミルファの目を楽しませる。  ミルファが自分の皿に好きなものを乗せているあいだ、ルシアーノは給仕から受け取った酒を口にするだけだ。彼はいつもそう。  いつもミルファと同じ量しか食べないことからも分かるとおり、元々食は細めなのだが、パーティ会場ではさらに食欲をなくすらしい。 「まだ全然慣れない?」 「うん、まぁ、少なくとも時間の経過は読めるようになってきたかな……」 「あはは。注目を浴びるのはもはや宿命だよ。こんなに格好いい、んだ……もん……」  つい本音で容姿を褒め称えてしまい、言葉が詰まる。あれ、これくらい伝えたことあるはずなのに。  急に恥ずかしくなってきて、頬を淡く染めながらミルファは目を逸らした。今日も眩しいほどタキシードが似合っているのは言うまでもない。  そのとき、ルシアーノの手がミルファの顎に添えられ視線を戻される。見上げた先にはなぜか楽しそうに目を細めた美丈夫。 「ミルファがそう思ってくれるなら、嬉しいな」 「ひぇ」 (色男すぎる!!!) 「失礼、ミルファ卿かな?」  ミルファなんかに向けて垂れ流された色香に、情けない声が漏れた直後。パラティーノ伯爵家の当主に声を掛けられた。ロマンスグレーの髪が似合うダンディな御仁だ。 「閣下。ご無沙汰しております」 「君だね!? セリオ侯爵の……驚いた! 噂を聞いて半信半疑だったが……いやはや」  ついに来た。

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