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21.心の父はふたりいる
屋敷に手紙を届けてもらうというポモナを見送り、ぼうっと座っているとミルファに来客があった。
「大丈夫かい? 目覚めたと聞いて居ても立っても居られなくて……」
「っ、長官!」
部屋に駆け込んできたのは、息を乱したフェブルウス長官だった。目の前で倒れてしまったから、ミルファの様子は逐一報告をもらえるようにしていたらしい。
そこまでミルファのことを心配してくれていたなんて申し訳ないけれど感激した。
長官はディードーとはまた違った、ミルファの父親のような存在だ。侍従だったミルファを見込んで局に引き立ててくれたのがこの人で、感謝しているし常に尊敬している。
彼を前にすると、ミルファは身の内で膨らんでいた不安がぽろりと口からこぼれてしまった。自然と目に涙が浮かぶ。
「長官……どうしましょう。僕……オメガになっちゃいました」
「……そうか。そんなに不安そうな顔をしてどうしたんだい? ミルファくんがミルファくんであることに変わりはないだろう? 旦那さんに支えてもらったらいいじゃないか」
「うぅっ……もう別れたんです……」
「は? えーっ! ちょ、ちょっと泣かないで」
優しく真摯に励ましてくれたのに、最後のひと言はミルファの心を抉った。ぐずぐずと泣いても長官を焦らせるだけだと分かっているけど、情けなくて涙が止まらない。
あまり大っぴらにすることではないのかもしれない。けれどミルファは誰かに寄りかかりたくて、全部打ち明けてしまった。
「婚姻が認められてなかったんです。それを彼はずっと僕に隠していて……。しかも今度はうちの妹と婚約するみたい。もう、訳がわからなくて……家を、追い出しちゃいました」
「……うーん……?」
長官は顎に手を当てたまま身体が傾くほど首を傾げた。納得いかない、というように眉間に深い皺まで寄っている。
「ミルファくんが選ばれたのは、間違いないはずなんだけどなぁ。それにミルファくんの家族って、申し訳ないけど、その……」
「あまり関わりたくない相手ですね。僕にとっては」
「そう。“資金繰りが危ないから見張っておこうね貴族リスト”の筆頭に、国王と宰相が挙げてたよ」
「…………」
なんですかその不穏なリストは。長官が国王や宰相と親しい仲であるという噂も、王宮では流れている。ミルファは気にしたことがなかったが、これは本当である可能性が高い。
長官いわく、ルシアーノの行動には裏がありそうだ。なんだかおかしい、としきりに繰り返していた。
(いや、ずっと裏がありそうだと思っていた結婚で、どんでん返しされたとこなんですけどぉ!?)
「おかしいといえば、エトワが……」
「え、エトワで何かあったんですか?」
「いや、病み上がりの人に仕事の話はやめよう。ミルファくんの席はちゃんとあるから、落ち着くまでゆっくり休んでほしい。……分かっているだろうけど、王宮にはアルファが多い。行動には気をつけることだよ」
ミルファは深刻な表情で頷いた。貴族のオメガは人気がある。か弱いオメガを狙った事件も時々あるため、基本的にひとりでは出歩かないのだ。
自分がオメガになったところで魅力が出てくるはずもないが、後天性となると不躾な視線も集まるだろう。王宮では変に目立たないよう気をつけたい。
翌日になってポモナを連れ、自宅に帰った。倒れていた間の記憶はないものの、なんだか久しぶりに帰ってきたような感慨がある。ディードーはたった数日で何歳も老けたように見えたし、相当な心労を与えてしまって申し訳ない。
さっぱりと身支度してから使用人たちを集め、ミルファは事実を打ち明けた。
「みんな、驚かないでね。――僕は後天性オメガだったらしい」
「「「……ええっ!?」」」
「あはは、驚くよね……自分でも信じられないけど、王宮の医官に診てもらったから事実だ。体質が変わってしまってこれからみんなにも気を遣わせてしまうと思うけど、よろしくね」
最後に他言無用でお願いして、みんな「当然です!」と頷いてくれたけれど、顔からは驚愕が抜けていない。使用人はみなベータだが、家族にオメガがいる人のところに集まり作戦会議のようなものを始めている。
ちょっと恥ずかしいけど、どこまでも主人思いで頼もしい。「私たちでミルファ様をお守りしよう!」って……別に守られるようなことないからね?
正直寝すぎで疲れていたミルファは、私室ではなく書斎へ向かった。ルシアーノがいれば問答無用で寝台に突っ込まれたかもしれないが、そこまで実力行使にでる者はもうここにいない。
ついてきたディードーはミルファが座るなり、もの言いたげな視線を寄越した。
「……ミルファ様」
「もう元気なんだから、家の仕事くらいさせてよ。とっても健康だって医官の先生にもお墨付きをもらったし。……心配かけて、ごめんね」
「はぁ……本当に、心配いたしました! ご自身のせいではないと分かっていますけど、ここのところ色々ありましたから……」
「なんていうか、怒涛の展開だよね。あはは」
夜会で家族と会って、ルシアーノに不信感を抱いて。信じると決めたのに調べてみれば婚姻は結ばれておらず、生家に行けばルシアーノがいるし。屋敷を追い出して、翌日にはぶっ倒れて二次性が変わってしまった。
精神的に疲れていた。とはいえ使用人のみんなに支えられ長官にも不安を吐き出して、ミルファとしてはどこかスッキリしている。
これ以上嫌なことはないだろうってくらいどん底だ。つまり、これからは上がっていくだけ。
「ルシアーノ様に、知らせなくていいんですか……?」
「なにを? 僕がオメガになったから戻ってきてって言うの?」
「いえ……申し訳ありません。もちろん彼がミルファ様を騙していたことには憤りを感じます。でも、なんだかそれだけではない気がして……」
ルシアーノの話になると感情が制御できなくて、つっけんどんになってしまう。ミルファはこっそりと反省しつつ、ディードーの意見に耳を傾けた。彼もミルファも、ルシアーノの性格を知っているからいまだに憎みきれないのだ。
「うーん、長官もずっと首傾げてたんだよねぇ。ちょっと調べてみたい気もする」
実はもっと裏があるんじゃないか? あのときは怒りに任せてしまって、ルシアーノの言葉を聞かなかった。
自分に都合のいい答えが隠れているとは思えないにしても、真実を知りたい気持ちはずっとある。
(ルシアーノは、どこに行ったんだ……?)
まだ婚約段階でミルファの生家へ入ることって、あるだろうか? 早々に婚姻まで進んでいれば、あるいは。
それとも侯爵邸……? 色々と残務が残っていたのであれば、そのまま泊まることもあり得る。しかしもう彼の家ではないはずで、何日も滞在できるとも思えない。
侯爵と出会う前に住んでいた家もあるはずだが、こちらは見当さえつかない。徐々に知っていく過程だったとはいえ、もっとルシアーノのことを聞いておけばよかったとまた後悔してしまう。
ミルファは実質二つしかない選択肢を天秤にかけた。
「よし、侯爵邸に行ってみよう!」
「……本気ですか?」
「まずは手紙でお伺いを立ててみるよ。ルシアーノがいなければ、無視されるか断られるかするだけだろうし」
もう怖いものなどない! というのは嘘で、嫌な思い出しかない生家より未知の侯爵家に突撃したほうがマシかな……と考えたのだ。
もっとも、自分よりかなり高位貴族の家ではある。もしかしたらもう親類の人が住んでいるかもしれないけど、ここまで来たらもうどうにでもなれ! 精神だ。
やっぱり色々なショックは抜けきっていないのかもしれない。
ミルファは侯爵邸の執事に向けて手紙を書こうとした。まだ侯爵家には当主が立っていないようなことを、以前ルシアーノが言っていたからだ。
しかし内容に頭を悩ませる。ルシアーノに話があるから、そちらにいれば伺いたい……って怪しすぎて、いてもいなくても断られる案件じゃない!?
羽ペンを持ちながらウンウン唸っていると、ディードーが口を開いた。
「私に妙案があります」
「ほんと!? 任せたよディードー!」
手紙を家令が代筆することはよくある。ちょっと疲れてきていたミルファはパッと顔を明るくした。
二日間も寝込んでいた代償で、身体は本調子ではなかったらしい。ミルファは回復のため昼寝することに決め、手紙をディードーに譲った。
あとから内容を確認するのを忘れたな……と気づいたが、彼なら大丈夫かと気にしないことにした。
初めての発情期が来るまでは仕事も休むと長官に誓ってしまったので、ミルファは開き直ってだらだらしようと思っていた。
……が、もともと家でじっとしているのは性に合わないのだ。
「ん〜〜〜っもう! ひまぁ〜〜〜っ!!」
「あらあらまぁまぁ、子供じゃないんですから。室内でできる遊戯 とか、いかがですか? 信頼できるお友達でもお呼びして……ほら、昨日お手紙をくださったユノ様とか」
ソファの上で駄々をこねるミルファに、紅茶を淹れ終わったポモナが優しく諭す。思い通りにならないことが多すぎてミルファが子供っぽい一面を見せても、使用人一同は嫌な顔ひとつ見せないからすごい。
悲しいことにミルファにオメガらしい庇護欲を抱かせるような特徴が現れたわけでもなく、ちょっと筋力が落ちた程度だし。そういえば少し前から小さくなったとか言われてたもんな……と気づいたときは、男として落ち込んだ。
彼女の提案に、ミルファは下を向いて小さく首を振った。
ミルファが静養することになったと聞いたユノは真っ先に手紙をくれた。ついでに家までお見舞いに行きたいと書かれていたが……
(だって、ユノは、アルファだ……)
職場でもプライベートでも仲良くしているから、お互いの二次性は知っている。ユノにも番はいないし、いま会うのはよくないだろう。
ミルファも二次性が変わってしまったことを打ち明けないといけないが、友人だからこそ、話すのが怖い。
ユノとの関係性が変わってしまうんじゃないかと想像して、怯んでしまう。だからもう少し……時間が必要だ。
かつては自分がアルファやオメガだったら、こんなに悩むことはなかったと考えていた。でもそんなの勝手な思い違いだったことに気づく。
ミルファがベータだったからこそ、相手の二次性を気にせず付き合えていた友人も多いはずだ。それにたとえベータじゃなかったとしても、あの家族とは仲良くできる気がしない。
せめて、職場に復帰できたら。
ユノに心配をかけ続けなくて済むし、ミルファのもやもやもある程度解消するだろう。医官の先生は「そう待たずに発情期も来るはず」と言っていたけれど、オメガの発情期は約三ヶ月に一度だという。
もし三ヶ月もミルファが仕事に行けなかったら、来年の年俸が大幅に下がるかもしれない。
(というか……これから三ヶ月に一度は休暇を取らなきゃってこと!?)
「どうしよう。オメガってまずいよ……!」
「どうされました?」
「僕……みんなを養えなくなるかもしれない!」
「…………」
ポモナは部屋の反対側にいたディードーにそっと目配せをし、部屋を退出していく。ディードーと二人きりになり、ミルファは勘付いてしまった。え……まさか……
「みんな辞めちゃうの……!?」
「違います」
最悪の想像は一蹴された。彼は深いため息を吐いて「どうしてそうなるんですか」と呆れた顔を隠さない。
「だって、今までどおり働けなくなるってことだよ……?」
「ミルファ様の仕事ぶりなら、そう給金も変わらないはずですよ。長官様に下がると言われた訳でもないでしょう。それに……これは、口止めされていたことなのですが」
「なに?」
「実はルシアーノ様が、持参金をすべて置いていかれたのです」
「は……?」
ミルファは今さら知らされた事実に、ぽか……と口を開けることしかできなかった。
ディードーいわく、彼が出ていくときに「これは絶対に、置いていく」と譲らなかったそうだ。ミルファには落ち着いたら話してくれと言い、彼は去った。
おそるおそるその額を聞くと、ミルファは驚愕というより恐怖で息を引きつらせた。
「ひぇっ。ルシアーノ……お金持ちぃ」
そもそも持参金は嫁入りする人の父親が用意するものだ。ルシアーノに父親はいないから、自分の資産から出したのだろう。……罪滅ぼしのつもりかなぁ。
確かに別れた直後に聞かされていたら、ミルファはもっと怒っていたに違いない。でも今は、なんとも言えない気持ちになる。律儀というかなんというか。
「……とりあえず取っておこうか。返してくれとは言わないだろうけど。何年か経って僕の財力が怪しくなってきたら……ちょっと考える……」
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