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22.真実はいずこ
セリオ侯爵邸から返信があり、ミルファはディードーを連れて向かうことにした。護衛代わりに力自慢の若い侍従、ロービーも御者席にいる。
「ルシアーノはいないけど話を聞いてくれるって……ありがたいけどなんでだろ?」
「『ルシアーノ様と関係の深いご友人であるミルファ様に大変な疾患が見つかって、なんとか連絡を取りたい』と書きましたからね」
「えっ! 嘘ついてる……!」
ディードーは嘘も方便だとかいって涼しい顔をしているけど、嘘つくの苦手なんだよぉ……
しかしルシアーノがいないのなら、逆にチャンスだといえる。一度本人以外から、ルシアーノについて話を聞いてみたかったのだ。侯爵家で何をしていたのか、虐められていなかったか、可能なら知りたい。
それに真実を知りたいとはいえ、いきなりルシアーノに会うのはかなり勇気のいることだ。もうミルファになんて会いたくないと思われているに違いないし、しつこく問いただしたとして答えてくれるとは限らない。
こんな風に周りから攻めていく方がいいのかも……って、ミルファはなにを目指しているんだろう。
今さら和解なんて無理がある。突き放したのはミルファの方だが、初めから歩み寄ってさえいなかったのはルシアーノなのだ。
「ミルファ様ぁー! 着きましたよ」
「うわぁ。知ってはいたけど、立派だねぇ」
外からロービーに声を掛けられ、ミルファは窓の外を見た。
王宮からほど近い一等地にセリオ侯爵邸はある。何度も通りかかって見たことはあれど、門をくぐるのは初めてだ。
ミルファたちは応接間に通され、侯爵邸の上品で格式高い雰囲気に若干圧倒されている。花瓶ひとつ割っただけでも払えない金額に違いない。
緊張してぴんと背筋を伸ばしていると、相手が現れた。慌ててソファから立ち上がる。
「いえ、いえ。座ってください。私はただの執事ですので」
初老の男性はセリオ侯爵家に長年務める執事だという。ディードーの出した手紙に返事をくれた人だ。
もしかしたら侯爵の親類の人が出てくるかもと冷や冷やしていたので、ミルファはこっそりホッとした。
「それで、もしや……あなたがミルファ様ですか? 確かご病気だとか。出歩いて大丈夫なんでしょうか……」
「ごほ、ゴホッ」
「……どうしても私の主人に、もう一度ルシアーノ様と会わせてあげたいのです。侯爵邸へはいらっしゃっておりませんか?」
いきなり心配そうな目で見られて、ミルファは思わずむせてしまった。危うく紅茶を吹き出すところだった。やめて、優しくしないでー!
ディードーはしれっと受け流し、ルシアーノについて尋ねる。すると思いのほか深刻な表情で執事が頷いた。眉間の皺がぎゅっと深くなる。
「本当は十日前にいらっしゃるはずでした。しかし現れず、それ以降音沙汰がないのです」
「確か、三日に一度はいらっしゃっていたんですよね?」
「はい。ルシアーノ様が、ミルファ様のところに一時住んでおられるのは聞いておりました。ですから手紙を受け取ってそちらにもいないと分かり、驚いたのです。なぜ急に、姿を消してしまわれたのか……」
ディードーの質問に執事が答える。きっと彼も悩んでいたからこそ、訪問に応じてくれたに違いない。
タイミング的に、ルシアーノはミルファの家を出てからこちらにも来ていないようだ。すべての原因が自分にある気がして、ツキンと胸が痛む。
しかも、『一時住んで』いただって? やっぱりずっと一緒に住む気はなかったんだ。ミルファの予感通り彼は最初から、いつか出ていくつもりだった。
「……あの。彼の行き先に心当たりはないですか?」
「それが全く……」
「彼がもともと住んでいた家は?」
「ここへ移り住む際に引き払っておいでです。もう取り壊されたと……」
「じゃあ、やっぱりクィリナーレ子爵家かなぁ? もう結婚しちゃったのかも……」
「は?」
ミルファが思い切って尋ねると、執事は何度も首を横にふる。最後に嫌々生家の名前を口にすると、今度はあっけにとられた様子で口を開き、目をぱちぱちさせた。
「結婚って……ルシアーノ様がですか? 誰と?」
「僕の妹のモリアと……彼女がそう言っていたんです」
「あり得ません! ルシアーノ様はミルファ様とご結婚なさるつもりで色々と準備を……おっと。失礼」
ミルファと……結婚?
今度はミルファたちがポカンとする番だった。執事の失言は、予想の斜め上というかぐるっと回って裏側にあって、ともかく全く考えていなかったものだ。
「え……それ、本当?」
「いえ。いえ! 聞かなかったことにして下さい。私は何も言ってません。ええ」
「…………」
主人の秘密を漏らすなんて執事としてあるまじきことだ。もしかしたらわざとなのかもしれないけれど、ミルファはそれ以上の追求をやめてあげた。
丸々素直に信じるわけにはいかない。それで恥ずかしい思いをするのは自分なのだから。
――でも。もしかしたら、ルシアーノは……
「ルシアーノが帰ってきたら、僕のところへ来るよう伝えてもらえますか? ちょっと、誤解で仲違いしてしまって……このままになるのは嫌なんです」
「はい、もちろんです」
ミルファはぼけっと呆けたまま家に帰った。ディードーも混乱しているのか何も言わず、部屋の外にいたロービーは「どうしたんすか?」と首を傾げていた。
朗報というには頼りなく、謎が深まっただけのような気もする。とはいえ心の中では勝手に期待が生まれ、ドキドキと心臓は高鳴った。
ミルファは過剰に期待する自分を戒めるように、ぎゅっと胸の上で手を握る。なのにドキドキは止まらず、それどころか痛いほどの動悸になった。
どうしたんだろう。胸が苦しくて、自然と息が上がる。じんわりと汗をかき、冬なのに暑くてたまらない。思わず首に巻いていたマフラーを取ると、項に冷たい空気がすうと通り、ぞくぞくとした感覚が背筋を駆け下りた。
「ッ! え……なに……? 僕、なんかおかしくない?」
「ミルファ様……もしや発情期では?」
「ええっ!?」
自分のことなのにひどく驚き、「ぼ、僕が!?」「ミルファ様しかいません!」とわたわた馬車のなかで二人は慌てだす。どんどんと熱くなる身体に、ミルファの不安は膨らむばかりだった。
これから初めての発情期をひとりで過ごさないといけない。誰かと過ごせるのは、結婚相手か心を通じた相手のいるオメガだけなのだ。あまりにも心細くて、ミルファの瞳には情けなくも涙が浮かんだ。
「ど、ど、どうしよう!?」
「ロービー、パターンBだ!」
「まじっすかー! 急ぎます!」
ディードーが謎の指示を出し、馬車はスピードを上げて走り出す。
歩くどころじゃなくなっていたミルファは鼻と口にハンカチを巻いたロービーによって屋敷に運び込まれ、屋敷中の人間に「がんばって!」と見送られて自室に引きこもった。
番のいないオメガのフェロモンは、アルファほどではないがベータも誘惑してしまう。
ロービーは何度も「うわ、やば」と呟いていたし、ミルファの部屋に入るときは他の使用人に絶対連れ出してくれと頼んでいた。実際寝台に降ろしてもらったときはロービーがそのまま固まってしまって、ポモナに頭を叩かれて我に返っていた。
さっそくみんなに迷惑をかけているという不甲斐なさに、ミルファはちょっと泣いた。これ以上ないほど、主人らしくない主人だ。
オメガとは大変な体質だ。これを理解して包み込んであげられるような人じゃないと、選ばれてパートナーにはなれないだろう。ミルファはオメガの奥さんがいたら癒されそう、などと軽々しく考えていた過去の自分を殴りたくなった。
ミルファがこれから自慰に耽ることを、みんなが分かっていると思うだけで恥ずかしい。それでも身体の熱はどうしようもなく、ミルファは服を脱いだ。
風邪で発熱しているときみたいに肌は敏感になり、布の擦れる感覚でさえもつらい。身体の中心もそうだが、胸の尖りまでもがツンとしこって立ち上がり、布が当たるだけで「ひぁっ」と変な声が出る。
(ここ、ルシアーノに触られたことある……)
初めて会った日の夜を思い出し、ミルファは横になったまま自分で触れてみる。指先でそっと転がしてみれば、ジン……とした快感が生まれる。くりくりと繰り返すと、甘い疼きは下半身に直結した。
「あっ……あ……きもち、いい……っ」
思いのまま下腹部にも手を伸ばし、ミルファは夢中で両手を動かす。頭の中では自分の手よりも大きな手を重ねていた。経験したことのないほどの感度だったが、よすぎてなにも考えられなくなる。
あっという間に絶頂へ達し、つかのま冷静な思考が戻ってきたときミルファは戦慄した。
(る、ルシアーノのこと想像しながらシちゃった〜〜〜っ……!)
以前にもこんなことがあった。いったいミルファはどれだけ片想いを拗らせているのだろうか。
後悔しようとするも、彼の優しい匂いを思い出すだけでまた思考に靄がかかる。あの夜に戻って、ルシアーノに触れてもらいたくてたまらなかった。
身体がじんじんと疼いている。触れたことのない尻の奥が熱い。普通の自慰とは違って、一度達しても欲求が収まっていないのは明らかだ。
次は香油を使おう。発情の熱に侵され、いつになく積極的になったミルファはいそいそと動き出した。が、起き上がって手を拭ったときに下肢が異常に濡れていることに気づいた。しかも前じゃない。
「えっ!」
おそるおそる触れると、確かに濡れていた。ミルファの……お尻から。
「うわわっ……うそぉ」
オメガの後孔は子を成すために濡れると、聞いたことはあった。けれどすっかり忘れていたのだ。
自分に発情期が来たことよりも大きな衝撃がミルファを襲い、その瞬間だけは熱も忘れて血の気が引いた。
――本当に、ミルファの身体は変わってしまったらしい。
目の奥が熱くなって、じんわりと視界が潤む。手を拭いたちり紙で愛液も拭い、途方に暮れてしまった。
わかってる。別に絶望するようなことでもない。ただ……気持ちが追いつかないだけで。
それから数日間、ミルファはひとりで部屋に引きこもり性的な欲求と闘った。こんなにも気持ちよく、こんなにも辛い自慰は初めてだった。
使用人たちは手厚いサポートでミルファを支えてくれたものの、ひどい孤独感に苛まれてしまう。身体を鎮めるのに、誰かを頼りたくて仕方がなかった。大丈夫だ、と言ってほしかった。
女性とオメガ、子を産める性別の人たちは強い精神力を持っているのだろう。ミルファは甘ったれだからオメガに向いてない。今まで甘く見ててごめんなさい。
どうして自分なんかがオメガになってしまったのか、考えたって分からないけれど……――
発情期が明けてまた寝込んでしまったので、落ち込んだり打ちひしがれたり。ミルファがぐだぐだと考える時間はたっぷりあったのだった。
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