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25.巡る星のように

 天文台のこととか領主のこととか、聞きたかったことは全てスポンッと頭から抜け落ちる。ミルファはエトワへ来た一番の目的を、脈絡もなく尋ねてしまった。 「スッマさん、ルシアーノはここにいませんか?」 「っ!?」  部屋の奥にいたらしい女性が、キッチンで淹れた温かいお茶を持ってきてくれたところだった。受け取ったばかりのスッマはガチャン! とカップをひっくり返す。女性は驚いて、布巾を取りにキッチンへ走っていく。  テーブルにお茶が広がっていくのにも構わず、スッマはこちらを凝視していた。 「どうしてルシアーノのことを知っているんですか!?」 「僕は彼の夫……じゃなくて、家族? ……いや、元同居人? ……なんです。それで、ここに彼はいるんですか?」 「……は?? いや、いないが……」  ミルファの説明が下手すぎて申し訳ない。とはいえルシアーノはここにいないという。  がっくりと項垂れていると、女性はお茶が零れたテーブルを拭いてくれていた。驚かせてしまって申し訳ない、と言おうとしてミルファはあることに気づく。  女性はミルファよりも歳上だろうが、小柄で儚げな美人だった。なにより首元にネックガードをつけている。オメガ……だと思う。  オメガの中でも王都の貴族にはネックガードをつける習慣がないものの、平民や住む地域によってもその習慣は異なる。  アルファに項を噛まれると番契約は成立してしまうし、相手が望んでもいない相手だったら最悪の事態になる。だからオメガは、項を守るためにネックガードをつけるのだ。  ミルファの視線に気づいたのか、スッマは「君と同じだ」と呟いた。 「もう気づいていると思いますが、ここエトワの領主はオメガを無理やり拉致して監禁する非人道的な男です。さいきんは領民もオメガの子どもは隠すし、私たちも秘密裏に協力している。そうしてオメガが手に入らなくなったら、余計におかしくなってしまった。ミルファさんのように、外部から来た人にも手を出そうとしてしまう……」  スッマの話はミルファの想像を遥かに超えていた。  ――現領主の父親である前領主は、異端だった星読みの一族を迫害した。しかし十年ほど前に代替わりすると、逆に天文台を建てて彼らを歓迎した。  現領主は天文学に理解があったわけではない。天文学が解禁されてから、研究には国から補助金が支給される。彼はそれを目的としていたのだ。  一度エトワに定住したからか、星読みの一族は生まれた地に戻りたい願いがあった。これからは天文台で好きなだけ研究していい、という甘言を信じ大半は戻ってきた。  無念のまま亡くなった家族を偲んでいたのかもしれない。狭い世界で生きているため、貴族の醜い部分など知らない純粋な人が多かったのもある。  だが彼らに与えられる研究費はごく僅かで、そのうちそれさえも貰えなくなってしまった。元々自給自足が身についていたからそれで死ぬことはなかったが、いつしか領主から逆に税金を納めるよう通達があって途方に暮れた。  町に住む人々の様子もよく見れば荒んでいる。彼らも領主が代替わりしてから、徴収される税がどんどん増えて苦しんでいた。オーロラという天然の観光資源があるおかげでぎりぎり生活できているが、豊かさとはほど遠い。  しかも、町にいたオメガが拐かされるという事件がたびたび起きていた。アルファやオメガはだいたい人口の一割ほどいるとされている。分布は貴族に多く、平民だとその半分ほどだろうか。  三百人ほどいる領民のうち六人のオメガが立て続けに姿を消し、彼らは注意深くなった。オメガが守られると、犯人はあからさまに隠れたオメガを探しはじめた。その行動で領主が犯人だと、彼らは知ったのだ。  家族のオメガを奪われた領民は嘆き悲しんだけれど、何もできない。領民にはもちろんアルファもいたが、王都から遠く離れた小さな町で領主の力はあまりにも大きい。  逆らうことはすなわち死を意味する。領民たちは学者たちと密かに協力し、オメガを隠すことだけに全力を尽くした。  天文台は学者の補佐としてオメガを受け入れ、昼間はほとんど外に出ない生活を送っている。幸いにも領主はオーロラに全く興味を示さないため、寒い夜に出てこない。  天文学の研究は夜に本領を発揮する。オメガたちはあえて昼夜逆転の生活を選び、そこそこ平和に暮らすことができた。  オメガ誘拐の被害はなくなったが、年々領主の圧政はひどくなる一方だ。どうにかして現状を誰か権力のある、かつ味方になってくれそうな人に伝えたい。  しかし領民は疑心暗鬼になって、この町に訪れる人たちを観察していてもなかなか行動に移せないのが現状だった。 「今度、国王夫妻が外遊の帰りにおいでになるでしょう。そのとき、王宮の官吏に伝えたいと思っているんです。領主の悪政と、我らの現状を」 「スッマさん、その前に僕が伝えます! こんなでも、一応文官なので……」 「いいんですか!?」 「はい。僕の局は外遊にも関わっているし、必ず上まで声を届けられます。国王様夫妻がいらっしゃるのに、領主の情報はどんなものでも先んじて得ておいた方がいい」  国王夫妻はアルファだし、領主も後ろ暗いところを見せることはないだろう。だが下手したらエトワへの訪問は取りやめになるかもしれない。  そういえば最後に会ったとき、フェブルウス長官もエトワについて何か言いかけていた。下見が行われた際に、すでに何か分かっていた可能性もある。 (くぅ……休んでた期間が長すぎるんだよぉ……っ)  自信を持ってスッマには宣言したものの、現状外遊の予定がどうなっているのかもミルファは知らない。  それでも、なるべく早く自分の口で伝えたいと思った。こんな話を聞いてしまったらじっとしていられない。領主は必ず、断罪されるべきだ。  ミルファは危機を乗り切ったが、逃げられずに捕まったオメガの人たちがいる。十年に近い期間、彼らはどんなにつらい日々を送っているだろうか。無理矢理番にされ、好きでもない領主に孕まされていることだってあり得る。  少し想像するだけでもつらく、自分のことのように苦しい。ミルファがきつく手を握りしめると、門を叩いたときにできた傷にズキンと痛みが走った。 「ぁっ……」 「ああ、手当てをしましょう。今日はここに泊まっていってください」 「お気持ちは嬉しいですが、すぐに王都へ帰ります。急いで、伝えないと……!」  気が急いて、じっとしていられなかった。ルシアーノはここにいないと分かったから目的は達成し、新たな使命を得た。  そもそも日帰りするつもりで出てきたので、帰らないと屋敷のみんなに心配をかけてしまう。もともと心配性な使用人たちだったがミルファがオメガになってからというもの、過保護に磨きがかかってしまったのだ。  もっとも、ミルファがソファから立ち上がろうとするとスッマはこちらへ歩み寄り、肩を両手で押さえてきた。押し返して立とうとするも、腰が浮きもしない。 「あ、あの……?」 「駄目ですよ、ミルファさん。もう日は沈んでしまった。これから王都へ向かうのは危険です」 「でも、領主館に捕まっている人たちがいるんですよね!? 僕自身に力はないですが、上司なら宰相様に伝手を持っています。早く、助け出してあげないと……!」  ぐぐっと足に力を入れるが、尻はソファに沈んだままだ。スッマはそれほど力がありそうではないのに、全く歯が立たない。  焦りで頭の中がぐちゃぐちゃになって、泣きそうな心地だ。なんだか感情が制御できない。  スッマはミルファの肩に手を置いたまま、目の前に屈んだ。 「ミルファさん。あなたに何かあったら、悲しむ人がいるのでしょう。親身になってくれるのは嬉しいが、まずは自分を大事にしなさい。それに……あなたは自分が思っているより疲れていますよ」  視線を合わせて、諭される。穏やかな瞳を前にすると、自分が我がままを言っているだけの子どものように思えた。 「そう、だけど……まだ、動けます」 「そうですか? 私はあなたの肩に手を置いただけで、全く力を入れていません」 「うっそぉ……!」  ミルファが肩に置かれた手を掴むと、それはあっさりと持ち上げることができた。確かに置かれていただけで、押さえられてもいない。  立ち上がれなかったのは思い込みもあるが……足に力が入らなかったからからだ。 「偉そうなことを申し上げてしまいましたね。ただ、どうにもあなたは危なかっかしくて放っておけない」 「すみません……。では、ひと晩お世話になります」  認めると、途端に身体が重く感じた。移動に加えて、走り回ったことも一因だろう。そういえばアウロスを預けたままだな……あの宿なら大丈夫か。  それにしても、まさか天文台に泊まることになるとは思わなかった。ミルファが改めて石造りの室内を見渡すと、開きっぱなしの本や椅子の背に掛けられた上着に穏やかな生活感がある。  きっとこのような部屋が塔の中にはたくさんあるに違いない。生活に余裕があるわけではないだろうに、隠れたいオメガを守って暮らしている星読みの一族。優しいルシアーノの養い親だと考えれば、なるほどと思う。  改めてお茶を飲みながら、スッマはルシアーノのことを色々教えてくれた、彼が大人しく、傷ついた子どもであったこと。一緒に暮らすうち、少年らしいやんちゃな部分がでてきたこと。本人の希望で早くから外へ働きに出ていたこと。  アルファなのは分かりきっていたし、しっかりした青年に育ったのでスッマも安心して傍を離れたという。 「唯一の身内代わりだったので、置いていくのは可哀想だとも考えました。しかし優しい彼ならすぐに伴侶を見つけて自分の家族を作るだろうと……」 「ええ、わかりますよ」  確かにルシアーノは、セリオ侯爵という高位貴族に見出され家族となった。だがその意図は看取りを含めた介護であり、スッマの望んでいた未来とは違う。セリオ侯爵のことも父親のような存在だと言っていたし、もちろん良くしてもらっていたはずだけれど。  ミルファはセリオ侯爵とルシアーノのことをできる範囲で語った。しかし自分とのことになると途端に説明が難しくなる。結婚するつもりで迎え入れて、仲良くなったつもりだったけど別れてしまった。  ミルファが言葉を詰まらせると、スッマは優しく微笑んで何度か頷く。 「あなたたちはまだ道の途中にいるようですね。季節によって巡る星のように、必ずまた再会できるでしょう。ルシアーノとあなたは、とても相性が良さそうだ」 「そう……だといいんですけど」  また会えたら、自分の気持ちをちゃんと伝えよう。一生隠していようと思ったけど、ここまで振り回されてしまえばもはや失恋くらいどうってことない。  結局、何があってもミルファはまだルシアーノのことが好きなのだ。簡単に忘れられるような、浅い想いではない。  自分の本心を明かしたら、ルシアーノも包み隠さず打ち明けてくれないだろうか。今までもらった言葉が全て嘘だとは思えない。  何が本当で、嘘をついていた理由はなんだったのか。あの執事の言っていたことは、どういうことなのか……

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