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27.オメガの箱庭
領主はもう寝ると言って部屋を出ていった。自分の寝室は別にあるのだろう。
部屋にいたオメガの男性はミルファよりかなり若そうで、もう動けないのかと心配したがスッと起き上がる。目が丸く、まっすぐな黒髪を顎のラインで整えたお人形のような子だ。
ミルファと彼はまとめて別の部屋に放り込まれた。壁を壊して二部屋くっつけたような、広い部屋だ。
そこには十人ほどの男女がいて、みんなパジャマを着ていた。なんだか可愛らしい。どうやらみんなオメガのようだった。
「えっっっ。久しぶりに新人がきた!!!」
「うそぉ。エトワの子? ってか大人なのに捕まっちゃったの?」
「「ようこそオメガの箱庭へ!」」
わらわらと華奢な男女が集まってきて、ミルファともう一人の世話を焼きはじめた。目を白黒させるも、ミルファは隣にいた彼に倣ってされるがままとなっている。精神的にも疲弊していて、頭が回らないのだ。
身体を拭いてくれたり着替えをくれたりと有り難いのだが、共同生活しているからかみんなの距離感がすごく近い。ミルファは戸惑って「あっ」「わ」「ごめん!」と忙しなく驚いたり謝ったりした。
同族だと安心して触れてくるのだろうけど、普段年配の使用人に世話されているミルファにはちょっと刺激が強かった。若い女性もいるし、みんな揃って見目が整っているし。
特にミルファに対しては新人だ新人だ! と興味津々で、近くから質問攻めだ。どこから来たの? なんで捕まっちゃったの? えっ後天性オメガってなに!? エトセトラエトセトラ……
なんとか答えていたものの、疲れ切っていたミルファはだんだんと瞼が落ちてくるのを止められなかった。
「もうおやすみ。疲れちゃったんだね」
「んんぅ……ごめん……」
眠りに誘われていたミルファには、目を閉じたあと周りでオメガたちが小さく会話している内容までは聞き取れなかった。彼らの生活している空間はこの館で唯一あたたかく、ミルファをほんの少しだけ安心させてくれる。
「……可哀想に。王都の貴族だって?」
「あいつ、おれ達に飽き飽きしてついにそこまで手を出したか……。でもこの人が立場のある人なら、助けが来るかもしれない。おれ達にとっては朗報だよ」
「でも……あの人のことだから明日にでも手を出そうとするよ」
「…………」
「最悪、番にされなければいい。……良くはないけどっ。どうしようもないよ……」
眠っているあいだに知らず流れていた涙を、誰かが優しく拭ってくれる。
チュンチュン、ぴよぴよと朝鳥たちの囀る声がする。耳元で囀っているようなかしましさに、ミルファは「ぅうん……」と唸った。
さらにはトタトタ走る足音まで聞こえてきて、ミルファは目を覚まし重い瞼を上げた。ん、足音……?
「朝ごはんっだよぉ〜〜! 起きて〜〜〜っ!!」
「……へっ!?」
「昨日は挨拶できなくてごめんね。ぼくはアルヴィン! ミルファって言うんだって? よろしく!」
元気いっぱいにミルファを起こしに来たのは昨日領主に……あれこれされていた人だった。発情は落ち着いた、のかな?
アルヴィンに腕を引っ張られ、身支度を整えてからテーブルにつくと、みんなに明るくおはよう! と挨拶された。
「お、おはよう……。昨日はごめん、話の途中で寝ちゃったよね」
「いいのいいの! 改めて自己紹介してくね」
食事の席とは思えないほどの賑やかさで、一人ずつミルファに名乗ってくれる。男女それぞれ四名ずつの、計八人だ。年齢は十九から三十歳で、全員がエトワの領民だった。
ラプティオが領主になった十年前から徐々に集められ、ここ数年は捕まる人もいなかったという。オメガになったばかりのミルファの危機感が薄すぎたのだと、今さらながら反省する。
「ミルファさんは、その……誰かが助けに来る当てとか、ある?」
「うん。これでも一応王宮の文官なんだ。ここへ来るときも屋敷にエトワへ行くって手紙を残して来たし、探しに来てくれると思う。それに、もうすぐ国王様の外遊がある」
「文官! 外遊!? すごいねっ。……でも、ぼくたち部屋の外には出られないんだ。出られるのは、あの時だけ」
だから見つけてもらえないに違いない、と最年少のアルヴィンがしょんぼりと眉尻を下げる。
新しいオメガが来ない限り、彼らは外の情報を何も与えられない。助けたいと思っている人たちの声も届いていないと知って、ミルファも胸の痛む思いだ。
ミルファは前日に天文台で聞いた話を語った。彼らなら、きっと領主館にオメガたちが囚われていることを伝えてくれる。
……本当は自分が伝えるつもりだったんだけどなぁ。
でも、天文台にいたあの子を救ったことに後悔はない。そもそもミルファが塔へ逃げ込んだことで、破落戸の男たちもあの辺りをウロウロしていたのだ。怖い思いをさせて申し訳なかった。
食事のあと、ミルファはアルヴィンに連れられて散歩をしている。彼らが『オメガの箱庭』と呼んでいる生活空間は、八人が生活するのには一見狭いと感じていた。
だが部屋は中で四つに分かれており、中央には小さな庭まである。実は各部屋に取り付けられた窓はすべてこの内側の庭に面していて、館の外は全く見ることができない。
監禁するために作られたような部屋だ。しかし平民出身のオメガたちにとって、この空間の広さだけは充分にあると感じているようだ。
(納得……して暮らすしかなかったんだろうなぁ。明るく振る舞っているのも、落ち込んだって仕方がないからだ)
発情するとミルファが昨晩見た、別の寝室に放り込まれるという。昼だったり夜だったり領主の気が向くときに抱かれる。
気が向かないまま放置されるときもあるが、待つしかない。番にされているので、そうするほかないのだ。
八人いてもうまく時期がばらけているわけでもなく、誰も発情のない時期は夜に領主からご指名で呼ばれたりする。そのときは自分で準備をして、抱かれに行かないとならない。若いアルヴィンが、いま一番頻度が多いという。
「本当はね、番に抱かれても発情期はすぐに収まらない。けど、ぼくたちは終わったふりをするんだ。オメガとしての本能は番に抱かれたいと言っていても、やっぱり……理性の部分では嫌だから」
番に抱かれれば発情期はすぐに終わると、領主に勘違いさせている。それがここにいるオメガたちのせめてもの抵抗だった。
実際は発情が落ち着くまで一人で過ごしたり、オメガたちで慰めあったりすることもあるらしい。
本能とはいえ発情というプライベートな部分をさらけ出さざるを得ないから、彼らの結束力は強いのかもしれない。アルヴィンは発情が軽い方で、今日はもうスッキリしているという。
領主の朝は遅いので、基本的に朝や昼はオメガたちにとって平和な時間だ。彼らはみずからの心身の健康を損なわないよう運動して喋って遊んで、夜は寄り添いあって眠る。
いつか、誰かが助けてくれる。領主だっていつかは死ぬ。僅かな希望を胸に、オメガたちは支え合って生きているのだ。
外の話に飢えている彼らとたくさん話しているうちに、夕方になった。ミルファはアルヴィンに呼ばれ浴室の前に立つ。昼間とは打って変わって暗い表情になったアルヴィンが、重そうに口を開いた。
「今夜……ミルファさんはあの人に呼ばれると思う」
「やっぱり……そうだよね」
「心を強く持って。逆らうとすぐ暴力を振るわれちゃうんだ。ここにいる薬師はろくでもない人間だし関わらないほうがいい。だから、逆らわず……気持ちだけは絶対負けちゃ駄目だよ」
「……うん、ありがとう」
発情期じゃなくても領主はオメガを抱こうとする。そこに気遣いは一切ない。
したがって自分で準備をしておかないと、大怪我をする羽目になるのだ。アルヴィンはミルファに準備の仕方を丁寧に教えてくれた。
苦痛と不快感を伴う準備はそれだけでミルファの心を削いだが、弱音は吐かない。吐けるはずもなかった。
そして夕飯前にぐったりと横になったミルファに差し出されたのは、粒状の丸薬だった。
「これは避妊薬。発情期じゃなくても妊娠する可能性はゼロじゃないらしいから、あいつと会う前にぼくたちはみんな飲んでる」
「領主は……子どもを産ませないのか?」
今しかないと、ずっと疑問に思っていたことを口に出す。するとアルヴィンはつらそうに目を伏せた。
「ひとりだけ……初めに捕まった人が産んだけど、子どもはベータだったんだ。七歳になってバース性が判明したあとに殺された。母親だった人も、子を失ったことに耐えきれなくて……」
あまりにもひどい話だった。子もオメガか、あるいはアルファなら使えると思っていたのだろうか? それ以来領主はオメガに避妊させるようになった。
妊娠中は発情期も来ないし、出産は生きるか死ぬかの大騒ぎになる。生まれても第二性はある程度成長するまではわからないため、ひとつも利益がないと判断した結果だそうだ。
腹の中では怒りがぐつぐつと煮えたぎっている。
権力を持つ者がそれでは、支配下にある人たちは搾取されるだけ。領主のあるべき姿とは対極にいる彼は、同じ人間だとは思えない。あの男は……化け物だ。
ミルファは庭にあった小さな盛り土と、三本の切り花を思い出す。亡くなった人は他にもいるのかもしれない。
これまで権力の餌食になった人たちを、ミルファは手の届く範囲で助けてきた。でもミルファは金も権力もない弱小貴族で、できることはとても小さい。今だって助けを求めている人たちが目の前にいるのに……何もできないのがもどかしかった。
言葉少なに運ばれてきた夕食をとっていると、昨日の痩せた使用人がやってきてミルファに告げる。
「今夜、ラプティオ様からのお召しがある。一刻後、呼びに来るから準備をしておくように」
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