28 / 39
28.辛抱と限界*
オメガのみんなに抱きしめられてから、ミルファは部屋を出た。彼らはミルファの気持ちが痛いほど分かっているのだろう。
足元から冷気が這い上がってくる。いまは夜着と呼ばれるすぐに脱げるような服を着ていて、上にガウンは羽織っているもののひどく心もとない。
昨日の寝室に入ると、使用人が言い含めるようにミルファへ向き合った。服装や所作、口ぶりからして執事などではないだろう。
後ろ暗い仕事の担当なのかもしれない。身長はわずかにミルファの方が高いのに、蔑んだ目で見下されているのがわかる。
「抵抗すれば命は無いと思え。もともと貴族なのか知らんが、お前の存在くらい簡単に隠し通せる。ラプティオ様に対して昨晩のような口を叩けば……どうなるか分かっているな」
分かっている、とミルファは小さく頷く。男が出ていくと、部屋を改めて見渡した。
大きな寝台に、ソファのテーブルセット。ミルファは寝台へ近づきたくなくて、ソファへと腰掛けた。領主のためなのであろう酒器も用意されている。それらをぼんやりと見つめながら、これから起こることを考えた。
昨晩感じた発情の香りやアルファのフェロモンは綺麗に消え去って、ただの寝室にも見える。しかしここはオメガが蹂躙されるための部屋だ。
気分を損ねるからと借り物のネックガードも外してある。項を隠すように長くなった栗色の髪で覆っているが、意味はなさないだろう。
発情期じゃないから、今日噛まれることはない。しかしここから常にオメガの香りはしているのだという。だから領主は初対面のとき、ここを嗅いだのだ。
項付近に触れられることを想像するだけでぞわぞわと肌が粟立つ。それどころか今日、ミルファは身体を全て暴かれるのだ。愛もなく、奴隷のように。
(泣いちゃだめ。抵抗しない代わりに声も上げてやらない。領主の期待を裏切って、つまらない男だと思わせればいい。あの子たちと比べれば平凡すぎる見た目だもんなぁ……どう見ても冴えないベータだし。領主も趣味の悪い)
外遊の帰りに、国王夫妻御一行がエトワへ立ち寄るまでの辛抱だ。あとひと月ほど。気が遠くなるほど長く感じるが、十年も耐えてきたオメガたちのことを思うとこれくらいで挫けていてはいけない。
(あ……そうか。アルヴィンたちが夜伽に呼ばれないようにするためには、僕が気に入られたほうがいいのか?)
気づけば自分のことばかり考えてしまっていたけれど、それじゃ駄目だ。助けが来るというゴールがあると思えば、ひと月くらいミルファが我慢すべきだと思い至る。
(自分から誘惑する? ……したことないんですけどぉ!?)
脳内会議で混乱が始まりかけたそのとき、部屋のドアがカチャ、と無造作に開いた。ミルファは慌てて立ち上がる。
「おお、そうしているとお前もなかなかの見目だな」
「っ……、ありがとう、ございます」
馬鹿にするような褒め言葉でも、心を殺してお礼を言う。領主はスタスタと近づいてきてグラスを取った。当然のように、ミルファへと差し出す。
「注げ」
酒器からブランデーのような酒を注ぐと、手が震えて領主の指にもかかってしまう。
ああ、早速やってしまった。ミルファは青褪めたが、領主はフッと片方の口角を上げて笑った。
「ミルファと言ったな。緊張しているのか? 発情期だったら理由もわからず抱いてもらえたのにな。それだけは私も残念だ。あのときは濡れるし、最高に締まるのがいいんだ」
「…………」
「安心しなさい、今日はことさら丁寧に抱いてやろう。なんたって貴族のオメガだもんなぁ? 珍しいものを手に入れた……」
「……は、い」
いちいち憤りを覚えるから、耳栓でもすればよかった。みんなはどうやってこれに耐えているのだろう。
領主には妻も子もいるとスッマから聞いていた。領主の奥方はオメガではないらしい。
領主からは昨日感じた香水のような匂いがする。これがアルファのフェロモンだと言っていたか。
頭がぼうっとしてくるけれど、ミルファを性的に興奮させるほどではない。どうせならもっと強いフェロモンを出してくれればいいのに……出せないのかな?
とはいえ領主はオメガを痛ぶるこの時間を楽しんでいるようだ。酒の入ったグラスを反対の手に持ち替え、グラスを傾けながらミルファの方へと濡れた親指を差し出した。
「舐めろ。お前の零した酒だ」
馬の手綱さえ握ったことのなさそうな、滑らかな指だ。そこに加齢による皺が刻まれている。領主の指を目の前にして、ミルファははくはくと口を開け閉めした。
躊躇ってはだめ。なんなら妖艶に見えるような舐め方で……と自分の中で目的を作り、舌を出す。嫌だけど……顎を前に出して指先を舐めあげると、酒だけじゃない嫌な味がした。
「もっとだ。咥えろ。噛むなよ」
ひと舐めでは物足りなかったようだ。領主はミルファの口に指を突っ込んできた。歯にぶつかり、隙間をこじ開けるように入ってくる。爪が上顎に当たって痛い。
噛むな、と言われて無理やり身体の反応を無視して口を開けると、指の付け根まで押し入ってくる。舌の上に指が乗せられ、吐き気がして反射的にえずいてしまった。
「ぁ、え゙っ」
「下手くそ」
「あ゙ぁ!」
吐き出してしまった手で頬をバチンッと平手打ちにされる。ソファの上に倒れ込んでしまったミルファは、頬を手で押さえ痛みに耐えながらもこのままではまずいと焦燥感に駆られた。
尻に突っ込んで出すだけの性行為が行われると想像して覚悟していた。だが領主のさせることはミルファの想像では到底追いつかないもので、なかなか満足させるような行動を取れない。
ミルファは何か、みずから行動して領主に気に入られないといけないのだ。
「申し訳ありません。あの、ちゃんとしますから、舐めさせてください……」
「ふん、いいだろう。床に跪け」
ソファから下りると、領主がそこに腰掛ける。ガウンの前を開き、それをミルファに見せてきた。
「上手く舐めろよ。そうでないとお前の中に出してやれないからな」
「……っ」
指を舐め直すというミルファの考えは甘かったようだ。領主の股の間でぶら下がるもの。これを口淫して満足させなければならない。
どんなに気持ち悪くても口から出さないと決心して、ミルファは顔を寄せた。嫌な臭いがしたので息を止め、手で支えるように持ったそれを口に含んだ。
「う……んっ……」
「もっと吸い付くんだ」
「んぅ……っ」
そもそも男性器の口淫の方法なんて考えたこともない。頭を掴まれ、髪が引き攣るように痛む。徐々に成長していくぶよぶよしたものを必死に口の中で扱くが、よっぽど下手だったらしい。
――パシャン!
と、顔に酒が掛けられた。ぶどう酒とは異なる強い酒気に、くらりと眩暈がする。
「話にならないな。尻を出せ」
「ッ……!」
ついにこの時が来てしまった。ミルファがとっさに動けずにいると、強引に後ろを向かせテーブルに手を付くよう誘導される。
ソファ用のテーブルのため位置が低く、尻を突き出すような姿勢になってしまうのが屈辱的だ。テーブルがカタカタと揺れ、身体の震えを抑える。屋敷全体が揺れているように感じた。
「自分で尻を広げて見せろ。オメガ自慢の尻だろ?」
「……、ぃ」
唇を噛み締めているので息のような返事しかできなかった。ガウンが捲り上げられ、何も履いていない股の間に冷気が通る。
ミルファは片手で身体を支え、もう片手で尻に手をかける。自分の指先は血が通っていないかのように冷たい。
「両手を使って、広げるんだ。ちゃんと濡らしてこなかったのか?」
(……死んだ方がましかもしれない)
従おうとするたび、心が死んでいくのを感じる。生きるための全てが、どうでもよくなるような虚無感。
言われるがままテーブルに顔を乗せて支えにしてから、両手でぐっと左右に広げる。浴室で準備した場所に空気が触れ、ひくんと孔が震えたのがわかった。領主が鼻で嗤う。
「ふっ、浅ましい身体だ。どれ……これで濡らしてやろう。最高級のブランデーだぞ?」
「っう。ぁ……!?」
「おお、美味そうに飲んでおる」
トプトプと何かが垂らされ、尻の割れ目に沿って流れてくる。広げたところからわずかに入ってきた酒が、熱い。粘膜に触れて、カッと身体が熱くなった。
思わず力の抜けそうになった腰を掴まれ、領主が窪みに丸みを帯びた先端を充てがってくる。
(いやだ、誰か助けて…………ルシアーノ……!)
諦念に浸っていたミルファでも、いざ挿入される段階になると抵抗が生まれた。ほとんど無意識に防御しようと、身を捩る。
「動くな!! 抵抗する気か!?」
バシン! と強く腰の辺りを叩かれ、身体がよろける。脚に力が入らなくなって床に倒れ込んだミルファだったが、腰を掴んで持ち上げられる。フェロモンより酩酊感に感情の制御が効かなくなった。
「っ、いや! いやだぁぁ!!」
『ラプティオ様! 侵入者です! 武装した騎士が……』
ドンドン扉を叩く音が聞こえて、男の声がする。必死な声色は、あの使用人かどうかも判断できなかった。なによりミルファも髪を振り乱して抵抗している最中で、それどころじゃない。
「適当に放り出しておけ! 取り込み中だ!」
『ですが……ッ、ああ゙!!』
『ミルファ! いるのか!?』
「ぇ……」
扉の向こうから、聞き覚えのある声がした気がする。ミルファが顔を扉の方へと向けたときにはもう、大きく入り口は開け放たれていた。
鎧を着た堂々とした姿。紺碧の短い髪に、夜明け色の瞳。
中の光景を見た瞬間怒りに顔を歪めたルシアーノは、獣のような咆哮を上げた。覗いた犬歯がキラリと輝く。
すでに武装した騎士たちがルシアーノの左右に並び、こちらに剣を向けている。状況は理解できないけれど、領主が詰んだらしいことはわかった。
「ラプティオ・コルソン! 王命により、侯爵家がお前を捕縛する! 大人しく降伏しろ!」
彼から放たれる圧倒的なオーラに、領主の手の力が弱まるのを感じる。咄嗟にミルファは四つ這いで逃げようとしたが、領主は諦めたわけではなかった。
傍に置いてあった酒器の瓶をテーブルに叩きつけて割り、「ひっ」と硬直したミルファの身体を背後から拘束する。分厚いガラスの尖って露出した部分をミルファの首に突きつけ、領主は狂ったように嗤った。
「あーっはっはっは! こいつも道連れだ!」
領主の手は震えており、ミルファの首に何度も切っ先が当たる。痛いのかどうかも、混乱の中ではわからない。しかしルシアーノは動じなかった。
「消せ」
「はっ」
ルシアーノが静かに命令すると、騎士の一人が短剣を投擲し部屋のランプを消した。暖炉もない部屋なので視界は途端に暗闇に包まれる。
カーテンが引かれた部屋は月の光も通さず、わずかな光源は廊下から差し込む松明の明かりのみだ。
「なにをっ、来るな! 来るなぁー!!」
光ばかりを追おうとする目には、暗闇で動く姿が映らなかった。領主がブンブン瓶を振り回している音が、小さな物音と共に唐突に止んだ。
直後、ミルファの身体は領主から解放される。鎧を着た誰かによって抱きしめられ、「ひっ」と息を呑んだ。
「ミルファ、ミルファ……っ。無事か?」
「いやっ……」
ミルファはまだ混乱の渦中にいる。頭のどこかで「これはルシアーノだ!」と叫んでいる声がするのに、怖くて怖くて、腕の中でジタバタと抵抗することしかできない。
騎士が別のランプを灯し、昏倒している領主を運び出す。その手首から先が無くなっている気がしたが、抱きしめていた男の顔が視界を覆った。その目は涙を湛えて、ミルファを映していた。
――わかってる……ルシアーノだ。
「は……ぁ……」
「落ち着いたか? 身体は? 痛いところはないか」
ルシアーノが肩から下げていたマントを身体に掛けてくれる。
彼の匂いに包まれると、ミルファは糸が切れたように脱力した。安心して、身体がどうしようもなくしんどくて、眠くて……意識が遠のいて行く。
「……あつい」
「え?」
ぽつりと言い残し、ミルファは気絶した。
ともだちにシェアしよう!

