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29.ルシアーノ・セリオ side.Luciano
完全に意識を失い脱力したミルファの身体を受け止め、ルシアーノは必死に冷静さを保っていた。
(落ち着け! 今は怒っていても仕方がない……!)
ミルファの背中を腕で支えながら身体を検分し、大きな傷がないことを確認する。打撲や小さな切り傷はあったものの、ひどく出血していることはない。
性器も……あの男、ラプティオが犯そうとしていた場所も確認したほうがいいだろう。もっと人目につかない場所へ移動したい。
なにより気になるのがきつい酒の匂いだった。頭から掛けられたように前髪が濡れているし、「あつい」と言い残したミルファの息も荒いので飲まされたのかもしれない。
ルシアーノが自領の騎士たちに指示を出していると、華奢な少年が部屋に駆け込んできた。
「ミルファさんっ!!」
駆け寄ってきた黒髪の少年……青年か? 彼は領主に長年捕まっていたオメガなのだろう。ルシアーノの姿にも躊躇することなく、ぐったりとしているミルファに駆け寄って話しかけている。
「酒くさっ。あ! 血が……っミルファさん大丈夫なの!?」
「気を失っているだけだ。だがちゃんと確認したい。すぐ身体を洗える場所はあるか」
「来て!」
アルヴィンと名乗った青年はすぐに立ち上がった。ルシアーノはミルファに振動を与えないようそっと抱き上げ、遅れないよう駆け足でついていく。
ルシアーノがラプティオを探しているあいだ、別隊には囚われのオメガたちを探すよう指示してあった。アルヴィンは騎士から話を聞いてすぐにミルファを探しにきてくれたらしい。
屋敷の中枢、窓もない場所にその部屋はあった。オメガの男女があちこち散らばって荷造りをしているらしく、騎士たちは所在なさげに隅で立っている。
無理もない。オメガがここまで集う空間なぞ、普通の人は見たことがないだろう。
部屋に入ると、わっとオメガたちがミルファの方へ集まってくるのでルシアーノも少し狼狽した。
しかしアルヴィンが「ミルファさんの身体洗うから! 今すぐ!」と一喝すれば、今度はさっと道を開け浴室の扉を開けてくれた。その目は心配そうにミルファを見つめている。ミルファはいつからここに囚われていたのだろう?
ルシアーノは浴室に入り、迷わずミルファの服を脱がせた。温かい湯に浸して絞った布をアルヴィンが用意してくれて、ミルファの顔を拭う。その後口元に顔を寄せてくんくん嗅いだ彼は、首を傾げる。
「酔ってるみたいに見えるけど……息は酒くさくないよ」
ルシアーノも確認し、確かに呼気からは酒を飲んだ感じがしない。しかしとにかく忙しなく息をしていて、苦しそうに顔と身体を赤らめている。
心配でどうにかなりそうだ。なにが原因だ?
「薬を使われたとか? 発情か……?」
「さすがに発情を引き起こすような薬は持ってなかったはずだよ、あいつ。ミルファさんの身体も拭いてあげよう。お尻、見ていい?」
「そ、それは、俺が……!」
「あなたはアルファみたいだけど、ミルファさんのなんなの? 親族や恋人なら許すけど、そうじゃないならぼくは認められない」
「…………」
返答に詰まったルシアーノを一瞥し、アルヴィンはみずからが確認することにしたようだ。ルシアーノは大人しくミルファの身体を支える。
するとアルヴィンはパッと顔を上げ、大きな声を出した。
「待って……酒! ここに!?」
「どういうことだ」
彼は水差しのような容器にぬるま湯を入れ、細い先端をミルファのそこに迷うことなく差し込んだ。にわかには信じがたかったが、ルシアーノも察する。
「まさか……!」
「量はわかんないけど……そうみたい。前もやられた子がいたんだ。中毒みたいに苦しんで、しばらく動けなくなってた……」
テキパキと中を含めたミルファの下半身を洗浄するアルヴィンを、ルシアーノは茫然と見ていることしかできなかった。もはやどうすればいいか分からない。ミルファにもしものことがあったら、という不安が目の前を覆い尽くそうとする。
「すまない……俺がもっと早く来ていれば」
「後悔なんてあとでいいから。誰か! 水とタオル持ってきて〜!」
アルヴィンが声を張り上げると、扉の前で待っていたのかすぐに用意される。ルシアーノはミルファに水を飲ませようとするが、意識のない口は含んだ水を零していくだけだ。
「え、下手くそ……」
呆れた声色を隠さずに言われ、さすがのルシアーノも自分が情けなくなった。看護は得意分野だったはずなのに。
アルヴィンが動こうとするのを遮り、今度は自分の口に水を含んだ。そして、ミルファの唇に自分の唇を合わせる。
力の入らない柔らかな唇をそっと押し開き、舌で少しずつ水を送り込んでいく。ぴくりと一瞬震えた舌は、素直に喉の奥へと水を運んだ。
のどが渇いていたらしく、無意識ながらもコクコクと飲む様子は雛鳥のようだ。ルシアーノの不安は少しだけ薄まった。
「あーあ。嬉しそうにしちゃってさ」
アルヴィンと協力してミルファの身体を拭き、用意してもらったパジャマを着せる。呼吸は先ほどよりも安定してきているが、しばらく療養が必要なのは間違いない。
赤く腫れていた頬と薄く切れていた首には手当てを施した。大怪我にならなくてよかったとはいえ、首に巻いた包帯が痛々しい。
「あ、そういえば。――犯されてはなかったよ。あなたは間に合ったみたい」
「……感謝する」
最も懸念していたことだ。何年もラプティオの相手をさせられていたアルヴィンの前で感情を出すことは憚られたものの、心の中では深く安心してしまった。
一旦はミルファを寝室に寝かせ、ルシアーノはオメガたちを集めた。
「私は王命を受け、領地から参上した。ルシアーノ・セリオだ。ここエトワの領主、ラプティオは私たちが捕縛した。明日には王宮から応援がやってくる。君たちも明日には家に帰れるはずだから、落ち着かないだろうが今夜はここで過ごしてくれ」
「ミルファさんが捕まったから助けにきてくれたの?」
「いや、元々王宮からの調査が入っていたんだ。ラプティオの悪行が判明し、君たちを保護するよう国は動き始めるところだった。だが……急遽私がここへ来ることになったのはミルファのためだ。すまない」
本来はルシアーノがここへ来るはずもなかったのに今ここにいるのは、王都からミルファについての一報が入ったことと、領地がここから近かったからだ。
国王にまでルシアーノの気持ちが把握されているのは正直怖くもあったが、あえて自分に動くよう指示が下ったのは有り難いことだ。
ルシアーノは私情で動いていることを正直に告げたが、彼らは首を振って笑顔を見せてくれた。
「ありがとうございます。いつかは……って思ってたけど、助かるのが何週間もあとだったら、やっぱり全然違ったと思う」
彼らも、出会ったばかりのミルファが傷ついていくのを見るのはつらかったのだろう。自身も長らくつらい体験をしてきただろうに、心根の優しい人たちだ。
ルシアーノが温かい気持ちになっていると、女性が頬に手を当ててうっとりと呟く。
「愛しているんでしょう? 素敵だわ、そういうのって」
「……いずれ皆、ラプティオとの番関係も解除されるはずだ」
間違いなく愛している。……が、ミルファとはまだ恋人にすらなれていない関係なのだ。
さっきも目は合った気がしたものの、再会して嬉しいという感じじゃなかった。状況が状況だったので仕方ないが、怖がらせてしまったと思う。
もどかしい思いを押し隠し、ルシアーノは言外にラプティオの処分について告げた。詳細な取り調べはあるだろうが、間違いなく重い罪になる。一方が亡くなれば番関係がリセットされるというのは、研究結果として発表されている。
ルシアーノは可能なら明日、ミルファを王都の屋敷に帰してやりたいと思っていた。しかし彼の先ほどの様子からすると、最低でも数日は無理だろう。
そうなるとどこかで体調が整うまで療養させることになる。建物として立派なのは、ここだと思うけれど……
「やめておいた方がいい。ミルファさんは昨日ここへ来たばかりで、落ち着く場所どころか嫌な場所でしかないはずだよ」
「あ! じゃあ天文台は?」
「天文台……?」
一人が提案した場所に他のオメガたちも同意する。ルシアーノはなぜ天文台なのかわからず首を傾げてしまったが、すぐにアルヴィンが説明してくれた。
天文台では領地内のオメガが隠れ住んでいること。ミルファは昨日そこへ辿り着き、少年を助けようとしてみずから捕まったことを。
……ミルファらしいことだ。彼がオメガになってしまったことは報告で聞いていた。だが彼の本質は変わらない。
それにしても、あの日思いを馳せた天文台がそんな役割を果たしているとは思わなかった。領主から長年隠し通すほどだ、王宮側もそこまで掴めていなかったに違いない。
アルヴィンはミルファを見守るため、天文台に自分もついていくと言ってくれた。ルシアーノだけでは頼りないのがわかっているようだ。
元々両親を早くに亡くし親戚の家に居候していたので、無事だけ伝えて家に帰るつもりもないという。
ルシアーノはミルファを連れ、夜のうちに天文台へ移動することにする。本当なら馬車の移動も負担になるだろうが、天文台なら近いし、目覚めたとき領主館にいない方がいいと判断したのだ。
先触れを出し、三人でひとつの馬車に乗り込んだ。毛布であたたかく包んだミルファの身体を大事に抱き上げて、振動を伝えないよう支える。
よっぽど疲れていたのだろう、ミルファが起きる様子はなくて少し安心する。
「そんなに大事にしてるのに、どうして離れ離れだったの? ミルファさんがベータだったから?」
アルヴィンが心底不思議そうに尋ねてきた。「ベータだから」という部分には首を振り、胸の内に深い後悔が広がっていくのを静かに受け止める。
「いや……理由はたくさんあったが、俺が不甲斐ないせいだな」
「ははぁ〜。それはなんか、わかるかも」
「これでも侯爵なんだけどな。……あ、いや態度は変えなくていい」
アルヴィンの遠慮ない物言いに、可笑しくなってしまった。しばらく領地に籠もっていたので不思議な感じだ。自分も元平民なのにな。
ルシアーノはゆっくりと進む馬車の中で、彼にミルファとの複雑な関係を説明することにした。
なんとなく、アルヴィンとも長い付き合いになる予感がしたからだ。ミルファは行き場のなくなった彼を放っておかないだろう。
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