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33.大切な人
突然、ユノが屋敷へお見舞いに来た。かなり長い間仕事を休んでしまっているので、心配のあまり約束も取り付けずに来てしまったらしい。
来訪の一報を聞いてディードーは思わず硬い表情をしたが、家格が違うため追い返すこともできない。
ユノはアルファだ。とはいえミルファもそろそろ知り合いになら会ってもいいはずだと考えていたため、「いいリハビリになるよね!」と立ち上がった。
「ユノ! 急だからびっくりしたよ〜!」
「悪い。でもミルファのことが心配で……なにがあった? 身体、大丈夫なのか!?」
食べ頃のオレンジみたいな髪の色を見て、ミルファは(大丈夫、怖くない)と確信した。しかし彼のやりがちな肩に手を置くようなボディタッチは、さっと身を引いて回避しておく。
特に疑問には思わなかったらしい。しきりに目でミルファの全身を確かめて、異常がないか確認しているようだ。
みずから応接間に案内して、向かい合ってソファに腰掛ける。ディードーは意味ありげに目配せを寄越したが、これ以上心配することはないと元気に頷いて見せた。
それでもディードーはそわそわとしているように見えて、内心疑問に感じる。ユノがアルファということ以外に、なにかあるのだろうか?
侍女がお茶と茶菓子をテーブルに並べ終わってから、ミルファは口を開いた。
「ごめん、仕事ずっと休んでて……みんなに迷惑かけてるよね」
「そんなことどうでもいいって! あの日ミルファが倒れてから一度も会わせてもらえないし、長官も何か知ってる顔して『大丈夫』の一点張りでさ……」
「そう……そうだよね」
「それから来なくなっただろ? 辞めたわけじゃないとは聞いてるけどさ、風邪にしては長すぎる。つい、若くてもかかる病気とか調べて、おれ、不安になって……」
「…………」
ユノまで、こんなにも心配してくれているのか。親友だとは思っていたけれど、ちょっとじんと来てしまった。
やはり、長官はミルファに起きたことをユノにも伝えていないみたいだ。
王宮のなかは噂が駆け巡るのも早い。二次性が変わるなんてとてもセンシティブでショッキングな問題だし、ミルファが戻ったときのため配慮してくれているんだろう。
でも、ユノになら知られてもいい。というかこれからも友人として付き合っていきたいから、ちゃんと言わなければ。
長官のおかげで自分の口から伝えられることに心の中で感謝しつつ、ミルファは切り出した。
「心配してくれてありがとう。僕さ、後天性オメガだったみたいで、それで休んでたんだ。もう元気だし、身体は健康だから安心して!」
「健康なら良かっ……ん? 後天性……オメガ? って、誰が?」
「あははっ、僕らしいよ。信じられないよねぇ」
気軽な調子で話して、首に巻いたクラヴァットの隙間からネックガードを見せる。念には念を、と使用人に装着するよう頼まれたものだ。
ユノはきょと、と初めてネックガードというものを見たように深緑の目を留めた。
「……はああああ!? っなんて!?」
「わっ、ストップ」
「失礼と存じますが……お掛けください」
突然大声を出して立ち上がったユノに驚き、ミルファは思わずソファの背もたれに縋った。ディードーが失礼を承知でユノの視界を身体で遮り、座らせる。
ソファにもう一度腰を下ろしてからミルファの顔色に気づいたのか、ユノは眉をひそめた。
「悪い、大きな声出して」
「こっちこそごめん。今ちょっと、アルファ恐怖症なんだ」
「ええっ。なんかあったってことか? というかおれはここにいて大丈夫なの? あー、ごめん。まだ混乱してる……」
頭を抱えて途方に暮れた様子の友人を見遣って、ミルファも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。親しい仲だからこそ、衝撃は大きかったのだろう。
自分ではもうオメガであることを受け入れてしばらく経っているから、予測が甘かったかもしれない。
もしかしたら、駄目なのかも。アルファとオメガの友人なんて、世間ではあり得ないことだったりする?
ミルファは無理を承知で、恐る恐るユノに提案した。
「あの、嫌じゃなければ……これからもユノとは友人でいたい。オメガになっちゃった僕じゃだめかな?」
「そんなわけ……ってかミルファがオメガならおれ……。あれ? そういえば旦那はどうしたんだ」
「旦那?」
「あいつアルファだろ。番 ったのか?」
「?? 誰のこと?」
「え……」
突然よくわからない話になって、今度はこちらがきょとんとした。旦那って、誰の旦那? 誰と誰が番うって?
心当たりはないはずなのに、頭の一部が刺すように痛む。細めた視界の隅で、ディードーが天を仰いでいるのが見える。
何かがおかしいと、片手で頭を押さえたミルファが詳細を聞こうとしたときだった。
部屋の外、少し遠くから「きゃー!」と甲高い悲鳴が聞こえ、応接間の空気がピンと張り詰めたように緊張する。
(今の声……セルピナじゃ?)
侍女になにかあったのだろうかと、一気に不安が膨らんだ。「侵入者だ! 捕まえろ!」「あっ、そっちは!」などと使用人たちの声が聞こえ、バタバタと走る足音が近づいてくる。
ミルファは咄嗟に立ち上がり、様子を見に行こうと部屋の入口へ向かった。
「待て、危ないだろ!」
「私が」
肩をユノが掴んで止めてきたので、ミルファはたたらを踏んでしまう。代わりにディードーが走ってきて扉に手をかけた瞬間、外開きの扉が向こうから開けられた。
ディードーは勢いで転んでしまった。眼鏡がカシャンッと飛んでいく。
扉を開けたのは、薄鼠色の髪をした中肉中背の見知らぬ男だった。肩で息をして、ミルファを血走った目で睨む。
その手には――ナイフが握られていた。
「お前だなミルファというのは! お前をやればっ、俺は、子爵家で認められる……!」
「マルコさん……!?」
「誰ぇ!?!?」
尻餅をついたままディードーが声を上げるが、マルコという名前の知り合いはいないはずだ。けれど子爵家と聞けば、生家しか思い当たる節はない。
まさか、と思うもナイフの先が自分に向けられていてそれ以上は思考が働かなかった。
背後にいたユノがミルファを庇おうと前に出ようとしたけれど、背中で押さえる。大事な友人に庇わせるなんて駄目だ。
扉の向こうに何人かの使用人が走ってきた気配はするものの、マルコから視線を離すことができない。
孤立無援だというのに、マルコは歩みを止めるどころか勢いをつけてこちらへまっすぐと向かってくる。最初から正気じゃないのだ。
足が竦んで動かない。ミルファが避けたところでユノが傷ついてしまう。
(どうしよう……!)
「うあーーーーーッ!!」
「「ミルファ!!!」」
「ミルファ様!」
叫びながら突進してくるマルコに、思わずぎゅっと目を瞑った。痛みに備えた身体は、強い衝撃によって床へと放り出される。
ドシン!と仰向けに転がり、背中側にいたユノが「ぐぇ」と縊られた鶏のような声を出す。ミルファも上に乗った人物によって身体が押し潰されていて、苦しかった。
しかし、覚悟していた痛みは不思議とない。覆い被さっているのはマルコではないのかと、恐る恐る瞼を上げる。
「え……!」
「ミルファ……大丈夫か……」
すごく見覚えがあるのに、知らない顔だ。紺碧の髪に夜明け色の瞳。聞き覚えのある声に、懐かしい匂い。
混乱したままとりあえず頷くと、彼はゆっくりと身体を起こす。ようやく明瞭になった視界に、顔を真っ赤にして激昂するマルコが映った。
「お前……お前が全ての元凶じゃないか! どうしてここにいる!!」
彼を目にしたマルコの反応が不思議だ。知り合いなのか?
事態はまだ緊迫している。どうするつもりなのかとミルファが唖然として見ていると、彼がゆらりと立ち上がった。
「え……まって」
くるりとミルファに背中を向けた彼がマルコの方へ歩いていく。ミルファは思わず静止の声を出すが、止まらなかった。
背の高い彼とマルコでは体格も違うし、何より迫力がある。マルコは突然怯えたように後ずさった。表情は彼に隠れて見えない。
(待って……背中……!)
彼はおもむろに腕を振りかぶり、マルコを殴り飛ばした。
「ぐがぁッ……!」
マルコは軽々と数メートル飛んだ。そのまま床に崩れ落ち、ぴくりとも動かなくなる。同時にカンッ、と血の付いたナイフが壁にぶつかって落ちる。
そして、そのまま――彼の身体もくずおれた。背中を血で真っ赤に染めたまま。
ミルファは無意識に叫んだ。
「ルシアーノ!!!!!」
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