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第3話
夜分遅くに訪ねたこともあり、案の定、ジーク陛下は不機嫌そうな顔で扉を開けた。が……大公閣下の姿を見るなり、途端に笑顔になる。
「モーリス爺!」
「おお…ジーク坊や! 元気じゃったか!
長く見ないうちに、随分と大きく立派になって……うんうん、よかったよかった!」
重ねた年輪を感じさせる穏やかな声とともに、モーリス大公はジークの肩をぽんぽんと軽く叩いた。細めたその目には、長年の親愛と慈しみがにじんでいる。
「モーリス爺、いつ来たの? 今日? 言ってくれれば迎えを出したのに……こんな時間まで、どこで何してたんだよ」
「結婚式に来たのじゃよ! 爺の目の黒いうちに、相手を見極めようと思ってな。…はて、そこにいるのが、チルくんかの?」
ジークの姿しか目に入っていなかったモーリス大公が、ようやく隣に立つチルの存在に気づいた。
緊張で肩を強張らせたまま、チルはすっと一歩前に出る。息を整えて、深く頭を下げた。
「チ、チルと申します。よろしくお願いします」
「……ふむ。君か」
モーリスはまじまじとチルの顔を見つめながら、ずいっと距離を詰める。その迫力に、マイロは思わず間に入るように口を開いた。
「あ、あ、ほら、モーリス様、こちらに! チル、お茶の準備する?」
「え、あ、あ、そうだね。ありがとう、マイロ。モーリス様、どうぞこちらへ」
チルはすぐに動こうとし、マイロもそれに続いて一歩踏み出した、その時だった。
「……うわっ」
身体がぐらりと傾く。思った以上に足首の痛みが強くなっている。着地した瞬間、鈍い痛みがじんと広がった。
「マイロ、ここはいい。俺がやる」
すぐさまカイルが低く小声で言い、マイロの身体を自然に支える。その動作はあまりにも慣れていて、まるで呼吸のようだった。
「どうした、マイロ?」
不審そうな顔でジークがこちらを振り返る。無理もない。カイルがずっとマイロを支えたまま離れようとしないからだ。
「い、いや〜、その、あのぉ〜」
しどろもどろになっていると、モーリスがひらりと手を上げて口を挟んだ。
「さっき、わしを捕まえようとして足を挫いてしまったんじゃな。すまんな、若者」
「……足、挫いたのか?おい、大丈夫かよ」
ジークは少し驚いたように目を細め、マイロの足元に視線を落とす。そしてふっと眉をひそめた。
「カイルがついてて、なんでそんなことになんだ……」
ほんの少し呆れたように、けれどそこには本気の心配が滲んでいる。カイルの腕の中にいるマイロを一瞥し、ジークは小さくため息をついた。
「……す、すいません。油断してて……」
マイロはしゅんとしながらも、どこか気まずそうにうつむき、小さな声でそう呟いた。恥ずかしさと情けなさで、顔を上げる気にもなれない。
しかし、そんな様子をよそに、モーリスはどこ吹く風といった調子である。
それに、まるですべてを見透かしているような口ぶりだ。マイロも、カイルも、影を追っていたことなど、とうに気づかれていたのだろう。
……やっぱり、この爺、ただ者じゃない。
そんな中、チルがそっと盆を運んできた。
「お茶、いれました。夜分ですが、温かいものの方が落ち着くかなと思いまして……」
湯気の立ち上る白い陶器を、チルは丁寧にひとつずつ机に並べていく。そこに並べられたのは、淡い琥珀色の、やさしい香りのするお茶。
「……これは」
モーリスが一口も口をつける前に、ふっと目を細めた。
「……この香り……」
ジークがいつも飲んでいる、果実と薬草を合わせた独特のブレンド。少し癖があるが、香りが強すぎず、気持ちが落ち着く、不思議なお茶だ。
モーリスは、その湯気の立つ一杯を静かに口に運び、そして、軽くうなずいた。
「ふむ。……第一次、合格じゃな」
マイロが「え?」と声を漏らし、チルは小首をかしげた。
「えっと……何か、変でしたか?」
「いや、違う。これはチルくんが、ジーク坊やをよく見ている証拠じゃ。何を好み、何に安心するかを、ちゃんとわかっておる。こんな夜遅くにコーヒーなど出されたら、けしからん!と叱るところじゃった。かかかっ」
冗談めかした声で笑いながらも、モーリスの瞳が一瞬だけ鋭く細められる。
「……それが、好ましさからか。それとも、目的からかは、まだわからんがの」
空気が、ほんの一瞬、凍ったように感じられた。けれど、チルは怯むことなく、静かに笑って言った。
「ジーク様が落ち着いてくれるから、これにしました。理由は……それだけ、です」
モーリスは笑っていた表情をふっと引き、真顔になる。
「……ほう。なるほど。では、次の品目にまいろうか」
「……まだなんかあるのかよ!?」
思わず小さく呟いたその拍子に、マイロはお茶を吹きそうになった。
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