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第5話

マイロは、ぐったりしていた。 モーリスの一言一言に振り回されっぱなしで、もう心も体も、もたない。 チルはというと、あの暴れ馬ジルに、するりとまたがったかと思えば、ゆったり優雅に王宮の馬場を闊歩していた。 「ジルさん! 楽しいね! あははっ!」 チルの無邪気な笑い声が、広い空に響く。 ジルも満更ではないらしく、得意げに鼻を鳴らして走り抜ける。 その様子を見ていた騎士たちは、皆、ぽかんと口を開けたまま、言葉を失っていた。 「……え、あれがジル…?マジか……」 「いや、夢じゃないよな?これ現実かよ…」 まあ、そうなるのも、わかる。 実際、マイロ自身が一番驚いていた。 図書室でひたすら馬術の本を読み漁っただけなのに、あの暴れ馬を、まるで昔からの相棒のように乗りこなすなんて。 チルという存在は、本当に……不思議だ。 「おお〜っ、見たか見たか!? 一発で暴れ馬と心を通わせおったぞ!」 モーリスは大喜びで拍手をし、「これぞ王妃の器じゃわい!」と高らかに笑った。 ジークも同様に、満面の笑みでうなずく。 「……うん、やっぱりチルは最高だな。かわいいし、なにより乗りこなしてる……もう、何あれ、愛しい……」 呆れを通り越して若干惚気に入っている国王陛下を横目に、マイロは遠い目でぼそっと漏らした。 「……いや、疲れるわ」 この日、馬に乗ったわけでもないのに、なぜか一番ぐったりしていたのはマイロだった。 そのうえ、この足である。 昨夜ひねった足首は、予想以上に腫れがひどくなり、まともに地面に足をつくと、ずきりと痛みが走る。 しかも、動こうとするたび、どこからともなく現れるカイルにおぶられるという屈辱が、今日だけで何度繰り返されたことか。 「おぶられるって……なんで、そんな即座に背中向けてくるんだよ……」 「うるさい。おとなしくしてろ」 最初は抵抗していたマイロだったが、終盤にはもう諦めて「はいはい」と素直に背中に乗るようになっていた。慣れた自分がこわかった……。 そして夕方には、国王陛下から命令が下された。 「というわけで。マイロは今日から、カイルと同室で」 「へ?」 「いや、足も腫れてるしな? 俺も安心したいし、ちょうどいいだろ?カイルの部屋、広いしさ」 ジークが笑顔で、まるでいいことでも言ったように言い放った。 「ちょ、いや、待ってください、それって国王陛下が決めること!?」 「うん。決めた。命令!」 「む、無茶苦茶……!」 その横で、カイルは何も言わずに頷き、マイロをそっと支える。 どうやら明日も、モーリスの試練は続くらしい。マイロは、どんよりとした気持ちのまま、カイルにおぶられて、静かに連れていかれた。 後ろで、ジークがにやにや笑っていたのは……見なかったことにしている。 カイルの部屋に入ると、マイロは、ぽすんと椅子に腰を下ろされた。そのまま大きくため息をつく。 カイルの部屋は、さすが陛下の側近だけあって広く、余計なものがひとつもない。机も、棚も、ベッドも、きっちり整えられた空間。まるで整頓された冷静さ、そのままのような部屋だった。 「……ここ、ほんとに寝ていいの?」 「そう言っただろ。ベッドは使え。俺はソファで寝る」 「いやいや、そういうわけには……」 慌てて立ち上がろうとすると、すぐカイルに押し戻される。 「動くなって。足、痛いんだろ」 「……むう」 何も言い返せなくて、マイロは素直に腰を下ろす。 ……っていうか、この空間、落ち着かない。無駄に広い。静かすぎる。そして、同室相手がカイルってだけで、なんだか背中がムズムズしてくる。 「なにか欲しいものがあれば言え。水?薬?それとも毛布を増やすか?」 「あ、いや、うん、大丈夫……ありがと」 カイルは変わらず淡々としていて、別にいつも通りなんだろうけど、何故かこの変な緊張感が出てしまう。 さっきまでジルに乗って駆けてたチルを、ハラハラとしながら見ていたのに、今は広い部屋で、無口な男と、二人きり。 空気は穏やかで、誰も口出ししてこない。気まずいわけじゃない。怖いわけでもない。でも、なんかこう、心が落ち着かない。 気持ちがついていかない。さっきまであんなにバタバタしてたのに、今はカイルの視線ひとつで心臓が跳ねる。 そっけないのかと思えば、やけに近い距離にいて、手が触れそうで触れなくて。それだけで呼吸が浅くなる。 無言のまま過ぎていく時間に、何をしてればいいのかわからない。 「……」 ふと、視線を感じて、横を見ると、カイルがじっとこちらを見ていた。 「な、なに?」 「顔、赤い。熱があるか?」 「ね、熱じゃない!緊張してるだけだよ!」 思わず声を上げると、カイルは、ふっと目を細めて、 「……知ってる」 と、ぼそりと呟き笑った。 「っ……!」 マイロは一瞬で黙り込む。 と、同時に心臓がドクンと跳ねた。 知ってるって、なにが。 緊張してること?  それとも、もっと別のなにか? ていうかその言い方、なんかずるい。 余計な感情まで見透かされてるような気がして、妙に居心地が悪い。不意に、呼吸が浅くなる。肩がぴくっと揺れてしまう。 カイルの声は低くて静かなのに、胸の奥まで届く。やさしくて、ずるくて、まっすぐで。 俯いたまま、マイロは唇をかみしめた。 そしてなぜだか、鼓動がうるさくなるのを止められなかった。

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