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第8話
燦々と陽が降り注ぐ、清々しい朝。
本日、国王ジーク陛下の結婚式が執り行われる。
雲ひとつない空は青く澄みわたり、まるで空までもが二人を祝福しているかのようだった。
祭壇へ向かうチルの表情には、緊張がにじんでいた。
「大丈夫、深呼吸して。……ほら、後ろには俺がついてる。何かあったらすぐ駆けつけるし、前には陛下がいる。絶対に守ってくれるよ」
「う、うん……マイロ、ありがとう。あうぅ…緊張する…」
「ははっ、チルってさ、大胆なくせに、こういうときだけ慎重になるよな。式なんてあっという間だよ。陛下だけ見てればいい。絶対、大丈夫だから」
そう言って、マイロはチルの背中を軽く押す。ドアが開き、視線の先には、ジークが微笑みながら待っていた。
やっと、やっと二人が夫婦になる。その瞬間を前にして、マイロも胸が熱くなり、涙が出そうになる。
「……お前が泣いてどうする。ほら、もう大丈夫そうだな。俺たちも席に戻ろう」
「う、うん。なんか……力抜けた」
カイルに背中を支えられながら、マイロは教会の最後列に静かに腰を下ろした。
マイロは一番後ろの席から、チルの背中を見つめていた。ふわりと揺れる淡い布の礼装に、きゅっと引き結ばれた後ろ姿。
緊張しているのが、見ていてわかる。手も少しだけ強ばっている気がした。
祭壇にたどり着いたチルが、ジークと向き合った瞬間、ジークの顔がやけに柔らかくなって、マイロの位置からでもそれが伝わった。
二人の間には神官の声が響いていたけれど、時おりチルが照れくさそうに顔を伏せたり、ジークが何か耳元で囁いて笑わせたり。その様子に、マイロはひとり、うっすら笑って、泣きそうになる。
今までずっと一緒にいた。支えて、見守って、笑って。時には心配して、そばにいて、だけど、誰よりも強い味方がチルの隣にいるのを確認できて……
よかった……と心から思う。
チルがジークの指に指輪をはめる瞬間、手が震えているのがわかった。でも、ちゃんと笑えていた。ジークも、しっかり見つめ返していた。
その瞬間、横からハンカチが差し出された。
「……鼻が赤くなってる。拭け」
「泣いてない!」
小声で返すと、カイルは軽く肩をすくめた。その次の瞬間……
「ジーク陛下とチル様の結婚を、ここに宣言いたします」
会場に祝福の拍手が鳴り響いた。
チルが笑っていた。ジークも笑っていた。
その笑顔が、何よりも美しかった。
神父様によるお言葉、そして愛の誓い。式は厳かに、しかしどこかあたたかく進んでいった。
列席していた侍女たちは感動でハンカチを握りしめて目頭を押さえている。
そんな中でも一番泣いていたのは、まさかのモーリスだった。
「チ、チル〜……チルやぁ……よかった……本当によかった……!爺は、爺は嬉しい!」
どう見ても、泣き崩れる寸前である。
あれだけ試練と称してあれこれ課題を与えていたくせに、今やすっかり情が移ったらしく、視線の先はジークではなくチルばかり。もはや完全に孫を嫁に出す祖父である。
マイロは、感無量のモーリスを横目に、ちょっと笑ってしまった。
式の後、参列者たちは披露宴を行う大広間へと移動する。昨日、爆弾騒ぎで一時封鎖されたあの場所だ。
まさか、昨日の今日で無事に使えるとは…よく間に合ったなと、マイロは感心しつつも、微かに痛い足をごまかしながらカイルの後について歩いた。
大広間に着くと、昨日とは違った緊張感が漂っていた。ジークが腕を組み、渋い顔で仁王立ちしている。その前では、宮廷儀礼長が平然と書類を手にしていた。
カイルとマイロが近づくと、状況が見えてくる。
「結婚式後のダンスは省略すると、俺は事前に伝えていたはずだ」
ジークが低い声で言い放つ。
「陛下。しかし、王家の正式な婚儀であれば、披露宴の冒頭にお二人が舞を披露するのが慣例。これを省くことは、礼を欠くとの指摘がございます」
「……その慣例は、今回は適用しない。俺がそう決めたんだ」
一歩も引く気配のないジークと、あくまで公務として進めようとする儀礼長との間に、張りつめた空気が漂う。
その隣では、チルがきょとんと目を瞬かせながら、どうしたものかと立ちすくんでいた。
案の定、ジークの表情は不機嫌そのもので、誰が見ても「やらない」オーラを全身から放っている。
「無理に踊らなくてもいい。披露宴だけでも充分だろ?」
ジークが少しだけ声を低くしてそう言うと、チルがそっとジークの袖をつまんだ。
「でも…ジーク様と踊れる機会なんて、そう何度もあるものじゃないですし。それに…皆さん、楽しみにしてるみたいです」
ちらりと客席を見やると、遠巻きにこちらを見守る人々の視線が集まっている。
すると、タイミングを見計らったように儀礼長がすっと一歩前へ出る。
「すでに楽団は控えております。曲目も舞踏用に調整済み。陛下のご意向だと伺っておりますが?」
ジークの表情がぴくりと動く。
「……あれは、舞踏用じゃない。披露宴の演出用だ」
「舞踏用の譜面と伺っておりますが?」
「違う!それは……チルへのサプライズ演奏のつもりだったんだよ!」
あっ、とチルが目を瞬かせた。
マイロはすかさず横でうめいた。
「うわ……今バレた……」
カイルが小さくため息をつく。
「……サプライズとは、こうも脆いものか」
ジークはごくりと喉を鳴らしながら、ほんの少しだけチルの方に顔を向けた。
「チル、無理することはない。最初からやらない予定だったのだから」
ジークのまっすぐな声に、チルはふわりと笑みを浮かべていた。
「でも、私……この前、ちゃんと練習しましたよ? だから、やってみたいです。私の下手は……ジーク様がカバーしてくれるんですよね?」
小さく首を傾けて見上げるチルの姿に、ジークは観念したようにため息をついた。
「……いいのか? じゃあ、チルは俺にすべて任せろよ?」
ふたりが舞台の中央に立ち、音楽が流れ出す。ゆるやかなバロックの旋律に合わせて、ジークがチルの手を取ると、広間の空気が変わった。
初々しいステップ。けれど不思議と息の合った動き。ジークがチルを包み込むようにリードし、チルが恥じらいながらも笑顔でついていく。
その様子に、あちこちから息をのむ音が漏れ始める。
「……っ、きれい……」
「まるで絵画みたい……!」
ざわめきは、いつの間にか感嘆のさざ波に変わっていた。
王と王妃__否、新郎と新婦が紡ぐ幸福な時間に、誰もが目を奪われる。だが、そんな中で…
「見たか!? 見てるかっ!そこの若造! あれが、わしの孫じゃ!!」
一際大きな声が、静まり返ったホールの後方から響き渡った。
「え? 孫……? あの方、王妃様のご親族でしたか?」
「いや、国王陛下の……らしいです……」
戸惑う来賓たちのざわめきの中、誇らしげに両手を広げて立ち上がったのは、もちろんモーリスである。
「どうじゃあの立ち姿!どうじゃあの舞! 気品じゃ! 天性じゃああ!」
後ろの席で司祭が「しっ」と手を立てて静粛を求めるが、モーリスには聞こえていない。むしろ拍車がかかっていた。
「わしの孫が、世界一麗しいじゃろ!? さあ、褒めよ!! 讃えよ!!」
もはや誰にも止められない。
最前列の騎士たちが「はっ、はいっ!」とよく分からぬまま姿勢を正す始末である。
ジークとチルが小さく笑い合う中、場内の空気は、微笑ましさとモーリスの騒々しさが絶妙に入り混じり、「実に王家らしい」と誰もが苦笑いする雰囲気に包まれていた。
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