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第10話
結婚式が終わり、ジークとチルは一週間の休暇を挟んでから、公務に戻る予定だ。
だから、この一週間は、マイロとカイルの二人も、王と王妃にならって、休むはずだった。
………はず、だった。
「カイルは今日から休みじゃろ? わしと一緒に見合いに行くぞ! カイルにぴったりの相手を探すのじゃ!」
モーリスのひと言で、休暇の計画は一瞬で吹き飛んだ。
これから一週間、カイルの部屋の模様替えを手伝ってほしい。そう頼まれていた。
足を負傷していた間、お世話になった恩もあるし、ここはひとつ張り切ってやろう!と思っていた、その矢先だった。
「……休み、どころじゃないじゃん…」
マイロがぼそりとつぶやく。
「カイルの嫁探しじゃ!」という声が王宮内に響いて以来、空気が一変する。
「私がっ!」
「いえ、私こそ!」
「はい!そこは私っ!」
貴族の令嬢たちが競うように名乗りを上げ、王宮勤めの者たちまでがカイルにアプローチを始めた。そして皆、モーリスに気に入られようと必死だ。
……だが。
マイロは、初めて味わうこの種類の混乱に、妙に落ち着かなかった。
カイルがこんなにも人気者だったなんて。
こんなに、みんなが彼を見ていたなんて…
がっしりした肩幅。高い背。整った顔立ちに、冷静で鋭い視線。けれど時折見せる、あたたかいまなざし。頭の回転も早く、剣の腕も立ち、王に最も信頼される側近。
そして、将来有望株。
よく考えりゃ、そりゃ、モテるよな……と思う。カイルがモテ始め、平気なふりをしていたけれど、胸の奥をすうっと風が抜けていくような寂しさが、残った。
「モーリス大公、恐れ入りますが、自分には必要ありません」
カイルの部屋まで押しかけてきたモーリスが、強引に連れ出そうとしていたまさにその時、カイルはいつもの低く落ち着いた声で、きっぱりと言い放った。その響きに、マイロは思わず背筋を伸ばす。
「なんでじゃ!?」
「心に決めた人がいるので」
マイロは思わず顔を上げた。思考が数秒、遅れてついてくる。
心に決めた人…?
カイルに……好きな人がいるというのか。
「なんじゃと!? では、会わせてもらおう!」
「……その人には、まだ気持ちを伝えていません」
カイルの返答は淡々としていたけれど、どこか遠くを見つめるようで、そこに、ほんの少しの寂しさが滲んでいたような気がした。
マイロの胸の奥が、きゅうっと小さく痛む。
その相手とは…誰だろう。自分の知ってる人なのだろうか……
「な、なにぃ!? そなたほどの男が、片想いとは!」
モーリスの大声に、マイロはびくっと肩を跳ねさせた。手にしていたティーカップの水面が、わずかに揺れる。
「……その人にとって、自分は、そういう対象ではないと思いますので」
その言葉が、トドメの一撃だった。
マイロは思わず下を向いた。理由もなく、胸がざわつく。視界の端で、カイルの横顔が静かに揺れて見えた。
知らなかった。
好きな人がいるなんて。
その言葉を聞いた途端、何故か急にカイルがその人のことで悩んでいるようにも見え始める。そんなカイルもマイロは知らなかった。
「ぬうう……そんな相手はやめてしまえ! わしが新しい良縁を見つけてやる!」
モーリスの勢いは止まらない中、マイロだけが何も聞こえないような顔で、ひたすらうつむいていた。
モーリスの勢いに、さすがのカイルも小さく肩をすくめる。その仕草すら、マイロには遠く感じていた。
休暇のはずなのに、次から次へと人が訪ねてきて、静けさとは無縁だった。カイルは、日中ずっとその応対に追われ、部屋に腰を落ち着ける暇もないほどだった。
その夜、マイロはカイルの部屋で、あの「好きな人」の話を聞いていた。
「……カイル、本当に、好きな人がいるの?」
静かな問いかけ。返事が来るまでの数秒が、妙に長く感じる。
やがて、小さく…でもはっきりと、カイルが頷いた。
「……ああ。本当だ」
その一言で、マイロの心臓がドクン、と跳ねた。やっぱり、好きな人がいるという。
はっきりと本人の口から聞いてしまった。
いつから? 誰? 自分の知っている人? それとも、まったく知らない人?
言葉が出なかった。
頭の中がぐるぐると回るだけで、口を開けば何かが溢れてしまいそうだった。
「……あっそうだ。俺、自宅に戻るよ。足も良くなったしさ、今まで、ありがとう」
唐突だと思う。
でも、それしか言えなかった。自分でもわかっていた。不自然なことくらい。
だけど「その人」が自分じゃないんだって思った瞬間、この部屋の空気すら苦しくなってしまった。
「急だな……お前、この部屋の模様替え手伝ってくれるんじゃなかったのかよ」
「え、あ、うん…そうだけどさ、なんか、その…」
言い訳の途中で、言葉がつまる。
本当は言いたかった。「俺って、邪魔なんだろ?」って。
「俺たち、一週間休みだろ?だから、お前が過ごしやすいように模様替えしようと思ってたんだよ」
「……なんだよそれ。俺が過ごしやすいって……。でも、俺はもう帰るし。足も治ったし、だから……」
カイルの手が、そっと伸びて、マイロの腕を掴んだ。
「…帰るなとは言わない。でも」
声が低く落ちる。
「せめて、もう少し話をしていけ」
マイロは一瞬だけ、その言葉に足を止めかけた。でも駄目だった。これ以上ここにいたら、泣き出してしまうかもしれない。
「…ごめん」
そう呟いて、腕を祓い背を向ける。
好きな人がいるって言っておきながら、まだ一緒に過ごそうとしてくる。カイルが今はやけに遠く感じた。
「……ほんと、いろいろありがと」
ぎこちなく笑って、背を向けたままマイロはそう言った。
「マイロ」
背後でカイルが呼ぶ声がした。でも、振り返れなかった。今、顔を見たら、自分でもどうなるかわからなかったから。
そしてそのまま、勢いのままに、カイルの部屋を飛び出した。
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