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第11話
一週間の休みなんて、あっという間だった。何をしていたかなんて、今ではもう思い出せない。ただ、自宅に戻り、外に出ず、ずっと家に引きこもっていた。
食事の味も曖昧で、時間の流れすら感じなかった。カイルのことばかり考えていたわけじゃない。そう思いたかった。
まさか、こんなふうに傷つくなんて、自分でも思っていなかった。自分はもっと軽やかで、切り替えが利くタイプだと思っていた。でも、違ったらしい。
どうしてこんなにこたえてるんだろう。
カイルに「好きな人がいる」と聞いただけなのに。
今日は久々の勤務だ。気合を入れて顔を出した王宮の控え室には、いつものようにカイルがいた。相変わらず静かに、無駄のない手つきで書類をさばいている。
ふと、視線が合った。
「久しぶり」
低く落ち着いた声。変わらないその響きに、胸がドクンと跳ねた。
カイルに会ったら一発で動揺してしまう。全然、切り替えなんてできてないようだった。
「あ、う……うん。久しぶり〜」
返事はぎこちなくなった。
なぜか、視線をまっすぐ受け止められない。ちょっと前まで、こんなふうじゃなかったのに。
そのとき。
「カイルよ!ここにいたのかっ!」
モーリスが、まるで突風のように控え室へ飛び込んできた。
「モリッシー伯爵家の令嬢と、話をしてみぬか? わしの知る中でも随一の良縁じゃ!性格よし、見た目も悪くない、資産も文句なし!」
まだ王宮に滞在していたモーリスは、相変わらずカイルの縁談に本気だ。
「……検討します」
カイルは一切の動揺も見せずに、いつもの低音で答えた。
マイロはそれを少し離れた場所で聞いていた。ぎくり、と胸が引きつる。
検討する……ということは、会うのか。話してみるのか。本当にその気が……
「そうじゃ!来週の茶会で会うと決めてくる! 話はわしが通しておくからな!」
「……大公、まだ承諾はしていません」
「会うくらいはよかろう!断るのはその後じゃ!」
言いたいことだけ言って、モーリスは再び嵐のように出ていった。
控え室に残された沈黙が、やけに重たい。
マイロはこっそり息を吐いてから、控えめな声でカイルに声をかけた。
「……茶会、行くの?」
カイルは手を止めた。
そして、いつも通りの無表情で、どこか遠回しな優しさを含んだ声で言った。
「別に、行くとは言ってない」
「……でも、断ってもいないじゃん」
「モーリス大公には、正面から断るのが一番労力がかかる」
「それ、かわすってことでしょ」
マイロは笑おうとしたけど、笑えなかった。胸の中で、ふわりと何かが浮いて、沈んだままだ。
はっきり断ればいいのに…そう、言いたくて、でも言えない。
だって、きっとカイルの「好きな人」は、自分じゃない。
「お菓子、チル様が分けてくれたぞ。ほら、お前これ好きだったろ?」
気づけば、カイルの手から小さな焼き菓子の包みが差し出されていた。
なんで好きだと言ったことを覚えているんだろう。胸の奥がキリキリと痛む。優しい。優しいだけに、苦しい。
「……ありがと」
そう言って、マイロはうつむいた。
カイルの目を、見られなかった。
控え室を出たマイロは、俯いたまま廊下を歩いていた。
胸の中が苦しくて、このまま立ち止まれば、もう二度と立ち上がれなくなりそうな気がした。
気づけば、図書室の前に立っていた。
チルの職場だ。
「……チル、いる?」
カタンと扉を開けると、「いるよ〜」と明るい声が返ってきた。
中に入ると、チルは机の上で何かを書いていた。顔を上げて、にこっと微笑む。
「マイロ。来てくれて嬉しい。どうしたの?」
「ん……ちょっと、顔見に来ただけ」
マイロは椅子に腰を下ろし、机の上のティーカップに目をやった。相変わらず、可愛らしい花模様だ。
「チルは変わらないな。……こうしてると、なんか落ち着く」
「そう? それは光栄。でも……マイロの方は、ちょっと元気ないみたい」
「え、そ、そんなことないって」
慌てて笑ったが、チルはじっとマイロを見つめてくる。
「カイルさんのこと、でしょ?」
図星だった。
マイロは言葉に詰まり、目を伏せた。
「な、なんで……そう思ったんだよ」
「だって、二人ともなんだかぎこちないんだもん。何かあったんだなって、すぐわかったよ」
たしかに、あの距離感は誰の目にもわかるくらい、不自然だった。
「……なんか、わかんないんだ。あいつ、いつも通り優しいくせに、肝心なことは何も言わなくてさ。俺ばっかり、空回りしてる気がする」
「うん……でも、それって、すごく大事なことだと思うよ?」
「え?」
「いつも通り優しいって、当たり前じゃないから。マイロのことをちゃんと見て、大事にしてる証拠だと思う。カイルさん、自分なりに何か考えてるんじゃないかな」
チルはお茶を飲みながら、そっと言葉を重ねた。
「……何があったのかは知らないけど、マイロは、どうなの? カイルさんのこと」
「ど、どうって……」
問いかけられて、今日のカイルの姿がふと脳裏をよぎった。あの低い声。差し出された焼き菓子。変わらない態度。でも、なぜか遠くなった気がする。
「……わかんない。でも……今のカイルは、なんか、やだって思った。なんか、すげーやだって……思っちゃったんだよな」
それは、お見合いに応じそうなカイル。
誰かと並んで話すカイル。自分の知らない場所で、誰かの隣にいるかもしれないカイル……
そう口にした瞬間、自分でもわかってしまった。『やだ』の正体が、なんなのか。
チルがふわりと笑った。
「……それで、充分だと思うよ」
マイロは、しばらく言葉が出なかった。
だけど、その沈黙は、不思議と心地よくて
今は、ほんの少しだけ、優しかった。
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