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番外編 溺愛被害会議 開催します
王宮の一室。
午後の陽ざしが差し込むサロンには、紅茶と焼き菓子の香りがふわりと漂っていた。
本日、ジークとカイルは、朝から議会へ出席中。どうやらその議会とやら、深夜までかかるらしい。
チルが今日は休みだということで、マイロはジーク陛下から「一日中、チルの護衛を頼む」と直々に言い渡されていた。
「承知しましたぁぁ!」と元気に返事をしてからというもの、マイロは久しぶりにチルと、のんびりとした時間を過ごしている。
場所は王宮のサロン。
大きな窓から差し込む光はあたたかく、銀器のティーセットと焼きたてのクッキーが、静かな午後の景色によく馴染んでいた。
ふと、チルがクッキーを一口かじりながら、ぽつりとこぼす。
「……なんか、すごく平和だね」
マイロはその横顔をちらりと見て、ふっと笑い、小さくうなずいた。
無事に二人の結婚式も終わり、騒動も一段落。今はなーんにも問題がない。ただただ穏やかで静かな午後である。
「ほんと、幸せだなぁ」
紅茶の湯気の向こう、ふたりは心からそう思っていた。
「ねぇ…マイロ、カイルさんに……何かされてない?」
突然、真剣な顔で問いかけてきたのはチルだった。
午後の陽ざしの中、サクッとクッキーをひとくち。音だけは軽快なのに、チルの表情はなぜか切実だ。
マイロは一瞬まばたきしたあと、あっさりと返す。
「……いや、されてるけど?」
即答である。
それも、まったく悪びれた様子もなく、紅茶を一口飲みながらさらりと言う。
だって、されているのだ。
日常的に。全力で。
言いたいことなら、いくらでもある。
というか、どこから話せばいいのかわからないくらいだ。
そんなマイロを前に、チルはぐっと身を乗り出した。
「やっぱり!……あの二人似てるから、マイロもなんかされてると思った。うちのジークは『今日は王が全部してあげる日です』とか言ってくるの。それでほんっとに全部やるの。椅子引いてくれたり、髪まで整えてくれたりして…ありがたいけど、なんか逆にそわそわするの……!」
マイロはこめかみに指をあてて、ゆっくりとうなずいた。
「……あー、うちもそれ。まったく同じ。なんか、急に今日は何もしなくていいって言ってくる日があってさ……。『座ってろ』って言われて、飲み物も料理も出てくるし、靴まで揃えられてる」
「えっ、それうちより徹底してる……!」
「だよね!? しかも、髪が乱れてたら直してくるし、こっちが『いや、もういいって』って言っても、気になるからってすごい真顔で言う。気になるのはお前じゃなくて俺の心なんだけど!?ってなるよ」
マイロは思い出しただけで軽く背筋をのけぞらせた。
「ありがたいのに、なんかこう……落ち着かないの。なんでさ、たまに完璧執事モードに入るんだろ……」
「わかる~~~……!」
チルが情けない顔でうなずき、ふたりの間には逃げ場のない溺愛への共感がしっかりと芽生えた。
ふたりは同時に焼き菓子をひと口かじる。
さくっ、という音とともに、お互いの胸の内が堰を切ったようにこぼれ出す。
「……あとさ、こっちがちょっと渋い顔してるだけで『何かあったか?』って慌てて聞いてきて……言う前にもう、ぎゅってされてんの。いや、まだ何も言ってないんだよ?」
マイロがクッキーをもぐもぐしながら、ぽそっとこぼす。
それにはチルも小さくうなずいた。
手元ではクッキーをポリっと割っているが、曖昧な笑みなど浮かべず、眉間にきゅっと皺を寄せて、表情はどこまでも真剣だった。
「わかる……っ!こっちが何も言う前に『大丈夫、全部俺がなんとかする』って言われる。えっ、なにを!?ってなるじゃない?優しいんだけど、毎回なんでそうなる?って思う……」
チルはクッキーをひとかけ口に入れ、もぐもぐと頬張っていた。
「そうそう! やたら展開が勝手に先に進んでるんだよ」
今度はふたり同時に紅茶をすすり、ふうっとため息をついた。
チルが眉をひそめて、もうひとつ思い出したように言う。
「しかも夜さ、寝ようとするとね、絶対先に腕広げて待ってるの。あれ、なんだろ…おいでって言われてるのかなって……わ〜って飛び込んでってもいいのかな〜って思っちゃうの」
そう言って、自分の胸の前で腕を広げる仕草をしてみせる。その様子がなんとも可愛らしくて、マイロは吹き出した。
「あははは、それはいいんじゃないの?飛び込んであげなよ。ていうか、うちも似たような感じなんだけど!『どっちが先に寝かせられるか勝負だ』って、腕広げて待たれるよ?だけど、腕の中で秒で寝かされちゃうから。あれ、完全に勝負じゃないから!」
「ぷっ、寝るのに勝負って……でも、それだと先に寝ちゃうマイロの負けだよ〜」
「なんかさ〜、あの腕の中、反則級なんだよ。よし、今から勝負!寝かすぞ!って構えた瞬間、『おやすみ』って囁かれて、気づいたら朝なんだよね。いやいや、こっちまだ参戦すらしてないんだけど!?って毎回なる」
「あはは、それ可笑しすぎ〜」
ふたりはしばし大笑いしてから、同時に焼き菓子をもうひとかじり。そして、どちらからともなく、呟いた。
「「あの人たち、絶対ずるいよね……」」
しかし………
どうしてこんなにも、境遇が似ているんだろう。言いたいことは、まだまだ山ほどありそうだった。
「……ねぇ、もうひとつだけ、寝るときの話してもいい?」
クッキーをテーブルに置いたチルが、ふっと遠い目をする。
「あー、それ、なにかわかる。起きたら絶対的に包まれてるってやつだろ?」
マイロが半ばあきれたように目を細めた。
「そう!それ!もう〜動けないの。無理に動こうとすると、寝てるくせに腕の力だけで引き戻してくるし……」
「しかも、無理に抜け出すと悲しそうな顔されるから何も言えない……」
ふたりは思わず顔を見合わせ、ゆっくりと大きくうなずいた。そして無言のまま、紅茶をすする。
「たまにはさぁ、甘やかしてみたいんだけどなぁ……」
マイロがカップを持ったまま、ぽつりと漏らすと、チルがぱっと顔を上げて、目を輝かせた。
「あーっ!それすごくある!『ジーク、いいから座ってて』とか、『ここで休んで!』とか……言ってみたい! 一度でいいから、やってあげる側になってみたいなぁ……」
そう言いながら、チルは両手をぐっと前に突き出して、まるで誰かを椅子に座らせるような仕草をしてみせた。
マイロはその動きを見て、くすっと笑う。
「……でもさ、やってあげたくなる相手に限って、じっとしててくれないんだよね」
「ほんとそれ〜!なにかやりたいのに〜」
「でしょ!? 本当にさぁ、こっちのしてあげたいって気持ちが全然通じないんだよ……なんでああいう人って、そうなんだろうね……」
勢い込んで言ってから、ふたりともはぁ、とそろってため息をつく。
「……たまにはさ、こっちが主導でもよくない?」
マイロが笑い交じりにこぼすと、チルも「それ!」とばかりに大きくうなずいた。
「そうなの!ほんのちょっとでいいのに、すぐ『いいよ、任せて』って……!」
「そうそう、それで全部やられちゃうんだよなあ……こっち、何もしてないのに、ありがとうって言われるのおかしくない?」
ふたりは顔を見合わせて、またクスクスと笑い合う。午後の陽射しが、サロンの中をほんのりあたためていた。
静かに紅茶をすする音が重なる。ふたりは肩を並べて、しみじみとうなずき合った。
__そのときだった。
「チル、迎えに来たよ」
「マイロ、そろそろ時間だ。行くぞ」
ノックも遠慮もなく、ジークとカイルが並んでサロンに現れた。
「えっ、ジーク!? なんで急に……!」
「うわっ、カイル!? 仕事中じゃなかったの!?」
思わず立ち上がったふたりをよそに、ジークは椅子にひょいと涼しい顔で腰かけた。
「議会? ああ、今ちょうど休憩中」
「……休憩中に、ここまで来たの!?」
チルが目を丸くして問うと、ジークはしれっと笑って答えた。
「うん。ちょうど手が空いたし、迎えに行けるのは、今しかないと思ってね」
「……それ、迎えというより、ただ会いに来ただけでは……」
マイロが呆れたように言うと、カイルが小さくうなずいた。
「俺もそう思ったが、陛下が行くと言って聞かなかった。止めても無駄だった」
「いや!カイルも一緒に来てるじゃん!」
「……お前の顔、少し見といた方がいい気がした。今朝、寝れてなかったろ?」
ふたりのあまりに自然な回収ぶりに、マイロとチルは一瞬顔を見合わせ、ため息をついた。
「さ、チル。帰ろうか」
「えっ?! 本当に? 議会は夜中まであるんじゃ」
あたふたとするチルに、ジークは立ち上がり、さらりと肩を抱いた。
「うん、あるよ。でもね途中休憩が数時間あるから、それまで部屋に戻ろうか。ね、」
小首を傾げ、耳元でささやくように言う。甘い声色に、チルの耳がほんのり赤く染まった。
「マイロ、行くぞ。陛下もチル様を連れて帰るって言ってる」
そう言って、カイルは迷いなくマイロの手からティーカップを取り上げる。その仕草はいつもどおり無表情なのに、どこか強引で、妙に優しい。
「え、でも…俺、チルの護衛で来てたし…」
小さく抗議するように言ったマイロだったが、カイルはわずかに目を細めた。
「マイロ、お前は十分やった。護衛はもう大丈夫だ」
ぐい、とそのまま手首を引かれ、気づけばカイルの腕の中に収まっている。抱きしめるわけでもなく、ただ自然にそこにある、というような仕草だ。
「なっ……ちょ、待ってって!」
「……お前が疲れてるときぐらい、俺に頼れ。何もしなくていい」
「疲れてないっ!今日は何もしていない!」
反射的に言い返したが、耳まで真っ赤になっているのは、自分でもわかっている。急に甘い声を出すのはやめてほしい。
そんなやりとりの後、二組はゆるやかに廊下へと歩き出す。
王宮の長い廊下には、夕暮れの陽が射し込んでいて、床のタイルに4人の影が並んで揺れていた。
お互いの相手の肩越しに、マイロとチルはそっと目を合わせる。声には出さず、心の中で言葉を交わす。
(……がんばろうね)
(……うん、ほんとに)
その瞳に浮かんでいたのは、諦めでも不満でもなく、どこか幸せそうな覚悟だった。
王宮の奥へと続く静かな廊下を、4人の足音がやさしく重なりながら、ゆっくりと遠ざかっていく。
end
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