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番外編 溺愛する者たちの言い分
「今日は、ちょっと付き合えよ」
ジークに誘われ、カイルは夜の街に出た。
昔はよくふたりでこうして飲みに来たものだが、最近はめっきり減っていた。
原因はもちろん、王妃チル様である。
ジークは政務が終わると即帰宅。まっすぐ図書室へ向かい、にこにこしながら「ただいま」と言うのが日課になっている。もはや陛下の溺愛は王宮中に知れ渡っている。
今夜の店は、かつてジークがチルと初めて食事をした場所。カイルにとっても懐かしい店だった。
側近になる前、カイルがまだ、生意気な平民出の若造だったころ。ここでジークとよく口論になったのを思い出す。
「庶民らしさってなんだ」とか、「王に必要なのは覚悟だ」とか。青臭い正論と理屈をぶつけ合っては、よく揉めた。
それでも、ジークは見捨てなかった。怒鳴っても、呆れても、どこかで必ず信じてくれていた。未熟でぶつかるばかりの自分を、あの日、拾い上げてくれたその手の温度は、今も忘れようがない。
「……だいぶ久しぶりですね、こうして飲むのは」
そう言うと、ジークはいつもの調子で笑った。
「まぁ、そうだな。でも今日はさ、お前が俺に報告したいことがあるんじゃないかと思ってな?」
どこか意地の悪いようでいて、親しみのにじむ声音だった。察しの良さは、昔からだ。
『さっさと口説け』
王であるジークにそう言われた日が、背中を押してくれた。あのひと言がなければ、いまだに踏み出せずにいたかもしれない。
カイルはグラスを傾け、少しだけ口元をゆるめる。
「はい……報告、ですね。陛下に背中を押していただいたおかげで、ようやく想いが通じました。今ではすっかり、俺も甘やかす側に回っています」
「なんだよ、俺もって…それだと、俺が甘やかしてるみたいな言い方じゃないか」
「だって、事実でしょ? 陛下は、甘やかす以外に選択肢、ないじゃないですか。まぁ、でも今の俺は陛下と同じです」
「……あー……まあ、そうか」
ジークは思わず頭をかくと、腕を組んで上を仰いだ。
「……でさ、お前、まさか仕事がある日に『今日は休みだ』とか、マイロに甘えたこと言ってんじゃねぇだろうな?」
「は?」
「いや、『今日も実は休みなんだよね〜』とか言って浮かれてさ、甘やかし専念日とか名前付けちゃって、勝手に仕事を休みにしてんじゃないのかと思って」
「……それ、完全に陛下のことですよね。困ってるの、むしろこっちなんですけど」
カイルは、ぴしゃりと言い返す。
「朝から晩までチル様を甘やかしても足りずに、勝手に『今日は休みだよ〜』とか言っちゃってますよね?こっちはちゃんと仕事詰まってるんですよ。…陛下、マジで突然の休日制度やめてもらえます?」
「……俺?いやいや、それは愛の政策だろ? お前らが甘えられるように、俺が祝日をつくっただろ!それに 突然の休みも、たまにはアリだろ?」
「そのサプライズ、チル様にだけにしてくださいよ……」
カイルが半ば呆れたように苦言を漏らすと、ジークはにやりと笑い、酒を一口あおって、言葉を重ねる。
「とか言って、結局お前もやってんだろ?サプライズ」
「……っ」
図星を突かれ、カイルの眉がぴくりと跳ねる
「ベッドの下からマイロの好きな焼き菓子が出てくる仕掛け、あれ、誰がやったんだったっけ?」
「陛下、何故それを知ってるんです?それは、王宮内の極秘事項です」
「お前もやるな〜。サプライズ策士、認定してやるよ。ようこそ」
「いやいや、陛下の録音付き花束爆弾と一緒にしないでください。俺のはもう少し穏当ですから」
「ぐっ……」
ジークが口をつぐむ。
「……でも、お前、見てただろ? あのサプライズのとき、チルは頬を真っ赤にして『もう〜〜!』って叫んで逃げてったんだぞ。あれがサプライズの醍醐味だ。本当、最高にかわいかった……」
「……はぁ」
カイルはグラスの中身を飲み干すと、静かにため息をついた。
呆れたような声を出したものの、どこか頬がゆるんでしまう。酔っているせいか、ジークの惚気すら、今は妙に心地いい。
グラスをもう一度合わせて、しばらく静かに酒を流し込む。だが、すぐにまたジークが話を蒸し返す。
「……なあ、カイル。お前、トマトってさ」
「……苦手です」
「だよな」
「陛下もでしたよね?」
「ああ。チルが栄養あるし、赤いのって元気出るからって、作ってくれるようになってさ」
「……マイロも『カイルが野菜不足だから』って言って、最近ちょくちょく出てくるんですよ」
二人は同時に天を仰ぐ。
「……トマトじゃなくてもよくないか?だけど、『どうですか?』なんて、首を傾げて言われるとな…どうしてあんなに可愛く言うんだろうな」
「マイロもです。『ねえねえ、これ美味しいと思う?』って。顔見られながらだと、苦手とは……言えないんですよね」
「わかる。チルが期待して見てくるからさ…頑張って食べてるところある。そんな時、お前なんていう?『楽しい味だね!』とか言うよな?」
「そうです。同じようなもんですよ。『うん、これは…俺の知ってるトマトの中ではトップクラス…』って言ったら、嬉しそうに『よかった!』って言われました」
ふたりの間にしばしの沈黙が流れる。
そして。
「……逃げられねぇな、あれ」
「無理ですね。もう、逃げられない」
「そうなんだよ。わかってるんだけど、トマトだけは……」
「愛してるから。耐えるしかないですよ」
「そう…だよなぁ…」
ふたりの肩が、心底からの嘆きで同時に落ちた。そんなふたりの惚気とぼやきが、夜のグラスの中に泡のように弾けて消えていく。
「まあでもさ、カイル」
ジークが酒のグラスをくるりと回し、ニヤッと笑う。
「お前のマイロ愛はわかった。でもな、うちのチルの甘え、破壊力すごいぞ?」
「こちらもです。『カイル、もう寝るからこっち来て…』って、布団から手だけ出してくるんですよ。反則です」
「ふっ……チルはな、『寒い』って言って、足くっつけてくるんだぞ。真夏に」
「うちも。冷房のせいにして、背中ぴったり」
ふたりは顔を見合わせて、グラスを軽く合わせた。
「……なあ、カイル。チルとマイロのサロンでの話、聞いてたか?」
「もちろんです……聞きたくなくても、廊下の向こうまで声が届いてましたから」
「お前さ〜、寝かす勝負ってなんだよ。しかも、秒で寝かされてるとか言われてただろ。お前らも、色々やってんな〜」
「腕の中、反則級なんだって言ってましたね。ふふっ……うちの子、けっこう素直に喋ってて驚きました」
「チルもだな。『一度でいいから、やってあげる側になってみたいなぁ』って……なにあれ、可愛すぎるんだけどっ! 聞いてからずっと頭に残ってる」
ふたりは一瞬だけ黙り込む。
「……やっばいな、あれは」
「……効きましたね」
ジークがグラスを持ち直して、ふっと笑う。ふたりは顔を見合わせて、グラスを軽く合わせた。
「結局さ」
「……はい」
「俺ら、見事に溺れてるな」
「……ですね」
夏の夜風がテラスを抜けていく。ジークが空のグラスを見下ろし、ぽつりとこぼす。
「……お前も、ちゃんと幸せになったな」
その言葉は、からかいではなく、心からのものだった。カイルは少し目を見開き、そして静かに微笑んだ。
「……はい。ようやく、ですけど。でも…これからもっと幸せになりますよ」
照れくさそうに肩をすくめながらも、その声には揺るぎない確信が滲んでいた。
ふたたび杯が交わされ、グラスの澄んだ音が静かに響く。
視線の先には、それぞれにとっての、たったひとり、かけがえのない存在がいた。
end
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