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第17話 思わぬ事故

ライブ前の美容・健康食の食事会を終え、皆を家に帰した後、『瑠璃茉莉が咲いた日』の小説を読んでいるとマネージャーから電話が来た。 「はたちゃん、今一人?」 「はい。3人とも帰りました」 「いつも面倒見てくれてありがとうね。 オーディションの件なんだけど…」 というマネージャーの言葉に、僕は居住まいを正す。 「矢島監督に伝えたら、すごく喜んでたよ。 受けてくれてありがとうって。 ただ、忖度はしないから全力で役を取りに来なさいって」 「はい、もちろんです」 「うん。まあ、詳細は別で送るから。 何か聞きたいことがあったらいつでも名刺の連絡先に連絡をくれって言ってた。 同じ俳優ばかり使ってたから、新しい風が入るのが楽しみだそうよ」 「期待に…」応えられるのでしょうか、と言いかけて口を噤んだ。 アイドルを辞めるって決めてるんだから、ここで気弱になったら、僕はこの業界で生き残れないだろう。 「期待に応えられるように頑張ります」 「…、うん」と、答えるマネージャーの声は暗い。 「どうかしましたか?」 「いや…、はたちゃんは俳優の仕事を本格的に始めたら、アイドルは辞めちゃうの?」 以前は間髪入れずに「はい」と言えていたけれど、僕が抜けた後の餅麦茶畑を想像して、少し胸が痛くなった。 でも、そんな感情(寂しさ)だけで続けられる仕事ではない。 「…、はい」 「そっか…、分かった。 とにかくはたちゃんは目の前の事を一生懸命やるといいよ。 私も応援してるから」 「ありがとうございます」 そして、電話を切った。 そのまま脱力して眠ってしまいそうな自分に鞭を打って、本に意識を戻す。 『瑠璃茉莉が咲いた日』は、昨年の本屋さん大賞受賞作品だ。 人気な通り、話が面白い。 温かな島国で起こる、ヒューマンドラマなんだけれど、とにかく登場人物が全員魅力的。 出てくる人物、全員の人となりに触れてみたくなるような、瑞々しく温かみのあるストーリーだ。 でも、主人公は、抜きんでて魅力的。 作中でも、持ち前の明るさと物怖じしない性格で、島中の人を笑顔にしてしまうような青年だ。 …、僕がそんな役を演じられるだろうか。 たまに彼の考え方が自分に合わなすぎて、没入できない瞬間があった。 彼になり切って、映画を1本撮りきれるだろうか。 そもそも、オーデションまでに彼という役を掴みきれるのか… 不安は尽きない。 が、僕に目を付けてくれた監督や、自分を推してくれたマネージャーのため、もちろん自分自身のために掴むしかない。 4人での初ライブに力を入れる合間に、演技の練習や作品への理解度を高めること、矢島監督の作品の履修など、がむしゃらに取り組んだ。 ---------- ライブまであと1週間。 僕たちはとにかく4人で踊るせいで生じるアンバランス感や違和感を取り去る為に、振り付けや移動の調整に時間をかけている。 どうしても、3人で完成していた曲を4人仕様に変更するのが難しい。 もう1週間しかない。 そんな焦りが全員にあり、ただ黙々と4人の動きが合うまで練習をする。 僕も、集中しているつもりだった。 が、オーディションの方も完成しておらず、そのことが度々頭の片隅で不安が首を(もた)げる。 そして移動に入る動きが一瞬、出遅れてしまった。 不味い、ぶつかる!! そう思った時には、僕の位置と入れ替わる茶之介くんと肩がぶつかり合い、僕はバランスを崩してしまった。 なんとか踏ん張って転倒を防ごうと、反対の足を踏み出したらグキリと嫌な音が鳴った。 「す、すみません!!!実さん、大丈夫ですか!?」 茶之介くんが慌てた様子で謝る。 「いや、全然!僕がぼーっとしてたのが悪いよ。 茶之介くんはケガしてない?」 「いえ、俺は全然。実さんは?」 「うん、僕も大丈夫。 皆ごめん、もう1回やらせて」 「気を付けろよ」と茂知が鋭く言う。 僕の不注意のせいで大けがにつながるところだった。 茂知が怒るのも当たり前だ。 「ごめん、集中する」 そして、もう一度最初から曲が流れ始める。 練習に集中しなきゃ…、これ以上、餅麦茶畑の足を引っ張りたくない… 1時間弱練習を続けたが、疲労の事も考えてとりあえず休憩となったところで、先ほど嫌な音がした右足がズキズキと痛んでいることに気付く。 僕は飲み物を買いに行くふりをして、誰も使っていない小会議室に入った。 椅子に座り、ジャージを捲る。 足首は思っていたよりも赤く腫れあがり、倍くらいの太さになり、熱をもっていた。 折れてはいないだろうけれど、酷い捻挫だ。 意識した途端に痛みだした。 これがばれたら練習は辞めさせられるだろうし、最悪ライブも不参加になるかもしれない。 なんとか、皆にはバレないようにしないと… ライブは1週間後… 1週間もあれば、捻挫くらい治るだろう。 僕は事務所内の救護室でテーピングを拝借すると右足をがちがちに固めた。 その場で軽く跳んでみる。 ずきりと痛みが走らないではないが、さっきよりはましだ。 レッスン室に戻ると茂知に「おせぇ」と怒られた。 「ごめん、遅れちゃった」 「はたちゃんが戻るの遅れるなんて珍しいね。 何かあった?」 麦の鋭い質問に、僕はギクリとする。 「いや、廊下で後輩と会ったから喋ってた」とテキトーに誤魔化し、「早く練習しよう」と声を掛けた。

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