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第40話 甘

「付き合ってほしい」と言う蜂谷さんに、僕は「落ち着いて下さい」としか言えない。 だって…、飛ぶ鳥を落とす勢いの蜂谷さんが、僕を好きになるなんてことあり得るのだろうか…? 蜂谷さんとお近づきになりたい老若男女は溢れるほどいるだろう。 「蜂谷さんは、男性の経験は初めてですよね?」 「もちろんそうだよ」 「僕を好きだって言うのは、勘違いとかじゃないですかね?」 僕がそう言うと、蜂谷さんは僕の顔をジッと見つめた。 そしてゆっくりと近づいてくる。 思わず後退りしそうになるが、失礼なので踏みとどまる。 「勘違い?この気持ちが?」 そう言う蜂谷さんに僕は浅く首を縦に振る。 蜂谷さんは僕の目の前まで来ると、そっと僕の頬に手を添えた。 「そんなわけないよ。 こんなにはたちゃんが愛おしいのに」 そう言うと、僕の唇に口づけをした。 あまりにも映画のワンシーンのように綺麗で、抵抗したり避けたりすることを忘れてしまっていた。 そっと触れた後に感触を確かめるように何度か啄まれ、去り際に少し吸われた。 俳優のチューってこんなにお洒落なの…?と訳の分からないことを考えていた。 唇を離した後も、蜂谷さんはうっとりと僕を見ていた。 「こんなに可愛いだなんて罪だね」なんて蜂谷さんが言っているが、本当にどうしちゃったんだろう…。 一刻も早く目を覚ましてくれないと…、こんな甘々な雰囲気耐えられない… 映画の撮影が終了していてよかったけれど、まだ共演する番組が数本ある。 「え、えっと…、僕、そろそろ帰ります」 この空気と蜂谷さんの熱視線に、耐えられなくなった僕は帰るべく、荷物をまとめ始める。 まあ、大した荷物なんてないんだけれど。 「そう?ゆっくりしていってもいいよ、と言いたいところだけれど俺は仕事があるんだった。 お家まで送迎できなくてごめんね」 と蜂谷さんは眉を下げる。 「今までも自分でここまで来てたので大丈夫ですよ」 「ううん。今までとは違うよ。 はたちゃんは俺の大切な人なんだから」 そう言った蜂谷さんは、僕に近づくと「またね」と呟いて僕のおでこにキスをすると抱きしめた。 僕はどうしていいか分からずに固まる。 蜂谷さんはクスっと笑うような息を漏らすと「可愛い」と囁いて僕を離した。 「気を付けて帰ってね」 と蜂谷さんは手を振った。 「お、お邪魔しました」とお辞儀をすると、そそくさと彼の家をあとにして呼び寄せたタクシーに飛び乗る。 行き先を(おろそ)かに伝え、座席に(もた)れて脱力した。 一見、疲れているように見えるかもしれないが、心のうちは大困惑祭である。 蜂谷さんが!?なんで!?なにがあったってんだ!? しかし、午後からも仕事だのレッスンだのがあるし、これからすべき仕事が沢山ある。 やるべきことに集中するため、いったん、蜂谷さんの事は忘れることにした。 時間が経てば、蜂谷さん自身も正気に戻るだろう。 じゃなきゃ困るだけれども… 今週末にも番宣のラジオで共演するんだよな… それまでに蜂谷さんは正気に戻るだろうか…

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