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第52話 サークルクラッシャー
ドアを開けると、麦が「こんばんは。さっきぶりだね」と言って、ずかずかと部屋に上がる。
「僕、紅茶ね」と言うので、僕は紅茶を2杯淹れてリビングに戻った。
お茶を出すと「ありがとう」と言って受け取る。
麦の要件が一体何なのか…
正直、心当たりがありすぎて分からない。
「で、もちと何があったわけ?」
僕はギクリとして麦を見る。
彼の口元はほほ笑んでいるが、目が笑っていない。
「もちに訊いても教えてくれないんだよねぇ。
僕たちがいない間に、言えないようなことしてたの?」
やんわりとした口調なのにやたら圧がある。
これが6歳年下には見えない。
「えっと…」
観念した僕は、酔っぱらったこと、蜂谷さんに手を出された話をしたこと、茂知と体を重ねたことを話した。
聞き終えた麦は頭を抱える。
そりゃショックたよね。
ずっと一緒に過ごしてきたメンバーの中の僕たちが関係を持つなんて…
「あのさ、他所の俳優と何してんの…?」
あ、確かにまずはそこからか。
「ほんとごめん」と頭を下げるしかなかった。
「俳優のおっさんもおっさんだよ、まったく…」
「蜂谷さんはおっさんじゃないと思うけど…」
確かにもちむぎからしたら10歳くらい上だけど…
思わずそう言うと、麦に「今そういう話してない」と怒られた。
「まあ、詳細は分かった。
もちも、さすがに抑えきれなかったかぁ」
麦はぼんやりと紅茶の水面を眺めている。
こんなことになっちゃって、僕自身のパフォーマンスも落ちて、メンバーに顔向けできない。
「僕、やっぱりアイドル辞めようと思う」
「はぁ?」
思ったよりも麦に凄まれて、僕は閉口した。
「痴情の縺 れで脱退とかダサすぎるからやめてよね。
それとも、脱退して誰かと付き合うの?」
麦の言葉に僕は慌てて首を横に振る。
「違う!僕は辞めたら、メンバーや蜂谷さんに会うつもりはない!
関係を断つべきだとも思ってる」
「はたちゃんはそんな簡単に辞められるの?
僕たちとのこれまでは?これからの目標は?
全部そんな簡単に捨てられるものなんだ?
俳優の仕事だって…、これから頑張るんじゃなかったの?」
耳が痛い…
何より、あんなにチクチクと僕を刺していた麦が、今は悲しそうな顔をしていることに胸が痛んだ。
「簡単になんて捨てられないけれど…、皆の活動を邪魔したくないんだ」
「…、僕ももちも、アイドル以外の仕事で十分食べていけるよ。
でも、こんなにめんどくさいアイドルを辞めないのは、僕たちで”餅麦茶畑”だからだよ」
そう言われて、僕ははっとする。
2人は、僕がいたからアイドルを辞めなかった。
僕だって…、グループが、皆が好きだから辞める踏ん切りがつかなかったじゃないか…
「そう…、だよね」
でも…、と僕は心の内を吐露する。
「でもさ、茂知がいると上手く出来ないんだ。
こんなこと、麦に相談するのは申し訳ないけど」
「ふーん?
じゃあ、どうすれば上手くできるの?」
「え?」
「はたちゃんは、もちがどうしたら今までみたいにできるの?」
「どうって…」
そんなの、僕が好きだって話を撤回してほしい。
でもそれは、茂知があまりに可哀想だ。
気持ちを否定するなんて…
「もちは、待ってって言えば待ってくれるよ。
今までだって6年待ってるし。
まあ、今回は手を出したけど」
「で、でも、茶之介くんにも待ってって言ってて…」
僕がそう言うと、麦は額に手を当てて「サークルクラッシャー」と呟いた。
「まあ、どっちを選ぶかは…、どっちも選ばない可能性もあると思うけど、でもそれは、はたちゃんが最後に決めればいいよ」
僕が選ぶだなんて烏滸がましい。
何も言えずに黙っていると、
「で、アイドルは続けるの?」
それに僕は、しばし迷った後、首を縦に振った。
まだ”餅麦茶畑”を守りたい。
麦は、溜息を、でもほっとしたように吐いた。
「とにかく、リーダーが続けるって言うなら、ちゃんと今まで通り…、いや、今まで以上のパフォーマンスをしてよね。
僕は帰るから。
僕まで手を出されたら困っちゃうし」
と、席を立つ。
『手なんか出さないよ!』と言おうとしたが、前科3犯なので口を噤んだ。
「来てくれてありがとう。気を付けて帰ってね」
と玄関で見送る。
「「また明日」」
どちらからともなくそう言って僕たちは分かれた。
明日もレッスンだ。
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